モノスヤです
宣言したのはキョンキョンです
私では、ありません。
キョンキョンが
「一人で生きていく覚悟はもう、とうにできている」
といったから
今日が「生涯独身宣言」記念日(かなり字余り)
って、そうかな~。
そういう意味なのかな>独身宣言
永瀬元旦那と別れたことが
=一人で生きていく覚悟を決めたことにはならないと思い
いえ、
なにかのきっかけ、いしずえにはなったのかもしれないけど。
出演映画のキャッチコピーが
「すべてを失った時、あなたに、戻る場所はありますか?」
そのキャッチコピーにちなんだ質問に対する答えが
「一人で生きていく覚悟はもう、とうにできている」
というものだったようです
私、「すべてを失った時」の意味が受け留められていないようです。
すべてを失う時って「死」んだ時では、ないのですか。
命ある限り、なにかあるというか。
少なくとも命は、あると思うんだけど。
そもそもの意味が違うんだろうか・・・・・・
キョンキョンが女優として活躍の場を広げていて
公開中の「空中庭園」をはじめ
出演映画は目白押しだそうです
たぶん
女優って(女優でなくとも)
「代わりは吐いて捨てるほどいる」存在ですけど
間違いなく
「小泉今日子」の代わりには誰もなれないし
それは
ある意味
誰でも何かの立場から見れば「代わりはいる」けれど
その人自身には
誰も代わりになることはできない
キョンキョンの「一人で生きてく」宣言は
「独り」の方じゃなくて
「小泉今日子という唯一無二の存在として」
それが「一人」という意味になったのではないかなと
そういう意味の
「一人で生きていく覚悟はもう、とうにできている」
発言だったのではないかなと
バツイチ仲間として私は思いました
一生を小泉今日子として生きていくという意味なのでは、と。
ところで。
独身って独り身って
結婚しないって意味なんでしょうか
(逆に話し戻ったか)
結婚って
籍を入れる入れないという結婚なんですかね
そういう結婚なら
「ワタシモウシマセン」
とキョンキョンは思っているかも
その上で
「一人で生きていく覚悟はもう、とうにできている」人同士が
何となく支えたり支えられたりしながら
生きていくのも
それもまた一興かなとか思ったりしています