2町内、各のこり1日ずつ仕上げに参上すればよいところまで辿り着きました。
踊ラー各位の熱意と祭りにかけるパッションに、
わたしも大いに刺激されましたですよ♪
さて今度は、ぃょぃょ勉強会の第二部(振付作品)に取り掛かるとしよう。
しかし、ちょっと気を許すと脳内musicが「ゴリマッチョ」な曲になって(鳴って?)しまうので気をつけないと!
わたしは日本人ならでは?の謙遜は美徳という考え方が好きではありません。
なので我が子であっても好いところは認め、それを他者に伝えることを憚らない。
“豚児”などと表する意味が、わかりませんね。
(確かに“とんま”なところはあるけれども?豚じゃなくて馬か?)
...
我が子こと娘M嬢またの名を“まきたん”は親に似ず気立てのよい真面目な子です。
母R子が我が孫をして、また我が子と比べて感心するほどです。
しかしながら「真面目に勉強する」が、イコール「成績のよい」「頭がよい」と同義で無いことは。
賢明な読者さまなら察しのつくところかと思われます...。
勉強ができるタイプの子には二通りありまして。
ものすごく努力して好成績をキープする類と、さほど頑張っていないようだができる子と。
2パターンあるものです。
そして我が子は、そのどちらにも属していません。
しかし自学は身内が驚くほど頑張っているのです、そうです。
そのおかげで辛うじて中の上の辺りに、ある(いる?)ことができるのだと思われ。
逆をいえば、この日々の頑張りがなければ。
いったい、どの位置にいることになるのでしょう?
...
それは、さて置き。
昨日、数学の単元テストで。
正の数、負の数ですか。8割の合格ラインは死守したものの。
大きな赤い×印を、もらってきた解答を見てみますと。
1/2-(-2/3)=
という問題でした。懐かしいですな。
これは、いわゆる。
プラとプラはプラで、マイナとマイナもプラで。
プラマイナはマイナで、マイナプラもマイナになる(とM嬢が覚えていた。
そういう点を理解しているかどうか?を確認するためのもので。
そこのところは、どうやら一応の理解を示していると思われたのですが、、
そんなM嬢の解答は『1』。。。
解答欄に、でっかく“1”と書いて思いっきりペケされていました。
確かにマイナマイナでプラスになる、ところはわかっている。
ということは、わたしにもわかりました。
しかし、わたしにわからなかったのは。
少なくとも「1」という、キッパリとした(?)数には成り得ないんじゃないかと。
瞬時に計算ができないとしても(M嬢は分数の計算がゃゃ苦手です。
二分の一と三分の二を足しても、まちがいなく1にはならない。
というようなことが感覚?で、わからないものかと。
そこが不思議でたまらなかったのであります。。
そこで、わたしは得意のピザを使って説明してみました。
(以下)
一枚のピザを半分ずつにしたものの、ひと切れが“まきたんの分”(トップ画像)。
同じく三等分したものの、ふた切れが“まきたんの分”(2枚目画像)。
まきたんの分を合わせたら1枚のピザになりますか?
すると、まきたんが、、
「そっか~♪ピザ丸ごと1枚よりは多いね~(^◇^)♪」
そういわれるとわかるんだけど???
きっと彼女の中には...
「数学の先生も、まきたんの大好物のピザかケーキで説明してくれるといいんだけど♪」
という希望が広がったことと思います。。。
思いますが。
なにしろ中学生なんでね、あなた。(無理っす)
G学院中から電話が入った。
昨日の午後。隣のクラスの担任の先生からだった。
咄嗟に「何かあったか?」「何かやったか!」と思う。
しかし、モノスヤとは違い(今のところ)何かやらかして呼び出されるような気配の無い子だ。
親に似ず真面目な子なのだ。
電話の内容は学院の隣り学区で強盗?事件が発生し、ナイフ?(カッター?)を持った犯人が逃走中だと。
そのため集団下校の措置が取られるため学区外の生徒に関しては迎えにきてほしい、との旨。
先生は、かなり慌てている風だった。
昨日は、そもそも職員会議で5時限。
15時には迎えに出る予定になっていたが、それより下校完了が20分早まったとのこと。
台所に立っていたわたしは、エプロンを外し急ぎ学校へ向かった(電話をもらったのが14時15分を過ぎていたのだ。
...
想像どおり学校前は騒然としており、かなりの台数が並んで待っている。
いつものように校門から見渡せる辺りに車を停め、M嬢を待つことにした。
次から次と生徒が出ては消えしていくが一向にM嬢の姿は見えない。
10分15分経っても、その姿が見えない。
すると道路上で、わたしの車に横づけして何やら大声で叫ぶ人がある。
「窓を開けて~」と聞こえるので、そちらに顔を向けると。
どうやら、わたしに何か叫んでいるらしい。
訝しげに窓を下げると、その方(見知らぬ人だが保護者の方だった)が曰くには。
「中に入って、お子さんの名前をいわないと引き渡してもらえませんよ~。」
(゜Д゜) ハア??と思ったが、まずは親切な方にお礼を言って。
車から降りて中に入った。
先生が、いちいち生徒の名前を聞いては校舎内に入っていき。
その子を伴って出てくる。
M嬢も、すこし経って出てきた。
先生に、お礼と帰りの挨拶をして車に乗り込んだ。
乗り込んだものの内心、幼稚園児じゃないんだからさ~と悪態をついた。
事件が起こり安全対策に万全を期そう?とする意図は、わからなくは無い。
無いけれども過剰過ぎやしないか?
保護者のふりをして校舎に近づき、いきなり先生を切りつけるとか。
もし、わたしが犯罪者なら?そんなこともしかねないよな、とか(?)
考えたりもする、キリも限りも無い。
玄関から見える位置に停めて待っているのだから「親が来た」と告げて走ってきたらィィではないの?
それなのに生徒は外から(ぃゃ外を)見えない教室に待機させられていたそうだ。
そして保護者が来るまで、そこで足止めされていた(らしい。
しかし車で送迎されている子は遅かれ誰かが迎えにくるだろうけど?
学区外からチャリ通している子は、どうしたのか?
チャリを置いて迎えを待っていた、のでは?というのがMの話。
そういえば、わたしが待っている間にチャリで帰って行った子は見かけなかった。
......
大事を取るのは、わかるんだけれども。
今は昔(わたしの学生時代)とは違い殺伐としては、いるけれども。
わたしらの時にも事件は、あったし。
不審者も露出狂も変態も出たし。
追いかけられたり付けまわされたり狙われたり手を掴まれたり、
ジャーンと見たくも無いモノを見せられたりとか頻繁にあったけど。
そういう時は逃げなさい。大声出して逃げるか店か(他所の)家に飛び込め、とか。
そんな風にしか教わらなかった、ような気がする。
それでも?それだから?なんとなく気配で、これは怪しいとか。
ヤバイっぽい、みたいな感覚で危険を回避していたように思うけど。
どうなんでしょ?
小学校の低学年のうちから隣り学区まで習い事に通ったりして、
そこに今ほどの危険は無かったかもしれないけれど。
決して安全では無かった、でも何となく回避してこれたのは。
時代と運のよさ、だけなんだろうか?
それじゃまるで怪我をしては困るので(カッターやハサミを使って)ミシン目を入れました、
という授業に使う資料みたいで。
本当の安全対策って、そこなのか?と疑問に思うのと変わらない気がするんですけど。
使わないと危なさが、わからないし。
怪我もしてみないと気をつける術がない。
子供たちを守るという大義名分は昨日のような件では果たされているように思えもするけれど。
それは行政と学校の連携による保身?のような気もしてくるし、
それは保護者があまりにもうるさ過ぎる現状が背景なんだろうけどさ~。
過保護過ぎやしない?
そうやって守ったり先回りしたりして転ばぬ杖を渡し過ぎて、
いざ社会に出て自分一人でサア!
もう大人なんだから、サア!といわれても戸惑うのは彼ら彼女らだよねぇ?
もうちょっと逞しく且つ敏感に育てたいものなんですけど??