一昨年の台風19号が上陸した深夜に天国へ旅立ってから一年以上が過ぎました。ここで、水彩画イラストレーター「林 真理」の軌跡をまとめてみようと思います。彼女と出会ったのは、1988年の初夏でした。私はある受験雑誌のアートディレクターをしていました。女性を描けるイラストレーターを探していて、友人のイラストレーター二人がやっている事務所に問い合わせてみました。そこで、うちでアルバイトしている真理ちゃんはどう。まだ学生だけどと。彼女は21歳、私は33歳でした。年の差は12歳。やがて突然に彼女と結婚するよと言った時、友人達からは嫉妬轟々でしたが、皆祝福してくれ結婚祝福パーティーを開催してくれました。そして、新婚旅行はなんとアマゾン(笑)。ツアーではありません。全て私が手配しました。当時はポルトガル語がほぼできたので(今は怪しい)、そんな旅も可能でした。新婚旅行を撮影したビデオが3時間あまりあるのですが、小舟をチャーターしてピラニア釣りに行き、現地の家で昼食したりナマケモノや大嫌いな大蛇と遭遇したり、アマゾン川の支流の村で子供達と交流したり水彩画を描いたり、ジャングルの四ツ星ホテルに滞在と、アマゾンを満喫して心から楽しんでいる彼女が印象的に映っています。
当時はまだバブル景気。打ち合わせも事務所のあった原宿の喫茶店やカフェで。お昼も一時間でグルメの仕事もしていたので、原宿やときには恵比寿まで足を伸ばす余裕がありました。土井善晴さん、平野レミさん、ジュディ・オングさんなどとレギュラーの仕事を。芸能人や文化人との仕事も数しれず。女子高生や女子大生を集めてのシンクタンクも。原宿も活気がありました。最大の邂逅は、プライベートで竹下通りに現れたエリザベス・テイラーを間近で見られたこと。若い恋人や友人達と一緒でした。何度かの打ち合わせの後、酔った私は忘年会で隣りにいた彼女の手をずっと握っていたと後で彼女から聞きました(笑)。そして、彼女とはいつしか付き合うようになりました。凄く感性が合うんですね。二人共、映画やテレビやネットサーフィン、ゲームなどの受け身の鑑賞だけでなく、自ら創造し発信することが何より大好きでした。
ホテルオークラの飲食関係の部長をしていた義父が(後にエンタープライズの社長に。そんな関係で我家のイベントはいつもホテルオークラでした)、彼が私の郷里に疎開していたことも因縁かと。翌年の梅雨の晴れ間。打ち合わせの後で、彼女を原宿駅まで送っていく途中、「私、今日誕生日なの」と。待っててといって目の前のコープオリンピアの高級生花店へ。1万円で真紅の薔薇の凄く大きな花束を作ってもらい、おめでとうと言って渡しました。それが実質的なプロポーズでした。
結婚生活は奇妙なもので、夫婦でありながら彼女を本物のイラストレーターにするために厳しい指導もしなければなりません。上手くいったのは、そのオンとオフの切り替えが、二人共完璧にできたということです。年の差が功を奏したのかも知れません。私は妹が二人のためか父性が強いのです。よく女性から包容力があると言われました。アートディレクターとして、彼女には実力以上の要求をしてきました。彼女は相当苦しんだと思いますが、見事に応えてくれました。要求は感情的なものではなく、極めて緻密で具体的なものです。結婚前の彼女は、泣いて帰ったこともあったと言っていました。やがて、業界でも認められ始め、大手のクライアントからの仕事も来るようになりました。水彩画フード・イラストというジャンルも確立しました。プランタン銀座でのカフェメニュー教室や自由が丘や調布での絵画教室も好評でした。マスコミにも出るようになりました。二人でコラボして作ったパナソニックのカレンダーは優秀賞に、ネット社会の歩き方という教育サイトは文科省のコンペで最優秀賞になりEテレでも放映されました。他にも数々の受賞歴があります。彼女は最高の妻であり、最高の同士でした。彼女には、もっともっと活躍し続けて欲しかった。運命なのかもしれませんが、本当に大切な人でした。
◆Mari Watercolor Cafe(水彩画ギャラリー)
2008年までの彼女の作品や活動の記録です。一緒に企画と構成を考え、私がサイトを作り運営しています。特に、SchoolとWorksは、彼女の活動の幅と深さが分かるでしょう。それ以後は、彼女のブログ「マリンアイランド」でご覧いただけます(現在は長男が運営)。マリンアイランドやマリングルメ、Mari Watercolor Cafeは、私の命名です。もちろんマリンの元は彼女の名前から来ています。何度も彼女と歩いた湘南の海岸を思い出します。
そのスペシャル・ギャラリーから。私が彼女に提案したケーキショップの四季シリーズ。銀座で開催した初めての個展でも大反響を呼んだ作品達です。左はスプリング(春)がテーマ。春の喜びと華やかさ。右はメイ(5月)がテーマです。右にショウウィンドウのガラスの映る並木の葉の影。かなり大きな作品です。銀座での個展は大盛況でした。その後、自由が丘で開催したり、仙川などでも開催したり。いずれも大盛況でした。私も超多忙でしたが、パンフレットやポスターを作ったり、企画のアドバイスをしたりと、全力で彼女をサポートしました。写真のスウィーツは、どこかのお店のものではなく、すべて彼女の創作です。家族の誕生日やクリスマスなどには、こんなケーキを作ってくれました。
バレンタインデーがテーマの作品。この作品のポスターが右上に掛かっています。その中にもそのポスターがという永遠に続くレトリック。これを提案したのは私ですが、彼女はそれを見事に描きあげてくれました。右はイタリアン・レストランの一作。マルゲリータのシズル感(美味しそうに見えること)が、最大の魅力です。あるイタリアン・レストランで使っていただきました。水彩画でのフードイラストというジャンルを確立しました。
とある猫好きの紳士からの依頼で描いた猫の絵。原画はかなり大きいです。それは依頼者の元にありますが、それを大きな見開きの絵本にしました。彼女には珍しく水彩絵の具ではなく、アクリル絵の具です。我が家は猫好きなのです。私の村上春樹さんのブログに、「ピーター・キャット」のマッチのチェシャ猫と、猫と猫と猫の物語」があります。猫好きの人は必読です。村上春樹さんと猫の秘密も。
彼女の実家が横浜の郊外だったので、小さな息子達を連れてよく江ノ島や湘南海岸、鎌倉に行きました。横浜中華街や元町へも。サイト「マリングルメ」でご覧いただけます。右は高速ドリブルで男子を翻弄するサッカー少女。息子二人は、日本代表も出たことのあるサッカークラブで活躍していました。私がそこのロゴマークを作りました。そのクラブの親子サッカーで、4ゴール3アシストをしたこともありました。私自身、中学生時代はサッカー小僧だったので、大好きなのです。彼女もサッカーが大好きで、ワールドカップの時は、家族で日本代表のユニを着て応援していました。
長男を妊娠してお腹が大きくなった時、彼女と仙川へ買い物に行く道すがら熟年の紳士とすれ違ったんのですが、驚愕の表情。一見女子高生みたいなお腹の大きな女の子と、私も結婚間際の過労で新宿の有名な漢方薬の店に行った時に年齢を言ったら、薬医の方がえっ!て叫ぶほど若く見えたのですが、30代。これは父もそうですが若く見えるのは我が家の遺伝子なのです。思わず二人で振り返って苦笑いしました。医療関係の記事も担当していたので、会陰切開とか授乳不全とか産後鬱の知識もありました。そんなわけで、最大限彼女をサポートしました。出産というのは大変な事なのです。育児もそうですが、夫が全力でサポートすべきものなのです。それができない社会は、それ自体が間違っているのです。
私が探していたのはこういうイラストでした。ある受験雑誌のモノクロページの扉のイラストです。出版社の担当者にも大好評でした。右は、ある大手新聞社のPR誌のアートディレクターをしていた時に、私がたてた絵本の特集企画で描いてもらった不思議の国のアリス。美少女を描くのも非常に得意でした。長男出産当時人気だった育児漫画も描いていたのですが、中途半端になると思いどちらかに専念するようにアドバイスをしました。彼女が選んだのは水彩画でした。当時のイラスト入りの育児日記は爆笑もので最高です。二人共仕事で激務でしたが、子育てを思い切り楽しんでいました。面白すぎて長男をいじって遊んでいたら、話し始めたばかりなのに「僕はおもちゃじゃない」と言われて二人で「え!」と顔を見合わせて驚いたこともありました。胎内記憶に興味があったので、子供が生まれて言葉を覚え始めたら、お腹の中にいた時の話を必ず聞きました。特に次男は未熟児で生まれたのですが、なんで早く出てきちゃったのと聞いたら、外が楽しそうだったからと言いました。彼女と爆笑しました。胎内記憶は3歳位で消える(忘れる)ので、言葉を覚え始めた頃に聞くといいです。
その他に彼女のために作ったサイトが二つあります。adobeがフラッシュのサポートを今年で中止するために、上にあるフラッシュムービーが消えています。いずれhtml5に変換してアップするつもりですが、なかなか時間が取れません。ただ、サイトのコンテンツは最高です。見ごたえがあります。アイデアや技術的なことは、私も協力しています。
◆Mari's Handcrafts Room(クラフトギャラリー)
仕事はもちろん子育てで忙しいのに、時間があると工作もしていました。そのDNAは、息子達にも受け継がれ、「T&T STUDIO」というペーパークラフトのサイトがあります。彼らもテレビ(日本テレビのスッキリ!)やラジオ、新聞に載ったり、個展もしていました。こちらも必見です。世界中からアクセスがあります。現在は二人共大学を卒業し、社会人として活躍しています。時々私とも遊んでくれます(笑)。彼女が亡くなってから、正月は彼らと過ごすのですが、グルメ三昧、温泉三昧、古刹めぐり三昧です。コロナ禍で、今回は色々違ったものになりました。
Mari's Handcrafts Roomからの抜粋。ミニ工作の教室。机はかまぼこ板。腰板はアイスの棒です。家族で登った多摩や神奈川、山梨の山で拾った木の枝や実で作ったキャンドルスタンド。彼女のイラストがプリントされたミニトートバッグ。麻が好きな彼女が自然素材で作ったアクセサリー。これら以外の作品は、上のMari's Handcrafts Roomのサイトでご覧いただけます。とにかく彼女も私も常に何かを創造し追い求めていないと駄目なんです。で、お互いにこれどう思うとかどうしたらいいかななどと話し合っていました。そこには12歳の年齢差は関係ありません。彼女もですが私も彼女のアドバイスにどれだけ助けられたことか。
◆マリングルメ(317のオリジナルレシピ集)プランタン銀座のエコールプランタンでのカフェメニュー教室も
317のレシピ集は、和食(信州郷土料理も)・洋食・中華(横浜中華街仕込み)・エスニック(ブラジル料理なども)・スウィーツ・ドリンクのオリジナルレシピ集でお役立ちコンテンツ。料理制作は主に彼女が、レシピは二人で、スタイリストは彼女が、撮影は私が担当しました。もちろん料理は家族でいただきました。
レシピ集からの抜粋。左から日本料理から信州の郷土料理丸茄子のおやき。私の母から彼女へ伝授されたもの。人体に有害な砂糖は入れません。水に沈む緻密なナスと信州麹味噌の旨味で充分美味です。西洋料理からイタリア・ミラノのママの味オッソブッコ。味のポイントは、アンチョビーとレモン。中華は、おそらく他でレシピはないであろう梅干菜扣肉(メイガンツァイコウロウ)。中国東江地方の伝統的な客家(ハッカ)料理の一つです。彼女と二人で二日がかりで作りました。激旨ですが、あまりにも大変で一度しか作ったことがありません。横浜中華街でも出している店はないのでは?あったら教えてほしいです。エスニック料理からは、アマゾンのソッパ。これは私がアマゾンで教えてもらい彼女に伝授したもの。先住民が、装飾や虫除けとして体に塗るウルクンという赤い木の実の粉を入れたコロラウという独特な調味料を使います。味にくせが無く、日本人にもなじみやすい料理で、わが家の夏の定番料理の一つになっていました。ブラジリアンのソウルフード、フェイジョアーダのレシピもあります。タイ料理の鯖と発酵タケノコのカレーは、新橋のタイ料理店で習得。デザートからは、アンズとチーズの春巻きパイ。仲人をしてくれたあんずの里森の伯父が毎年杏を贈ってくれていました。最後は飲み物から麦茶オレ。不思議なんですが、麦茶にミルクを入れるとコーヒー牛乳の味がするんです!他にはお茶の本を作った時にスタッフに大好評だった抹茶ビールなども。317のオリジナル・レシピがあります。お役に立つと思います。ご利用ください。プロがやる基本の出汁の取り方も。
そして、プランタン銀座でのカフェメニュー教室。これは、私が企画して売り込んだもので、4年続きました。二人の合作で、半分ぐらいは私の創作レシピです。サインボードやランチョンマットも二人で相談してデザインしました。Worksに載せていますが、お茶を使ったレシピ集の本とかパナソニックの世界の料理を載せたカレンダーも制作しました。自由が丘の会社から依頼されたエコバッグや大手ゲームメーカーのジグソーパズルも作りました。ウィークデイは超多忙だった私も、週末は家事や子育てもして彼女をサポートしました。彼女はフリーランスなので、月曜日に提出ということもあったので、サポートが必要でした。出勤時間が遅かったので、息子を保育園に送り届けたことも度々。しかし、改めてサイトを隅々まで見ると、よくこれだけできたなと思います。好きだからこそでしょうね。息子達にも、好きなことをやりなさい。儲かるとか時代の最前線とかで職業を選ぶと本当に危機に陥った時に乗り越えられない。時代もすぐに変わる。本当に好きなら乗り越えられると言いました。彼らは、そういう職業について頑張っています。
プランタン銀座のエコールプランタンでのカフェメニュー教室の作品。ブラジリアンカフェと最後の教室となったクリスマスカフェ。サインボードやランチョンマットは、二人のデザイン。レシピも二人で作り上げました。私は超多忙な本業、アートディレクターの仕事もありましたが、最大限協力しました。で、家族でトレッキングをしたり、深大寺や野川公園や多摩川にサイクリングしたり、子供達のサッカークラブの撮影をしてサイトを運営したり、展覧会をしたり、テレビや新聞などマスコミの取材を受けたりと。今思うとよくできたなと思いますが。好きなことをしているので、二人共充実していて楽しさで乗り切れていたのでしょうね。
彼女の家はインドア派でしたが、信州の山猿と結婚したことでアウトドア派になりました、それが彼女が自然を描くきっかけにもなりました。左から、次男が2歳半の時に登った世界一登山者の多い高尾山の、最も長い稲荷山コースを登った時のもの。アメリカンのおばさんが、まだ赤ちゃんじゃないのと驚いていました。通常の2倍の時間をかけて登りました。子供の登山については、「キッズトレッキングのアドバイス」という記事を載せているので下のリンクをクリックしてください。非常に大切な記事です。次は冬の三国山へヴァージン・スノーのトレッキング。足跡が全く無い雪山を家族で登りました。次は拙書でも紹介の根子岳の山頂。最後は、山梨の牛ノ寝通りの登山道などない幻の30mを超える大栃を見に行った帰りに、登山道に戻るためにとんでもない急登を登る我が家。息子達が小さなころから登山道などないバリエーションルートを登っていました。ある意味究極のサバイバルレッスンでした。そのために、ネットや現地で充分すぎる下調べをし、万一の場合のことも考えました。それでも迷ったこともあります。そういう時には、私が分かっていても息子たちに地図を見せて考えさせたりしました。
●「キッズ・トレッキング」のアドバイス。(信州妻女山里山通信):子連れ登山の大切な要項です。特に5歳未満のトレッキングには、絶対に知っておかなければならない重要なことがあります。ぜひ見てください。
●MORI MORI KIDS 低山トレッキング・レポート:東京、神奈川、山梨、長野の里山のトレッキング・フォトレポートです。2000年から2014年まで。それ以降は、このブログにアップしています。ユーチューブでも下記のサイトでスライドショーがご覧いただけます。
●saijouzan:現在Googleのアホ仕様でログインできなくなっています。なのでコメントに関する返答はcapinoの別アカウントでしています。東京や神奈川、山梨や信州の里山や亜高山のトレッキングのフォトレポートです。
彼女は業界では有名なので、検索すれば私以上に彼女の画像が出てきますが、そういうところでは絶対に出ない彼女をアップします。一番左は、婚約中の正月に私の実家に帰省したときのもの。22歳。まだ学生で、卒業制作を製作中だったり、卒業生総代で答辞を話すことになり、その相談を受けたりしていた頃です。千曲川の堤防で。身長は157センチで小柄なのですが、小顔でスレンダーなのでフォトジェニックです。次は新婚旅行で行ったアマゾンで、彼女がピラニアを釣り上げたところ。彼女はアマゾンを満喫していました。次は私の妹の結婚式で帰省した時。27歳。左の様な学生っぽさが抜けて、大人びて美しくなりました。一番右は次男が小学校入学の時。34歳。家庭も仕事も充実して、表情にも自信とゆとりが感じられます。私はバブル崩壊で逆に超多忙になり、過労から二度ほど死にかけました。それも私が仕事大好き人間でワーカホリックだったからなのですが。彼女には随分と迷惑もかけてしまい世話にもなりました。いつも明るく優しく私のことを気遣ってケアしてくれました。本当に感謝しています。
実は彼女とは、一度も夫婦喧嘩をしたことがないのです。もちろん怒鳴ったことも、暴力をふるったこともありません。人間関係で悩んで泣きながら相談されたこともありましたが、自信を失わないようにケアしました。それは子供達に対しても同様で、問題を起こしても反省していることを分かっていたので叱ることもしませんでした。勉強しろと言ったことは一度もありません。好きなことをとことんやらせる。意見を聞き考えさせるけれど、極力指示はしない。アドバイスは優しく的確に。子育てで彼女と意見が割れたことも一度もありませんでした。彼女以上の女性にはもう出会えないでしょう。もし出会えたら、それは天国の彼女からの奇跡のプレゼントでしょうね。息子達も彼女のことをおかあさんとかママではなく。赤ん坊の頃から、真理ちゃんと呼んでいました。それは私が彼女をそう呼んでいたからです。子供が生まれると呼び名がおかあさんとかママになってしまう家が多いと思いますが、そういう普通名詞で呼ぶことに抵抗を感じていたので真理ちゃんと。息子達もそれに習ったわけです。物心がついてからは、お母さんになりました。彼女も私も海外生活の経験や海外の友人もたくさんいたので、出かける時や帰宅時は、必ずハグしてキスしていました。息子達もそれを見て育ちました。昔の日本の様に、スキンシップを大事にしていました。
●高木紗友希「逢いたくていま」カバー
最後に彼女と会った時、抱きしめてキスをして愛してるよと言った時、彼女は絶対良くなるからまた会いに来てねと言いました。それは叶わぬ夢でした。彼女を守りきれなかった負い目を私は背負って生きていきます。でも、それは負の遺産ではありません。前を向いて進みます。それが彼女の願いだと分かっているからです。そういう人でした。永遠に愛しています。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせか、メッセージからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
当時はまだバブル景気。打ち合わせも事務所のあった原宿の喫茶店やカフェで。お昼も一時間でグルメの仕事もしていたので、原宿やときには恵比寿まで足を伸ばす余裕がありました。土井善晴さん、平野レミさん、ジュディ・オングさんなどとレギュラーの仕事を。芸能人や文化人との仕事も数しれず。女子高生や女子大生を集めてのシンクタンクも。原宿も活気がありました。最大の邂逅は、プライベートで竹下通りに現れたエリザベス・テイラーを間近で見られたこと。若い恋人や友人達と一緒でした。何度かの打ち合わせの後、酔った私は忘年会で隣りにいた彼女の手をずっと握っていたと後で彼女から聞きました(笑)。そして、彼女とはいつしか付き合うようになりました。凄く感性が合うんですね。二人共、映画やテレビやネットサーフィン、ゲームなどの受け身の鑑賞だけでなく、自ら創造し発信することが何より大好きでした。
ホテルオークラの飲食関係の部長をしていた義父が(後にエンタープライズの社長に。そんな関係で我家のイベントはいつもホテルオークラでした)、彼が私の郷里に疎開していたことも因縁かと。翌年の梅雨の晴れ間。打ち合わせの後で、彼女を原宿駅まで送っていく途中、「私、今日誕生日なの」と。待っててといって目の前のコープオリンピアの高級生花店へ。1万円で真紅の薔薇の凄く大きな花束を作ってもらい、おめでとうと言って渡しました。それが実質的なプロポーズでした。
結婚生活は奇妙なもので、夫婦でありながら彼女を本物のイラストレーターにするために厳しい指導もしなければなりません。上手くいったのは、そのオンとオフの切り替えが、二人共完璧にできたということです。年の差が功を奏したのかも知れません。私は妹が二人のためか父性が強いのです。よく女性から包容力があると言われました。アートディレクターとして、彼女には実力以上の要求をしてきました。彼女は相当苦しんだと思いますが、見事に応えてくれました。要求は感情的なものではなく、極めて緻密で具体的なものです。結婚前の彼女は、泣いて帰ったこともあったと言っていました。やがて、業界でも認められ始め、大手のクライアントからの仕事も来るようになりました。水彩画フード・イラストというジャンルも確立しました。プランタン銀座でのカフェメニュー教室や自由が丘や調布での絵画教室も好評でした。マスコミにも出るようになりました。二人でコラボして作ったパナソニックのカレンダーは優秀賞に、ネット社会の歩き方という教育サイトは文科省のコンペで最優秀賞になりEテレでも放映されました。他にも数々の受賞歴があります。彼女は最高の妻であり、最高の同士でした。彼女には、もっともっと活躍し続けて欲しかった。運命なのかもしれませんが、本当に大切な人でした。
◆Mari Watercolor Cafe(水彩画ギャラリー)
2008年までの彼女の作品や活動の記録です。一緒に企画と構成を考え、私がサイトを作り運営しています。特に、SchoolとWorksは、彼女の活動の幅と深さが分かるでしょう。それ以後は、彼女のブログ「マリンアイランド」でご覧いただけます(現在は長男が運営)。マリンアイランドやマリングルメ、Mari Watercolor Cafeは、私の命名です。もちろんマリンの元は彼女の名前から来ています。何度も彼女と歩いた湘南の海岸を思い出します。
そのスペシャル・ギャラリーから。私が彼女に提案したケーキショップの四季シリーズ。銀座で開催した初めての個展でも大反響を呼んだ作品達です。左はスプリング(春)がテーマ。春の喜びと華やかさ。右はメイ(5月)がテーマです。右にショウウィンドウのガラスの映る並木の葉の影。かなり大きな作品です。銀座での個展は大盛況でした。その後、自由が丘で開催したり、仙川などでも開催したり。いずれも大盛況でした。私も超多忙でしたが、パンフレットやポスターを作ったり、企画のアドバイスをしたりと、全力で彼女をサポートしました。写真のスウィーツは、どこかのお店のものではなく、すべて彼女の創作です。家族の誕生日やクリスマスなどには、こんなケーキを作ってくれました。
バレンタインデーがテーマの作品。この作品のポスターが右上に掛かっています。その中にもそのポスターがという永遠に続くレトリック。これを提案したのは私ですが、彼女はそれを見事に描きあげてくれました。右はイタリアン・レストランの一作。マルゲリータのシズル感(美味しそうに見えること)が、最大の魅力です。あるイタリアン・レストランで使っていただきました。水彩画でのフードイラストというジャンルを確立しました。
とある猫好きの紳士からの依頼で描いた猫の絵。原画はかなり大きいです。それは依頼者の元にありますが、それを大きな見開きの絵本にしました。彼女には珍しく水彩絵の具ではなく、アクリル絵の具です。我が家は猫好きなのです。私の村上春樹さんのブログに、「ピーター・キャット」のマッチのチェシャ猫と、猫と猫と猫の物語」があります。猫好きの人は必読です。村上春樹さんと猫の秘密も。
彼女の実家が横浜の郊外だったので、小さな息子達を連れてよく江ノ島や湘南海岸、鎌倉に行きました。横浜中華街や元町へも。サイト「マリングルメ」でご覧いただけます。右は高速ドリブルで男子を翻弄するサッカー少女。息子二人は、日本代表も出たことのあるサッカークラブで活躍していました。私がそこのロゴマークを作りました。そのクラブの親子サッカーで、4ゴール3アシストをしたこともありました。私自身、中学生時代はサッカー小僧だったので、大好きなのです。彼女もサッカーが大好きで、ワールドカップの時は、家族で日本代表のユニを着て応援していました。
長男を妊娠してお腹が大きくなった時、彼女と仙川へ買い物に行く道すがら熟年の紳士とすれ違ったんのですが、驚愕の表情。一見女子高生みたいなお腹の大きな女の子と、私も結婚間際の過労で新宿の有名な漢方薬の店に行った時に年齢を言ったら、薬医の方がえっ!て叫ぶほど若く見えたのですが、30代。これは父もそうですが若く見えるのは我が家の遺伝子なのです。思わず二人で振り返って苦笑いしました。医療関係の記事も担当していたので、会陰切開とか授乳不全とか産後鬱の知識もありました。そんなわけで、最大限彼女をサポートしました。出産というのは大変な事なのです。育児もそうですが、夫が全力でサポートすべきものなのです。それができない社会は、それ自体が間違っているのです。
私が探していたのはこういうイラストでした。ある受験雑誌のモノクロページの扉のイラストです。出版社の担当者にも大好評でした。右は、ある大手新聞社のPR誌のアートディレクターをしていた時に、私がたてた絵本の特集企画で描いてもらった不思議の国のアリス。美少女を描くのも非常に得意でした。長男出産当時人気だった育児漫画も描いていたのですが、中途半端になると思いどちらかに専念するようにアドバイスをしました。彼女が選んだのは水彩画でした。当時のイラスト入りの育児日記は爆笑もので最高です。二人共仕事で激務でしたが、子育てを思い切り楽しんでいました。面白すぎて長男をいじって遊んでいたら、話し始めたばかりなのに「僕はおもちゃじゃない」と言われて二人で「え!」と顔を見合わせて驚いたこともありました。胎内記憶に興味があったので、子供が生まれて言葉を覚え始めたら、お腹の中にいた時の話を必ず聞きました。特に次男は未熟児で生まれたのですが、なんで早く出てきちゃったのと聞いたら、外が楽しそうだったからと言いました。彼女と爆笑しました。胎内記憶は3歳位で消える(忘れる)ので、言葉を覚え始めた頃に聞くといいです。
その他に彼女のために作ったサイトが二つあります。adobeがフラッシュのサポートを今年で中止するために、上にあるフラッシュムービーが消えています。いずれhtml5に変換してアップするつもりですが、なかなか時間が取れません。ただ、サイトのコンテンツは最高です。見ごたえがあります。アイデアや技術的なことは、私も協力しています。
◆Mari's Handcrafts Room(クラフトギャラリー)
仕事はもちろん子育てで忙しいのに、時間があると工作もしていました。そのDNAは、息子達にも受け継がれ、「T&T STUDIO」というペーパークラフトのサイトがあります。彼らもテレビ(日本テレビのスッキリ!)やラジオ、新聞に載ったり、個展もしていました。こちらも必見です。世界中からアクセスがあります。現在は二人共大学を卒業し、社会人として活躍しています。時々私とも遊んでくれます(笑)。彼女が亡くなってから、正月は彼らと過ごすのですが、グルメ三昧、温泉三昧、古刹めぐり三昧です。コロナ禍で、今回は色々違ったものになりました。
Mari's Handcrafts Roomからの抜粋。ミニ工作の教室。机はかまぼこ板。腰板はアイスの棒です。家族で登った多摩や神奈川、山梨の山で拾った木の枝や実で作ったキャンドルスタンド。彼女のイラストがプリントされたミニトートバッグ。麻が好きな彼女が自然素材で作ったアクセサリー。これら以外の作品は、上のMari's Handcrafts Roomのサイトでご覧いただけます。とにかく彼女も私も常に何かを創造し追い求めていないと駄目なんです。で、お互いにこれどう思うとかどうしたらいいかななどと話し合っていました。そこには12歳の年齢差は関係ありません。彼女もですが私も彼女のアドバイスにどれだけ助けられたことか。
◆マリングルメ(317のオリジナルレシピ集)プランタン銀座のエコールプランタンでのカフェメニュー教室も
317のレシピ集は、和食(信州郷土料理も)・洋食・中華(横浜中華街仕込み)・エスニック(ブラジル料理なども)・スウィーツ・ドリンクのオリジナルレシピ集でお役立ちコンテンツ。料理制作は主に彼女が、レシピは二人で、スタイリストは彼女が、撮影は私が担当しました。もちろん料理は家族でいただきました。
レシピ集からの抜粋。左から日本料理から信州の郷土料理丸茄子のおやき。私の母から彼女へ伝授されたもの。人体に有害な砂糖は入れません。水に沈む緻密なナスと信州麹味噌の旨味で充分美味です。西洋料理からイタリア・ミラノのママの味オッソブッコ。味のポイントは、アンチョビーとレモン。中華は、おそらく他でレシピはないであろう梅干菜扣肉(メイガンツァイコウロウ)。中国東江地方の伝統的な客家(ハッカ)料理の一つです。彼女と二人で二日がかりで作りました。激旨ですが、あまりにも大変で一度しか作ったことがありません。横浜中華街でも出している店はないのでは?あったら教えてほしいです。エスニック料理からは、アマゾンのソッパ。これは私がアマゾンで教えてもらい彼女に伝授したもの。先住民が、装飾や虫除けとして体に塗るウルクンという赤い木の実の粉を入れたコロラウという独特な調味料を使います。味にくせが無く、日本人にもなじみやすい料理で、わが家の夏の定番料理の一つになっていました。ブラジリアンのソウルフード、フェイジョアーダのレシピもあります。タイ料理の鯖と発酵タケノコのカレーは、新橋のタイ料理店で習得。デザートからは、アンズとチーズの春巻きパイ。仲人をしてくれたあんずの里森の伯父が毎年杏を贈ってくれていました。最後は飲み物から麦茶オレ。不思議なんですが、麦茶にミルクを入れるとコーヒー牛乳の味がするんです!他にはお茶の本を作った時にスタッフに大好評だった抹茶ビールなども。317のオリジナル・レシピがあります。お役に立つと思います。ご利用ください。プロがやる基本の出汁の取り方も。
そして、プランタン銀座でのカフェメニュー教室。これは、私が企画して売り込んだもので、4年続きました。二人の合作で、半分ぐらいは私の創作レシピです。サインボードやランチョンマットも二人で相談してデザインしました。Worksに載せていますが、お茶を使ったレシピ集の本とかパナソニックの世界の料理を載せたカレンダーも制作しました。自由が丘の会社から依頼されたエコバッグや大手ゲームメーカーのジグソーパズルも作りました。ウィークデイは超多忙だった私も、週末は家事や子育てもして彼女をサポートしました。彼女はフリーランスなので、月曜日に提出ということもあったので、サポートが必要でした。出勤時間が遅かったので、息子を保育園に送り届けたことも度々。しかし、改めてサイトを隅々まで見ると、よくこれだけできたなと思います。好きだからこそでしょうね。息子達にも、好きなことをやりなさい。儲かるとか時代の最前線とかで職業を選ぶと本当に危機に陥った時に乗り越えられない。時代もすぐに変わる。本当に好きなら乗り越えられると言いました。彼らは、そういう職業について頑張っています。
プランタン銀座のエコールプランタンでのカフェメニュー教室の作品。ブラジリアンカフェと最後の教室となったクリスマスカフェ。サインボードやランチョンマットは、二人のデザイン。レシピも二人で作り上げました。私は超多忙な本業、アートディレクターの仕事もありましたが、最大限協力しました。で、家族でトレッキングをしたり、深大寺や野川公園や多摩川にサイクリングしたり、子供達のサッカークラブの撮影をしてサイトを運営したり、展覧会をしたり、テレビや新聞などマスコミの取材を受けたりと。今思うとよくできたなと思いますが。好きなことをしているので、二人共充実していて楽しさで乗り切れていたのでしょうね。
彼女の家はインドア派でしたが、信州の山猿と結婚したことでアウトドア派になりました、それが彼女が自然を描くきっかけにもなりました。左から、次男が2歳半の時に登った世界一登山者の多い高尾山の、最も長い稲荷山コースを登った時のもの。アメリカンのおばさんが、まだ赤ちゃんじゃないのと驚いていました。通常の2倍の時間をかけて登りました。子供の登山については、「キッズトレッキングのアドバイス」という記事を載せているので下のリンクをクリックしてください。非常に大切な記事です。次は冬の三国山へヴァージン・スノーのトレッキング。足跡が全く無い雪山を家族で登りました。次は拙書でも紹介の根子岳の山頂。最後は、山梨の牛ノ寝通りの登山道などない幻の30mを超える大栃を見に行った帰りに、登山道に戻るためにとんでもない急登を登る我が家。息子達が小さなころから登山道などないバリエーションルートを登っていました。ある意味究極のサバイバルレッスンでした。そのために、ネットや現地で充分すぎる下調べをし、万一の場合のことも考えました。それでも迷ったこともあります。そういう時には、私が分かっていても息子たちに地図を見せて考えさせたりしました。
●「キッズ・トレッキング」のアドバイス。(信州妻女山里山通信):子連れ登山の大切な要項です。特に5歳未満のトレッキングには、絶対に知っておかなければならない重要なことがあります。ぜひ見てください。
●MORI MORI KIDS 低山トレッキング・レポート:東京、神奈川、山梨、長野の里山のトレッキング・フォトレポートです。2000年から2014年まで。それ以降は、このブログにアップしています。ユーチューブでも下記のサイトでスライドショーがご覧いただけます。
●saijouzan:現在Googleのアホ仕様でログインできなくなっています。なのでコメントに関する返答はcapinoの別アカウントでしています。東京や神奈川、山梨や信州の里山や亜高山のトレッキングのフォトレポートです。
彼女は業界では有名なので、検索すれば私以上に彼女の画像が出てきますが、そういうところでは絶対に出ない彼女をアップします。一番左は、婚約中の正月に私の実家に帰省したときのもの。22歳。まだ学生で、卒業制作を製作中だったり、卒業生総代で答辞を話すことになり、その相談を受けたりしていた頃です。千曲川の堤防で。身長は157センチで小柄なのですが、小顔でスレンダーなのでフォトジェニックです。次は新婚旅行で行ったアマゾンで、彼女がピラニアを釣り上げたところ。彼女はアマゾンを満喫していました。次は私の妹の結婚式で帰省した時。27歳。左の様な学生っぽさが抜けて、大人びて美しくなりました。一番右は次男が小学校入学の時。34歳。家庭も仕事も充実して、表情にも自信とゆとりが感じられます。私はバブル崩壊で逆に超多忙になり、過労から二度ほど死にかけました。それも私が仕事大好き人間でワーカホリックだったからなのですが。彼女には随分と迷惑もかけてしまい世話にもなりました。いつも明るく優しく私のことを気遣ってケアしてくれました。本当に感謝しています。
実は彼女とは、一度も夫婦喧嘩をしたことがないのです。もちろん怒鳴ったことも、暴力をふるったこともありません。人間関係で悩んで泣きながら相談されたこともありましたが、自信を失わないようにケアしました。それは子供達に対しても同様で、問題を起こしても反省していることを分かっていたので叱ることもしませんでした。勉強しろと言ったことは一度もありません。好きなことをとことんやらせる。意見を聞き考えさせるけれど、極力指示はしない。アドバイスは優しく的確に。子育てで彼女と意見が割れたことも一度もありませんでした。彼女以上の女性にはもう出会えないでしょう。もし出会えたら、それは天国の彼女からの奇跡のプレゼントでしょうね。息子達も彼女のことをおかあさんとかママではなく。赤ん坊の頃から、真理ちゃんと呼んでいました。それは私が彼女をそう呼んでいたからです。子供が生まれると呼び名がおかあさんとかママになってしまう家が多いと思いますが、そういう普通名詞で呼ぶことに抵抗を感じていたので真理ちゃんと。息子達もそれに習ったわけです。物心がついてからは、お母さんになりました。彼女も私も海外生活の経験や海外の友人もたくさんいたので、出かける時や帰宅時は、必ずハグしてキスしていました。息子達もそれを見て育ちました。昔の日本の様に、スキンシップを大事にしていました。
●高木紗友希「逢いたくていま」カバー
最後に彼女と会った時、抱きしめてキスをして愛してるよと言った時、彼女は絶対良くなるからまた会いに来てねと言いました。それは叶わぬ夢でした。彼女を守りきれなかった負い目を私は背負って生きていきます。でも、それは負の遺産ではありません。前を向いて進みます。それが彼女の願いだと分かっているからです。そういう人でした。永遠に愛しています。
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