五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

手にとる山  對面嶺

2011-04-03 03:37:46 | 五高の歴史
習学寮12境の八は手にとる山 対面嶺として挙げてある。対面とは記念館の建物に対面している山と解していいのだろう。金峰山一帯を指しているそうである、その文書を転載してみると以下のようになっている。

蘇鉄の本より、ゆんでのかたをながめやれば、金峰山の尾、いともいともちかう見えわたさるヽ、むかしの人の、手にとるばかりといえるにとりて、かくは名つけたるなるべし、
木々のむらがれる中に、萬戸の立ち並ぶ、蒼溟白波のよそほいをなし、城楼の高く聳える,魚鱗鶴翼のすがたを見す、
さてこの山のその上に突兀としてぬき出でたる、
春は花の霞たなびき、夏はさみだれの煙たつ、その見所の段々なるに、まして秋風の吹くかたなれば、麓の梢に、紅葉かつちる、しぐれの空の、そなたははれて、あくたの野辺の尾花の末に、夕日蔭の残れる、またなきけしきなり、ことにその楼に登れば渓山の遠望窓にかかりて,懐古の情にたえざるものあり、一日学びの徒の、をゆびさしつつ問いこし人に物語りする。

先ずこなたより教え申すべし、城を隔てて、南なるは花岡山、西なるはこの山にて、段山、本妙寺などいう名所名所も、この山本の里つづきなり、
さて北に当たりて、見えわたる,畝尾の峯をば、二のたけ、三のたけなどとなえて、杉のむら立ち、幾重ともなく,青雲の袖垣なせる峯続きいずこも往に志
西南の戦いに、薩摩たけをのなごりを留めたる所なり、音に高き田原の坂も、このつづきなれど程遠ければ、ほのだにも見えず、扨々おもしろき

詠めかな、さればこの後は、ありあけの海にて候やげにも、有明の海、月の山汐に、真帆かけて、出入る舟の追風に、たなびく雲仙だけも、手にとるようになれども、この山のあなたなれば,見え待ちぬなり、
  人はさながら画中の人なりし、
     告わたるをのえのかねの声さえも手にとる山の秋の夕暮れ告告簧

以上のように現在の五高記念館を中心とした熊本市から右の方を眺められる西側の金峰山の山並みの事を表してある。
熊本城を隔て、花岡山、その西がこの山で漱石の草枕の舞台になっている「山路を登りながらこう考えた・・・は」この山の麓を超えて小天温泉に行った時の様子である。
二の岳、三の岳、はこの金峰山の一帯で金峰山が一の岳である。
更にはここでは西南戦争の激戦地田原坂もこの山稜一帯の続きと記してあるが、田原坂の丘がこの続きであるとか、今までそんなことは考えたこともなかったが考えてみればそうかもしれない

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