五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

戦局報道は拠らしむべからず、知らしむべからず

2012-08-09 01:48:04 | 五高の歴史

この頃の新聞の戦況報道については「かくされた部分」のあることが寮生間でも非難されている。

「拠らしむべからず知らしむべからず・・・然しあくまでも理想は知らしむべく拠らしむべく行はしむべく起たしむべしでなければならぬ。新聞!抱負あり定見あり洞察力有り世道人心大いなる一時的ならざる、附和雷同ならぬを構成し得る新聞が望ましい」とこのように既に昭和十二年の寮生日誌では新聞記事を批判している。

永遠の真理のように一世に喧伝されたコスモポリタニズムは一片の理想として凋落の一途をたどり帝国主義のもとに国家主義はあらゆる権力と正義に飾られて華々しく出現している。

資本主義的自由経済は統制経済へと推移していった。自由より統制へ全ての国民の上に注がれた時代の波であった、この波の流れは混沌たるながれは自由を愛したインテリゲンチャに批判の眼が注がれた。ジャナリズムは「知性の改造」を唱えインテリ層の無気力と退廃を攻撃し大学を反国家主義の巣窟であると決めつけた。

この考えは五高自身においても見られ報道の無責任な論でなく堂々たる所信の発露であった。「若き哲学徒の手記」弘津正二は「抽象的なロゴスの世界に放浪する青白きインテリ」を」痛烈に批判し新しい人間性に目覚めるヒューマニズムを唱導する風潮が盛んであった。

これまで社会の特権的存在として社会的に絶縁されて何も社会の批判的なことも蒙らなかった五高生に対し社会の眼が注がれ始めた、いわゆる学生狩である。

これをなさしめたものは学生自体の堕落にあった。剛毅木訥を誇った五高生はカフエーに遊び麻雀に耽るのが常であった。寮の弁論大会、座談会等ではしばしば論争されたが、経験主義をもってこれを擁護し学生の品位をかざして時局を説いてこれを否定した。

この時代の学生は退廃的な享楽的な傾向に流れていたことは否めないことであり、この傾向が頂点に達したのがまさに「非常時」であった。緊縮が要求され確信が望まれ、これらの享楽に対して弾圧が加えられたのは当然であった。(続習学寮史を参照する)



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