作家林 房雄は五高卒業である。五高の生徒であったころから既に文才に目覚め校友会雑誌「龍南会雑誌」への投稿が目立つ、此処では第二三八号に「自由と独立の気風」という想い出が投稿されているのでこれを転載して見る
僕のいた頃の五高は自由であった。「学問の独立」と「学徒の人格の尊重」というよき伝統と気風があった。田舎中学の固苦しく狭い規約づくめの中から、急にこの新しい雰囲気の中にほうりこまれて、生徒の方が面食らったほどである。
僕は貧しい生徒であったが、龍南三年間に、まことに、よく遊びよく学ぶことができた。拘束されることなく、己れの欲するところに就くことができた。
この自由と独立の気風、今の龍南にありやなしや。
大正十二年の卒業であるから、すでに十四年の過去である。一昔半か。しかし未だ失われざる青年の気風が現在の僕にありとせば、龍南三年の生活に負うところが多かろう。
熊本には、その後行ったことがない。龍田山と子飼の渡しも、どう変わっているか知らぬ。黒髪村が黒髪町になったことは、雑誌部委員の葉書の処書きでわかるが。
わが青春を護り育てた、かの自由と独立の気風、今の龍南にありやなしや。
僕の思い出の中では、五高は常に「西海の一聖地」である。聖地をして汚れしむる勿れ。聖地をまもるものは一千の龍南健児である.濁れる世の力が、健児たちから凡てのものを奪い去ろうとも、その青春だけは奪うことができない。青春は盡きざる泉である.荒野に花を咲かすことができる。
世にすべての自由が失われようとも、精神の自由だけは滅すことができない。自由と独立の気風は現代に於ても、精神によってまもることはできる。
龍南の健児よ、濁世に處して毅然たれと望む。
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