五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

昭和十八年四月の阿蘇道場行の様子

2012-11-29 03:58:29 | 五高の歴史

阿蘇道場日誌がまだ少々残っているのでこれを記載していくことにして、今朝は昭和十八年四月の最終週の道場行を呈示する。

四月二十三日 金
午後四時四十三分立田口発列車に乗客過剰のため乗車出来ず。他の駅より乗れる七名のみ、予定通り午後七時道場着、外二十三名は立田口后七時二十二分発九時五十分道場着二十三名中若干は立田近くの加藤様御宅の好意にて夕食をすます。此の日来場せるもの文三の一飯島を加えて総数三十人、十一時十分就寝前三十分、静坐を終り直ちに就寝。

四月二十四日  土曜  晴
理一の六組、浅井先生、生徒四十名、午前八時七分立田口駅発列車にて十時半登場、十一時二十分中食、中食後作業に着手、西の畠の開墾、午後三時半迄作業、四時頃福井、加茂来場、四時から清掃、入浴、五時半にて終了、五時四十五分より坐禅、夕食、夕食跡仕舞、七時二十分より浅井、飯島両先生を中心に坐談、九時十五分より坐禅、四十五分に終わり、十時就寝。

四月二十四日  土  曇後晴
五時四十分起床、行事常の如し、但し本日は靖国神社臨時大祭、陛下御親拝の日なるを以って朝の行事中に靖国神社に対しての祈念勲祷を加う。午前西畑開墾の作業、十二時中食后退場、漸く好天気となり午前十時半には藤井教授外理一の六、四十名道場着。

四月二十五日  日  快晴
午前五時半起床、行事理一の六共、常の如し、朝食後、八時過ぎより裏の山に登り浅井先生より阿蘇山に関する一場の話を聴き続いて兜岩に登る。十一時頃かえる。中食に於いて添野校長より一同に暫くお話あり、后一、浅井教授と共に一同退場、好日和に恵まれし組なりき

五月一日  土  晴
理一の一、一同、飯島教授、河瀬教授、理二甲一、福本、計四十一名、午後四時十五分道場着、国旗掲揚、清掃、入浴、六時二十五分より坐禅、夕食跡仕舞八時十五分、九時十六分迄坐談、それより坐禅、十時十分就寝。

五月二日  日  晴
午前五時半起床、行事常の如し、午前中西畑開墾作業、午後十二時五十分出発帰熊。

土曜日・日曜日を中心とした定例行事になっている。阿蘇道場行きは昭和十八年も変わりなく行われている。日誌だろうかもしれないがただ何時何分の列車に乗って道場に行って作業して座禅して何時もの行事をこなし、入浴して、食事をして、就寝して、翌朝は何時何分に起床して、ということに終始しているのはマンネリかもしれないがただ日誌を書く事に追われていたのであろう。



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