五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

将来の日本を背負う指導者になるべくエリートであるという考え

2013-01-06 05:35:32 | 五高の歴史

 自分たち五高生は将来の日本を背負う指導者になるべきエリートであるという考えに終始している。結局これが軍国日本に導いた思想であるということを

学生時代から考えていたのだろうか・?現代の日本の高等学校の生徒では将来日本の指導者になることを考えているものはどれだけいるだろう。

阿蘇道場日誌から

昭和十八年一月十日 晴 暖かし
昨夜十時前四班に別れた一同は、各家に於いて朝の掃除やら種々の手伝いに精を出す。満徳寺に投宿の一同は朝、飯島先生を加え約二時間の掃除の渡佛殿の前に参列、拝礼、歎異抄を読経講釈さる。

商家に入っては商家に従ひ、佛に入っては佛に従い・・・そのものになりきる先生の御行動に一同感激する。

朝食を戴き一同は再び、火山温泉研究所に集合、内三名は再び町営温泉へ奉仕作業に行き、残りは研究所横の石垣築きの土堀を手伝う、一同話さえするものなく黙々と働く、仕事が見る間にはかどる。

十二時にこの奉仕作業も、町営温泉に奉仕に行ったものも此町に帰り、この研究所にてお風呂に入れて戴き、直ぐ昼食をとり一同帰路につく。

午後二時内牧駅発。龍田口駅を下車して一同に飯島先生は「まだ皆駄目である。・・・・・・・」これだけで一同は反省三省すべきである。

 


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