球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

芸術をやる条件

2004-11-04 | 初期の投稿
今日は比較的まともなことを書いてみます。
(よってオリジナリティには欠けるものとなるでしょう)

あまり個人プロフィールで強く言ってはいませんが、
僕はチェロという楽器を弾いています。
あまりプッシュしてはいませんが僕はその楽器をそれなりに愛していますし、
楽器の性能の良さや隠れた人気を知って顔をほころばせることもあります。
ですが、あまりそれを前面に出すことはしません。
自分の好きなものを自信を持って発信することが苦手なのです。
(今までのBlogでもあまり責任を必要とする内容の投稿はしていないことに気づかれると思います。)
ちなみに11/7に演奏会を迎えます。

まあそのような背景のもと考えることが一つ。
絵画だろうと音楽だろうと、芸術に携わる人がある一線を越えたいとき、
五感のどこかを研ぎ澄まさなければならないことに気づきます。

音楽ならば「耳」です。
「他の人の音を良く聞いて、演奏する。
 自分の音をよく聞いて、その音が音楽的かそうでないかを見極める。」
言葉にするとここまでシンプルで、且つ説得力のないモットーが生まれます。

説得力がないというのは、
「他の人の音を聞かず、自分の音が音楽的でないことを構わず演奏する」
というモットーをもって練習をする人などまずいないから、
その言葉がどうしても当たり前のことを言っているようにしか感じられないことが多いという意味です。
別な言い方をすれば、行動を改善するトリガーとしてはインパクトに欠けるということです。
実際は、その言葉の意味を理解するために一生すらかかってしまうということなど思いもよらず。

クラシック業界でいうところの「耳がいい」とは、
指揮者なら各プレーヤの音が聞き分けられるぐらいのことを指すようです。
音程の良し悪しやリズムの不揃いを聞き分けるにとどまらず…

芸術家なら、もっとそれに近づく努力(結局耳に意識を集中させるということですが…)をしないと、
どこかで取り残されてしまう。
そんなことを今日は考えていました。

もっとうまい言い回しが思いついたら、またこのテーマで書きます。

コメント (2)
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