五高時代の校舎と正門, サインカーブ地帯正門(大正時代)
終戦八月十五日以降の五高の様子、八月十五日の証書奉読式後三ケ日間は寮内で待機した。世間のデマと不安と焦躁が交差し学校は一旦解散することになり、最後の夕食では本島校長の惜別の辞の挨拶まであり、残っている多くの寮生は自分の故郷に帰っていった。五高の生活を殆んど諦めていた一~二年生は「九月二十日より授業を開始すべきにつき出校されたし」との通知に接し、生徒は喜び勇躍し習学寮に帰ってきた。再開された習学寮に於いてはかっての総代制が復活した。
健児の碑と 昭和20年当時の職員と当時の学生だった人々
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