五高の設立からあまり時間が経過していない明治27年に傭人服務概則が制定されている。この規則には職員間の差別を表現してある条文も多い。たとえば職員が帰った後も帰ることが出来なく各掛を点検せよとかとあり、勤務時間の管理について頭を傾けるところもある。職員が出勤する一時間前には出てきて職員が帰った後も帰れない、差別もよか処と言うべきだろう。
先頃からこの差別について検討しているが校丁という身分が門衛、後の守衛、則ち警務員である。明治の特徴である喇叭手については検討したが、小使いという身分はこの中に小使い取締という肩書きが出てくる小使取締というのはそれから100年後の俺の時代の警務員長、作業員長と同じであろう。
明日は喇叭手の活動について作文を作ったのでこれを計上する
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五高の正門
先頃からこの差別について検討しているが校丁という身分が門衛、後の守衛、則ち警務員である。明治の特徴である喇叭手については検討したが、小使いという身分はこの中に小使い取締という肩書きが出てくる小使取締というのはそれから100年後の俺の時代の警務員長、作業員長と同じであろう。
明日は喇叭手の活動について作文を作ったのでこれを計上する
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