春深き足尾の町を徘徊る 笑子
はるふかきあしおのまちをたもとほる
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小滝坑 ここへ来たのは何年ぶりだろう
最盛期には1万人が暮らした地
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渡良瀬川の支流、庚申(こうしん)川に沿い
かつての小滝坑を中心とした鉱山集落
昭和29年小滝坑閉鎖、社宅撤去となった
昭和29年小滝坑閉鎖、社宅撤去となった
下の写真は なんだと思いますか??
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坑夫のお風呂跡なんですね
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初めてここへ来たときに とても切ない気持ちになったのですよね
過酷な労働を強いられていた人たちが1日のノルマから
解き放たれ 体を洗っていたところ・・・
この大きさでは すし詰め状態だったか
それでも、この入浴のひとときこそ
坑夫らの安らぎのひとときだったにちがいありません
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上の写真は火薬庫跡
この場所の隅のほうに・・・↓
これはドリルか何かでここの鉱物の成分を調べたのでしょうか?
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私が最初訪れたころは 社宅の名残もあったのですが
今は当時を偲ばせる遺構はほんの少しになっています
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私は「足尾」という町に
言葉ではうまく表現できないけど
なぜか惹かれるのですよね
足尾に人が住み始めたのは石器時代とのこと
畑地からやじりや石器縄文式土器などが発見されてるそう
奈良・平安時代にはすでに集落ができ足尾開発が進みます
その後は 室町時代から武士が移住して開発するとともに
農業集落を支配しました
慶長15年 銅の鉱脈が2人の農夫によって発見され
以来町は銅山により繁栄します
銅山は幕府の直轄下におかれ多くの労働者が採掘と製錬を行い
江戸の中期には足尾千軒と呼ばれるほどの繁栄を示しました
その後の衰退と鉱毒事件
時代に翻弄された町なのです
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明日は精錬所跡へご案内します(^_-)-☆
徘徊る・・・私は読めなかったです。
たもとおる・・・あちこち歩きまわるのですね。
まさに俳諧ですね。
私は逍遥するぐらいか浮かばないです。
いつの世も底辺で働く人々が居るものですね。
過酷な環境でもそこで働くしかない。
汗と涙の物語がたくさんあったことでしょうね。
たもとほる、難しい! 電子辞書にある用例は
万葉集の歌でした古くからの言葉なのですね
小滝坑閉鎖、特別な年だったんだ私の誕生年
楕円形の構造物すぐに分かりましたよ、同じ
形状の炭住の共同浴場に入っていましたから
外側はぬるくて子供、中央が熱く大人でした
筑豊の炭鉱です、風呂床屋水道ガス電気無料
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👴今日は之から週に一度の食料買い出しに出かける為に、明日ゆっくりと再訪させて頂きま~す!
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🔷それではまた明日まで・👋・👋~イ!
今日のブログで、こた母も足尾にひかれました!
色んなドラマがあったんでしょうね。
お風呂は、分からなかったです。
外と内の二重構造?
ススで汚れた体を、洗ったんでしょうね~。
なんか、切ないね。
凸
笑子さんの写真と.説明で
グッと掘り下げることが出来ました。
多謝します ♪~
せつなさは感じられませんでした
これだけの廃坑になるとそれを感じますね
☆
ただ、足尾銅山があった地域・・と言うだけで見学しましたが
時代とは言え過酷な生活だったんだなぁーと思い知りました。
そういう所を見に行くのも意義がありますね。
ポチ☆彡×2
足尾は栄枯盛衰、
江戸の頃は江戸幕府を
明治以降は
日本の近代化を支えた歴史があります。
中国や朝鮮からも多くの労働者が来て
パチンコ屋さんも労働者の娯楽として発展したそうです。
桐生のパチンコメーカーの元も足尾だったそうです。
何もかも歴史の1ページですね。
たもとおる。なんですね。
炭鉱の町〜かつて勢いと活気が
みなぎっていたことでしょう。
この浴場も賑やかだったでしょうね〜凸2