明治32年中川元校長の後を継いだのは桜井房記であった。桜井は五高教授からの横滑りで校長になったもので、学校運営についてより期待された。
翌33年には禁酒令を制定し入学式には校長室で新入生に誓約書を書かせた。これは自分が酒の上でのトラブルや先の習学寮における鹿児島出身者と熊本出身者との喧嘩があったのも酒の上が原因であった事が桜井校長の頭にあったからである。
明治時代は青少年の飲酒に対しては現代よりはるかに寛大であり、この禁酒令の特色として「在学中には決して飲食せざること」という一項が入っていた。この事は学校当局の独自の制定で多くの生徒が反発しその後の学校運営にくすぶり続けた。
早速明治34年9月の入学式から新入生総代に飲酒しないことを含めた4ヶ条の宣誓文を朗読させ、その上で新入生に署名させた。この背景には桜井校長の赴任以前から酒の上でのトラブルが絶えず続いていたが特に習学寮の運営をめぐり熊本出身の生徒が鹿児島出身の寮長を殴打するという事件が発生したことは酒の上とはいえ熊本と鹿児島出身者の両県生徒の対立までに発展した。
この事を憂慮した桜井校長は学内の秩序を回復させ剛毅朴訥の精神を取り戻す為敢然と禁酒令の断行に踏み切ったのである。校長のこの政策に賛同する父兄も多かったが、酒なしで天下国家を論じることが出来るかとする生徒たちもまた多かった。
この政策は桜井校長が退任し続く松浦校長になってから解除されたがこの時代になると現実と実情が遊離していたので解除したようである。
この宣誓書には赤松智城、大川周明、田沢義輔、坂田道雄等の名前が見える。現在この宣誓書は展示室で公開されています
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