また、転んでしまった。
2年ほど前のやはり冬、きれいな夕焼けやなぁ、と西の空を見ながら歩いていて、何にもない普通の歩道でこけたのだった。何が起きたのか自分でも信じられなかった。しかし、顎をうって出血が止まらなくて数針縫うはめになったのだった。
そして、数日前、また、転んでしまった。
コーラスの練習日の帰り、近所の(もっとも、ほとんどのメンバーがご近所だけど)Kさんが、つと私のところに寄ってきて、頚椎症でつらいの、、、と。うんうん、と聞いていて、長くなりそうと、近くの椅子に腰かけて小1時間は話していたろうか。
やはりコーラスのメンバーで、腰椎の手術をした人がいて、足の裏の感覚がない、しびれる、なんだか重くてつらい、と、私と同じような症状に悩まされているTさん。彼女の主治医が、「Tさん、あちこち不自由かもしれないけど、コップに半分の水、もうこれだけしかない、と考えるのと、まだ半分もある、と考えるのとしたら、どっちがいい?」と聞いた、と話してくれたことを思い出して、Kさんにも話してあげた。そして、もう長いこと生きているんだから、あちこち具合が悪くなるのは当たり前で、それと付き合って、ぼつぼつ生きていこうね、と年下なのに私は偉そうなことを言ったのだった。
でも、Kさんは「あなたと話していて、なんだか肩の凝りが楽になったみたい!」と言ってくれた。私は『傾聴』が成功したとお腹の中でほくそえんでいた。
気分良く2人で練習会場を出て、すぐ近くの自宅に帰る。Kさんの家の前で、じゃあね、と別れたとたん、私はバタリこけてしまったのだ!Kさんはあわてて飛んできてくれて、すぐ近くの私の家まで抱きかかえるようにしてついてきてくれた。もう、ばつが悪いったらありゃしない。彼女より6歳も年下の私。運動神経は人並み以上と自負していた私。
手袋をとると右手のひらの手首のほうが皮がむけて出血していた。左頬が笑うと痛いけど、青ずんで少し腫れもあるがマスクが無ければ、ひどいことになっていたろう。左ひざも痛みはあるが、毛布みたいなタイツとパンツ2重で助かった。
それらの痛みより、”こけた”、しかも、なんでもない道路で、ということがショック。
前夜、ほとんど眠れていなかった、というこもあるけれど、眠れていなくても、そうそう転ぶことはないと思う。
このくらいの傷ですんでよかったと思おう。まだ、コップには半分水がある、と思おう。
当たり前の歩く、ということが、無意識にできなくなったと自覚しよう。気を付けて歩く、ということをいつも忘れないようにしよう、と思おう。
なのに、早速来ていただいて読んでくださってありがとうございます。
転んで1週間になり、手のひらの傷も治りかけてきたなぁ、と今朝思っていたところでした、が、また、今日、車のドアに小指挟んでしまって、もうもう、落ち込んでいます💧
ま、指がちぎれなくてよかったです。痛いけど、大事に至らくて、と。
ふくちゃんのブログ覗けなくてごめんなさいね。
また、書きます。
痛みは後からやってきますから。
歳が行くと足元は気を付けていないと危ないですね。
今年は雪が多くて歩くのも怖くて。
コップ半分ですか?
良いこと聞きました(#^^#)
まあ私は貧しさも寂しさも知っていますから満杯のコップは怖いですけすぐに零れそうで(#^^#)
なかなかお会いできませんね。
ブログまた書いてくださいね。