でも、でも、、
負けは悔しく負けは哀しい(しかも連連敗。。
もちろん負けてもファンには変わりませんゎ。
でも(まだいうか)
言葉少なに寝まつ。。
ぅぅぅ
ぁぁぁぁ
ぇぇぇぇぇ
ぉぅぉぅぉぅ
母R子が先ほど、こう呟いた。
「金で芸は買えない」
...はい。
......
その昔そんな母R子が、とある人にこう言われたそうだ。
「あんたに“だけ”は負けたくない!」
あんたにだけ、の“だけ”部分も気になるが、、
それ以上に「勝つ」とは?どういうことをいうのだろう??
そして「負ける」とは...
アスリート、あるいはスポーツ選手なら試合にあるいは記録に勝ち負けはつきものだが。
意識、志のそれは近いものがあっても。
わたしたちは、その世界には身を置いていない。
だから、どこに勝ち負けが存在するのか?
わたしには、わからない。
得た金の額だろうか?
抱える人の数だろうか?
地位の高さだろうか?名誉の数だろうか?
賞の多さ少なさや権威によるものだろうか?
わかりませぬ。。
一ついえるとしたら、わたしたちは。
負けることがあるとすれば、それは他者にではなく。
“自分に”ではないだろうか。
自分に負けたら自分が終わる。
一生、追求し続ける限り負けは無い。
でも、たぶん“勝ち”もない。
答えも無い。
一生かけて(現役であり続ける限り)追及していく。
「これでいい」と思える時が、あったとしたら。
それで終わってもいいくらいだ(いい、というかそれは終わっていることを意味すると思う。
......
踊っている者、踊っていく者として“踊り”というジャンルに限定していえば。
「これでいい」ということが無い、だから踊り続けるのだと思う。
わたしみたいな「踊る阿呆」は時に、ちょっとだけ「今回ちょっと好かったンちゃうん?」と。
ひとりごちる、ことがある。
ほんのひと時、舞台を降りた後の昂揚感と興奮に包まれている瞬間に。
その舞台の熱が冷め冷静さを取り戻すと、やっぱりまだまだ足りない、、ということに気づかされる。。。
あれを、もっと。もっと、こうすればと必ず思う。
自分の踊りは、これでいいなどと思えたら。
最早、終わってる。
お前は、もう死んでいる(わたしに対してです。
だから答えの出ない、ゴールの見えない道をひたすら踊りながら進むしかない。
完ぺきも完成も存在しない。
それは、この世で最も尊敬している我が師匠であっても同じのようだ。
だから、わたしは師匠を尊敬できるのだと思う。
......
勝ち負けも、きっとこの世界には存在しない。
あるとすれば舞台あるいは芸を競う、ただそれだけ。
甲乙をつける人が、あるとすればそれは観客だけ。
それだから数多くの舞台人、舞踊家という人が在っても成り立つはずで。
勝ったの負けたの、などと踊る自身がいうこと(思うこと)があるとすればナンセンスな話で。
ぁぁ、また書いちゃった(笑。
捨ておけば、ょぃものを。
......
若さというエネルギーの、やり場に困り果てているわたしを。
昔は、そうだったはずの母R子が。
あっさりと。
踊りという芸も金では買えないし、また身に着いたそれも誰も奪っていかないのだし。
そう言って(慰めてくれたんだろうか。。
「あんたは、あんたのすべきことをただしなさい。」
そうなると、これは踊るしか、、ないんだよねぇ...。
そして、わたしには“育む”という仕事もある。
雑念や雑言に耳を貸したり心を乱されてる場合じゃ、ないってこと。。