昨日、花柳流の普通部試験に於いて、娘M嬢こと“のまき”が「花柳仲真央~はなやぎなかまお~」のお名前を許されましたので、ご報告いたします。
おかげ様で我が師、登代仲を取立師匠に、わたしにとっては新しい妹名取が増えました。
この場で恥を忍んで書きますと実は挑戦したのは上級試験でした。
流儀の試験制度は改革がなされ、まだ新制度への移行の途中と理解していますが、
その中でも普通部試験には「初級」「上級」の段階わけがなされ、
初級に合格すれば花柳流のお名前が許され、上級は更に上の専門部試験(師範試験)受験資格が得られるというものに変わりました。
娘は、その道を本業にするかどうかは今の時点で全く白紙ですが、
わが家は母(娘にとっては祖母)が師匠をしており、わたしもこれを仕事にしていますので。
流れからいっても師範試験を受験することは必然と思っており本人も、それは自覚しているようです。
もちろん、まだ15の齢であり先の話にはなりますが、
お名前をいただくことは、その長い師範への道のスタートになると考え。
受験資格を得られる「上級」のお試験を受験することにしていました。
わたしは昨日の試験時間に、お使いを言い付けられ地下鉄一駅離れた場所に出ておりまして。
用事も済み朝に飲み損ねたコーヒーを飲みながら知らされた試験予定時刻を過ごしていました。
すこし時間がかかると想定し別に足を伸ばそうとも思ったのですが、
なんとなくそんな気分にもならず会場最寄りの駅まで移動。
ちょうど構内を出ようとする頃にPHSのライトに気づき、あわてて取り上げると。
娘本人からのメールで、
「落ちた。なるはやで来てください。」
とのこと、いそぎ会場への足を速めました。
控え室前のスペースに泣き顔の娘と疲れた表情の師匠が並んでいましたが、
悪い結果だったわりに着替えを解くわけでもなく。
そこに佇んでいるので、とにかく話を聞くと。
「上級」としては不合格だが、「初級」の合格はいただき。
無事に、お名前は頂戴できるのだということでした。
受験の新システムに不慣れなわたし達は、そのような措置もあることを初めて知りました。
その後も、お試験は続いており(娘は一番最初の組でした)、
その間に他所の先生方から様々お話を伺うに従い、
娘が上級試験に落ちた事情も飲み込めてきましたし、再挑戦させる気持ちが固まり本人も納得していったようでした。
さかのぼると、わたしも15の夏に受験をし一度、不合格となっています。
その時のことを振り返ってみても、まだまだ勉強が不足でなぜ落ちたのかが今となれば理解できます。
そして2度目の挑戦で合格させていただくまで貴重な機会をいただき、
それが今の自分を支えているとも思えます。
もちろん試験ですので合格するに越したことは無いですし、
本人はもとより連れて行った師匠の心中を察すると。
言葉も失いそうでしたが・・・
わたしに与えられた師匠と娘の間をつなぐ役目が、いま最も必要とされていると思い、
いろいろと話をしまして。
まずは来春に決まった、わたしの主宰の会が娘にとっての名取としての初舞台になりますので、
それに向けての稽古に励みながら、
またあらためて上級試験の受験準備をしましょうと。
そういう結論になりました。
ここまで来ましたので本当は、なるべく早く受験した方が精神衛生上はよいとは思うのですが。
現状から成長が見えなければ、また受験しても結果は同じこと。
ならば、じっくりと時間をかけて、
来秋の今の時期に受験したらよいのではないかという結論になりました。
わたしは試験会場には入れませんので、師匠と本人から話を聞くだけでしたが、
それでもこれからの課題が具体的に見つかりましたので。
そこを成長の目標に稽古を重ねるべく導いていきたいと思います。
師匠、登代仲の仲の一字をいただき、娘の本名の一字を取り、
三文字目に選んだ文字は裾が広がる縁起のよい「央」。
わが家で応援しているフィギュアスケートの浅田真央選手の真央の字と重なり、
読みやすく呼びやすい、とても好い名前をいただくことができましたので。
真っ直ぐ真ん中を、
ゆっくりでいいので進んでほしいと思います。
わたしも仲真央の、よき手本となりますよう益々、精進していきますので、
どうぞこれからも花柳登代仲と花柳仲登嗣。
そして新たに花柳仲真央を宜しくお願い申し上げます。
おかげ様で我が師、登代仲を取立師匠に、わたしにとっては新しい妹名取が増えました。
この場で恥を忍んで書きますと実は挑戦したのは上級試験でした。
流儀の試験制度は改革がなされ、まだ新制度への移行の途中と理解していますが、
その中でも普通部試験には「初級」「上級」の段階わけがなされ、
初級に合格すれば花柳流のお名前が許され、上級は更に上の専門部試験(師範試験)受験資格が得られるというものに変わりました。
娘は、その道を本業にするかどうかは今の時点で全く白紙ですが、
わが家は母(娘にとっては祖母)が師匠をしており、わたしもこれを仕事にしていますので。
流れからいっても師範試験を受験することは必然と思っており本人も、それは自覚しているようです。
もちろん、まだ15の齢であり先の話にはなりますが、
お名前をいただくことは、その長い師範への道のスタートになると考え。
受験資格を得られる「上級」のお試験を受験することにしていました。
わたしは昨日の試験時間に、お使いを言い付けられ地下鉄一駅離れた場所に出ておりまして。
用事も済み朝に飲み損ねたコーヒーを飲みながら知らされた試験予定時刻を過ごしていました。
すこし時間がかかると想定し別に足を伸ばそうとも思ったのですが、
なんとなくそんな気分にもならず会場最寄りの駅まで移動。
ちょうど構内を出ようとする頃にPHSのライトに気づき、あわてて取り上げると。
娘本人からのメールで、
「落ちた。なるはやで来てください。」
とのこと、いそぎ会場への足を速めました。
控え室前のスペースに泣き顔の娘と疲れた表情の師匠が並んでいましたが、
悪い結果だったわりに着替えを解くわけでもなく。
そこに佇んでいるので、とにかく話を聞くと。
「上級」としては不合格だが、「初級」の合格はいただき。
無事に、お名前は頂戴できるのだということでした。
受験の新システムに不慣れなわたし達は、そのような措置もあることを初めて知りました。
その後も、お試験は続いており(娘は一番最初の組でした)、
その間に他所の先生方から様々お話を伺うに従い、
娘が上級試験に落ちた事情も飲み込めてきましたし、再挑戦させる気持ちが固まり本人も納得していったようでした。
さかのぼると、わたしも15の夏に受験をし一度、不合格となっています。
その時のことを振り返ってみても、まだまだ勉強が不足でなぜ落ちたのかが今となれば理解できます。
そして2度目の挑戦で合格させていただくまで貴重な機会をいただき、
それが今の自分を支えているとも思えます。
もちろん試験ですので合格するに越したことは無いですし、
本人はもとより連れて行った師匠の心中を察すると。
言葉も失いそうでしたが・・・
わたしに与えられた師匠と娘の間をつなぐ役目が、いま最も必要とされていると思い、
いろいろと話をしまして。
まずは来春に決まった、わたしの主宰の会が娘にとっての名取としての初舞台になりますので、
それに向けての稽古に励みながら、
またあらためて上級試験の受験準備をしましょうと。
そういう結論になりました。
ここまで来ましたので本当は、なるべく早く受験した方が精神衛生上はよいとは思うのですが。
現状から成長が見えなければ、また受験しても結果は同じこと。
ならば、じっくりと時間をかけて、
来秋の今の時期に受験したらよいのではないかという結論になりました。
わたしは試験会場には入れませんので、師匠と本人から話を聞くだけでしたが、
それでもこれからの課題が具体的に見つかりましたので。
そこを成長の目標に稽古を重ねるべく導いていきたいと思います。
師匠、登代仲の仲の一字をいただき、娘の本名の一字を取り、
三文字目に選んだ文字は裾が広がる縁起のよい「央」。
わが家で応援しているフィギュアスケートの浅田真央選手の真央の字と重なり、
読みやすく呼びやすい、とても好い名前をいただくことができましたので。
真っ直ぐ真ん中を、
ゆっくりでいいので進んでほしいと思います。
わたしも仲真央の、よき手本となりますよう益々、精進していきますので、
どうぞこれからも花柳登代仲と花柳仲登嗣。
そして新たに花柳仲真央を宜しくお願い申し上げます。