阿蘇道場日誌では昭和十七年度も終了し新学期昭和十八年度に入ると言うところであるが、高等学校の修了期間三年制が一月二十日の高等学校令改正により二年間に短縮になった。
その上全寮制で二十四時間教育の標榜、学校教育の一場所文部省の微に入り細に入った修練要綱に基づく生活、厳格な日課に統制される。
全校鍛錬が強制された。歴史的風潮を無視して人為的に俄に改めようとしてもそれ自身に大きな欠陥があった。
五高の学内までは戦争の影響はまだ見えないが、世はまさにいよいよ戦時体制に駆り立てられて行った。
しかし五高では今までと変わりなく阿蘇道場行きは行われている早速に四月の道場行の道場日誌を掲げる
四月十七日 土曜 晴
岡本、飯島教授、文一甲一生徒四十名、加茂野、福本、龍田口駅発午後二時九分の汽車にて登場、直ちに国旗掲揚、神前礼拝、掃除、入浴、七時十五分より坐禅、夕食、跡かたづけ、八時四十分に終了、坐談、九時五十分より坐禅、十時半過就寝。
四月十八日 日曜 雨後晴
起床五時半、直ちに清掃、朝の拝礼、国旗掲揚、体操、坐禅、朝食跡仕舞時に八時五分なり。八時半作業支度にとりかかる。九時より仕事始め。十一時二十分仕事終め、十二時昼食、午後一時頃一同下場、飯島教授、福本は居残る。加茂野は午前八時半湯の谷に向って出発。
四月二十三日 金
午後四時四十三分立田口発列車に乗客過剰のため乗車出来ず。他の駅より乗れる七名のみ、予定通り午後七時道場着、外二十三名は立田口后七時二十二分発九時五十分道場着二十三名中若干は立田近くの加藤様御宅の好意にて夕食をすます。此の日来場せるもの文三の一飯島を加えて総数三十人、十一時十分就寝前三十分、静坐を終り直ちに就寝・
四月二十四日 土曜 晴
理一の六組、浅井先生、生徒四十名、午前八時七分立田口駅発列車にて十時半登場、十一時二十分中食、中食後作業に着手、西の畠の開墾、午後三時半迄作業、四時頃福井、加茂来場、四時から清掃、入浴、五時半にて終了、五時四十五分より坐禅、夕食、夕食跡仕舞、七時二十分より浅井、飯島両先生を中心に坐談、九時十五分より坐禅、四十五分に終わり、十時就寝。
四月二十四日 土 曇後晴
五時四十分起床、行事常の如し、但し本日は靖国神社臨時大祭、陛下御親拝の日なるを以って朝の行事中に靖国神社に対しての祈念勲祷を加う。午前西畑開墾の作業、十二時中食后退場、漸く好天気となり午前十時半には藤井教授外理一の六、四十名道場着。
四月二十五日 日 快晴
午前五時半起床、行事理一の六共、常の如し、朝食後、八時過ぎより裏の山に登り浅井先生より阿蘇山に関する一場の話を聴き続いて兜岩に登る。十一時頃かえる。中食に於いて添野校長より一同に暫くお話あり、后一、浅井教授と共に一同退場、好日和に恵まれし組なりき。
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