「ぼにばなの丘」のある庄原市比和町三河内(みつがうち)地区は現在では伸びやかな棚田が広がる桃源郷のような安寧に満ちた郷です。江戸時代のこの地区では「鉄穴流し(かんなながし)」という技法で砂鉄採取が盛んに行われていたそうです。この地区の周辺部とはちょっと異なる広やかな棚田は、その時堆積した土砂や削った斜面を整地して田畑にしたもののようです。〔8月26日(水)〕
↓ 夏空の下伸びやかで広々とした棚田が広がる三河内の郷です。
↓ 今では見事な棚田が広がる三河内地区です。ここでは岩を削り水路や川を利用してその岩石中に含まれる砂鉄を分離していたと言われています。背後の高い山は滑石が採れる勝光山(947.4m)。
↓ 棚田の中に点在する民家の周辺にある森のような小さな丘は「鉄穴残丘(かんなざんきゅう)」と呼ばれる「たたら製鉄」の名残です。削り残された岩山の跡のようです。
↓ 棚田の最奥部の小和田東の付近から棚田と山地の境目を振り返りました。
↓ 棚田の中央部から棚田北側の核心部を眺望しました。中央部の川沿いに「鉄穴残丘」が並ぶように点在しています。
↓ 棚田の中央部の集落を遠望しました。
↓ 「ぼにばなの丘」のある慶雲寺を棚田の中から遠望しました。本堂後背の盛り上がった森が市指定の天然記念物の「慶雲寺シラカシ林」です。本堂手前の小山は「鉄穴残丘」です。
↓ 慶曇寺の門前から見下ろした集落から続く石段の参道。この参道沿いに「ぼにばなの丘」があります。
↓ 慶雲寺の裏手のシラカシ林から眺めた三河内の棚田です。
↓ 慶曇寺の直ぐ東側にある築後250年と言われている古民家です。
↓ この古民家は現在「長者屋」という宿泊施設として利用されています。