五高についてしばらくの間復習してみる.大正時代の正門
現在の赤門,正門の様子
通称「赤門」と呼ばれ親しまれている五高正門は、設計図と共に国の重要文化財に指定されている。設計図と実物を照らし合わせて見ると幾つかの相違点があることに気が付く、設計図には門扉があるようになっているが、創建当時の写真からして、門扉がある記載があるものはない。しかし現在も門扉を取り付けるための金具だけは残っており、どういう理由で門扉が存在しないのか明らかでない。また設計図ではくぐり戸が存在するようになっているがこれまたなく、創建当時に予算的に窮屈であり門扉やくぐり戸は作らなかったのか?ナンバースクールの設計・施工は文部省の直轄工事として行われているので,五高だけに門扉やくぐり戸がないことは不可解な事といわざるを得ない。創建当時の写真には「第五高等中学校」の門札が写っており,当初から門札がなかった訳ではない。何時の間にか門札は行方不明になり数回架け替えられたけれども、その度に持ち去られ、時には中学校を女学校と書き換えたりする等の悪戯が絶えなかったのでそのままにしていたようだ。当時の第五高等中学は九州の最高学府として、人は知らないものはいなく修学旅行のコースに入っていたくらいであるので、学校側、生徒たち共々表札等の看板を掲げる必要を感じなかったようである。
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