阿蘇道場日誌は昭和十八年の春季休暇・・・春休み合宿の後期の様子である。ここで気がついたことを一つ、その後の五〇年余を経た平成12年に卒業生を中心として熊本大学五高記念館友の会を創設したのであるが、この日誌等に出てくる方々の名前が見出せたのは懐かしいというより、さすが自分の出身校五高を愛する人々だったという実感が強く感ぜられた。
ここでは開校五〇周年記念祭における色紙の整理について述べておこう
五高は昭和12年開校50周年記念祭を盛大に行っている。卒業生、旧職員等々から蒐集された色紙が倉庫に眠っていた。それは永年の経過と管理の不適切さのため湿気があり、紙魚があり、汚れがあって整理には困った。これを今年の記念館友の会の事業で未公開資料展の目玉にして、日の目を見せてやろうと3月の世話人会で決定したので、4月以降その作者の履歴の調査、所謂キャプション製作に努めて来た。しかしそれらの色紙にはただ雅号だけで本名でサインしたものはごく僅かで、花押は押しても、これまた私にとっては本名を探す上では名前がないものに等しく探し出すことに苦労した。どうしても読めない今で言うところのサインについては川口恭子先生に読み方を習い、また昭和12年に発行された同窓会会報50周年記念特別号はじめ、当時の新聞の連載記事、同窓会会員名簿、そしてその後に発行された五高関係人物史・資料等々を頼りに名前を調査・卒業年度を確認して行ったが、調査が進むに連れて、この多数の色紙から感じたことは、俺を知らないかと大正から昭和初期にかけて日本の政財界を牛耳った五高卒業生の精霊がそこのあるような気さえしてきた。俺は一体何をしているのかと自問し、時にはその亡霊に取り付かれたような感じさえ受けたものである。確認した各人の履歴等については平山謙二郎先生に監修をお願いした。
五高歴史の上で開校50周年と言えば戦後の学制改革による五高閉校まではあと12年余で、その4倍の期間に当たる。五高の校風・剛毅木訥の精神はこの期間までに確立されていると言っても過言ではあるまい。今年は閉校からでも55年目、これらの色紙も折角残っている資料だから整理しておかねばと言う気持ちで整理したものであった。
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