先日、妻女山奥の陣場平へ帰化植物の除去をした帰りに、実山椒と山蕗を採ろうと下ると、旧知のS夫妻が大量の山蕗を採っていました。なんでも伽羅蕗を待っている人が10人ぐらいいるそうです。作り方は古典的なもので、水を一切使わず砂糖と醤油で2週間かけて煮詰めていくというもの。大変ですね。
世間話をしながら採取。すると猪平(いのたいら)という四阿のある綺麗な公園が深い山の中にあるけど、人に出会ったことがないという不思議なところなのと。帰って調べてみると、長野市南部の篠山(しのやま)と分かりました。6日は暑くなるそうなので、避暑を兼ねて行ってみました。
(左)長野市篠ノ井塩崎の長谷寺(奈良長谷寺の開基より百年前に創建されたと伝えられ、奈良・鎌倉と並び「日本三所長谷観音」と称される)から山道を登っていきます。ほぼ全面舗装ですが、「ポツンと一軒家」に出てくるような細い道です。危険すぎて右が切れ落ちているところでは撮影できませんでした。軽自動車なら余裕でしょうけど、ガードレールがないので脇見運転は厳禁です。(右)ウィーゴカントリー倶楽部の南側を巻いて林道を登っていくと、南側が上になっているアバウトな絵地図が。残念ながら長野市のこの手の看板はレベルが低いです。妻女山展望台の看板など最悪です。太陽光の影響も考慮していないので数年でボロボロです。しかも色々間違っているし、実際の地形と全く違うし。観光客の評判も悪い。私はエンバイロメント・グラフィックスとかインフォメーション・デザインのデザインやアートディレクションもやっていたので、オンブズマンとして参加させて欲しいです。観光立県なのですから、もっとレベルを上げて欲しいものです。
(左)最後は未舗装の道を登ります。(右)けっこう広い駐車場。右下にもあって20台ぐらいは余裕で止められます。山林作業の邪魔になるので、林道上には止めないでの標識。拙書でもそのことを記していますが、大事なことなんです。最近は、ハーベスターなどの高性能の林業機械も入りますから。
(左)フタリシズカ(二人静)。(右)林道を登るとすぐに「市民ふれあいの森公園」。四阿とベンチやテーブルがたくさんあります。下草も綺麗に刈られていてよく手入れがされていますが、人影がまったくありません。善光寺平の多くの場所から見える大きな里山なんですが、篠山という名前を知らない人がほとんどでしょう。高句麗の王族、前部秋足(ぜんぶのあきたり)が延暦18年(799)に篠井性を下賜(かし)されており、篠ノ井の地名の元となったのですが、篠山の語源でもあるのでしょう。この時、多くの高句麗の豪族が帰化しています。高句麗人はツングース系で石の文化を持つ民族で、長野市には高句麗式積石塚古墳として大室古墳群が、多くが破壊されましたが妻女山にもあります。陣場平奥には堂平積石塚古墳群があります。日本に馬産を伝えた人々といわれています。
四阿から東方の長め。左に延びる戸神山脈の先端は、私がホームフィールドとする妻女山山系です。梅雨が近づいて空気が湿っているためか風景が霞んでいます。麓は暑そうですが、ここは下から吹き上げる風が快適です。ツツジの名所だそうですが、ほぼ咲き終わっていました。
眼下は屋代の市街地。遠くに先日登った大松山。手前の御姫山と大嵐山は、地味で静かな戸神山脈の里山ですが、拙書にも載せています。トレランの人がよく走る尾根です。御姫山と大嵐山は、千葉から来た80歳の男性が、拙書の山で登ったことがない山が二つだけあると言った山です。
右へ目を向けると鏡台山。双耳峰の真ん中に満月が昇ると鏡台に見えるといいます。姨捨の棚田から見た鏡台山に登る月を描いた歌川広重の「田毎の月」は有名です。あら!鏡台山の北峰と南峰の表示が、左右逆です。困ったもんです。
◉歌川(安藤)広重「信濃 更科 田毎月 鏡台山」でキノコ狩り。クリタケとナメコを300本ぐらい採取。妻女山の秋模様(妻女山里山通信)
更に右へ目をやると坂城、上田方面。眼下に千曲川。村上義清の葛尾城跡の左上は五里ヶ峯。前述の鏡台山と五里ヶ峯を経由して、長野県歴史博物館を起点終点として、戸神山脈と五一山脈を結ぶ周回コースは、トレランの人に人気です。拙書の、妻女山と鏡台山と五里ヶ峯の地図を3枚つなげると、コースの全体が分かります。
(左)公園にはツツジ科のシャクナゲが。他に海を渡る蝶、アサギマダラが大好きなフジバカマや、オオルリシジミの食草のクララなどが見られました。(右)下草や笹が綺麗に刈られた公園の森。向こうには池もあります。この一帯は、干害保安林です。埴科、更科や小県は、瀬戸内と同じくらい雨の少ないところなので、溜池がたくさんあります。
(左)モクレン科のホウノキ。蓮に似た白い花は日本の樹木で一番大きく、実は赤いパイナップルの様で、南洋の香りがします。(右)太い白樺の森があったり。篠山への登山道入り口を見落として歩いた林道の先には、ドイツトウヒの森。偶然にワラビの群生地を見つけて採りました。
(左)戻って篠山への登山道を発見。(右)階段が続きますが山頂はすぐそこ。
(左)約5分で山頂へ。907.7mです。(右)笹が刈り払われて三角点があります。眺望はほとんどありません。ここから西へ300mほど行くと、915mの高圧線鉄塔のあるピークがあるのですが。まあいいでしょう。下って四阿でお昼にしました。フォッカッチャにレタス、スライスチーズ、ビアソーセージ、オリーブ油とタルタルソースを挟んで。美味しいけどなにか足りないなと。トマトを入れ忘れました。
帰りはあの狭い道を下るのは嫌なので、ゴルフ場の正門へ向かって北の信更町へ下り70号線を稲荷山へ。篠山へは、こちらのルートがおすすめです。今回は、長谷寺に参拝できなかったのですが、いずれ。特に1802年に建てられた鐘楼の見事な木彫が誰の制作か気になります。諏訪立川流か大隅流か、他の流派か。ここから塩崎城跡や小坂山経由で登るコースもあります。
さて、開けて7日は朝から雨模様。信州も梅雨に入った様です。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
世間話をしながら採取。すると猪平(いのたいら)という四阿のある綺麗な公園が深い山の中にあるけど、人に出会ったことがないという不思議なところなのと。帰って調べてみると、長野市南部の篠山(しのやま)と分かりました。6日は暑くなるそうなので、避暑を兼ねて行ってみました。
(左)長野市篠ノ井塩崎の長谷寺(奈良長谷寺の開基より百年前に創建されたと伝えられ、奈良・鎌倉と並び「日本三所長谷観音」と称される)から山道を登っていきます。ほぼ全面舗装ですが、「ポツンと一軒家」に出てくるような細い道です。危険すぎて右が切れ落ちているところでは撮影できませんでした。軽自動車なら余裕でしょうけど、ガードレールがないので脇見運転は厳禁です。(右)ウィーゴカントリー倶楽部の南側を巻いて林道を登っていくと、南側が上になっているアバウトな絵地図が。残念ながら長野市のこの手の看板はレベルが低いです。妻女山展望台の看板など最悪です。太陽光の影響も考慮していないので数年でボロボロです。しかも色々間違っているし、実際の地形と全く違うし。観光客の評判も悪い。私はエンバイロメント・グラフィックスとかインフォメーション・デザインのデザインやアートディレクションもやっていたので、オンブズマンとして参加させて欲しいです。観光立県なのですから、もっとレベルを上げて欲しいものです。
(左)最後は未舗装の道を登ります。(右)けっこう広い駐車場。右下にもあって20台ぐらいは余裕で止められます。山林作業の邪魔になるので、林道上には止めないでの標識。拙書でもそのことを記していますが、大事なことなんです。最近は、ハーベスターなどの高性能の林業機械も入りますから。
(左)フタリシズカ(二人静)。(右)林道を登るとすぐに「市民ふれあいの森公園」。四阿とベンチやテーブルがたくさんあります。下草も綺麗に刈られていてよく手入れがされていますが、人影がまったくありません。善光寺平の多くの場所から見える大きな里山なんですが、篠山という名前を知らない人がほとんどでしょう。高句麗の王族、前部秋足(ぜんぶのあきたり)が延暦18年(799)に篠井性を下賜(かし)されており、篠ノ井の地名の元となったのですが、篠山の語源でもあるのでしょう。この時、多くの高句麗の豪族が帰化しています。高句麗人はツングース系で石の文化を持つ民族で、長野市には高句麗式積石塚古墳として大室古墳群が、多くが破壊されましたが妻女山にもあります。陣場平奥には堂平積石塚古墳群があります。日本に馬産を伝えた人々といわれています。
四阿から東方の長め。左に延びる戸神山脈の先端は、私がホームフィールドとする妻女山山系です。梅雨が近づいて空気が湿っているためか風景が霞んでいます。麓は暑そうですが、ここは下から吹き上げる風が快適です。ツツジの名所だそうですが、ほぼ咲き終わっていました。
眼下は屋代の市街地。遠くに先日登った大松山。手前の御姫山と大嵐山は、地味で静かな戸神山脈の里山ですが、拙書にも載せています。トレランの人がよく走る尾根です。御姫山と大嵐山は、千葉から来た80歳の男性が、拙書の山で登ったことがない山が二つだけあると言った山です。
右へ目を向けると鏡台山。双耳峰の真ん中に満月が昇ると鏡台に見えるといいます。姨捨の棚田から見た鏡台山に登る月を描いた歌川広重の「田毎の月」は有名です。あら!鏡台山の北峰と南峰の表示が、左右逆です。困ったもんです。
◉歌川(安藤)広重「信濃 更科 田毎月 鏡台山」でキノコ狩り。クリタケとナメコを300本ぐらい採取。妻女山の秋模様(妻女山里山通信)
更に右へ目をやると坂城、上田方面。眼下に千曲川。村上義清の葛尾城跡の左上は五里ヶ峯。前述の鏡台山と五里ヶ峯を経由して、長野県歴史博物館を起点終点として、戸神山脈と五一山脈を結ぶ周回コースは、トレランの人に人気です。拙書の、妻女山と鏡台山と五里ヶ峯の地図を3枚つなげると、コースの全体が分かります。
(左)公園にはツツジ科のシャクナゲが。他に海を渡る蝶、アサギマダラが大好きなフジバカマや、オオルリシジミの食草のクララなどが見られました。(右)下草や笹が綺麗に刈られた公園の森。向こうには池もあります。この一帯は、干害保安林です。埴科、更科や小県は、瀬戸内と同じくらい雨の少ないところなので、溜池がたくさんあります。
(左)モクレン科のホウノキ。蓮に似た白い花は日本の樹木で一番大きく、実は赤いパイナップルの様で、南洋の香りがします。(右)太い白樺の森があったり。篠山への登山道入り口を見落として歩いた林道の先には、ドイツトウヒの森。偶然にワラビの群生地を見つけて採りました。
(左)戻って篠山への登山道を発見。(右)階段が続きますが山頂はすぐそこ。
(左)約5分で山頂へ。907.7mです。(右)笹が刈り払われて三角点があります。眺望はほとんどありません。ここから西へ300mほど行くと、915mの高圧線鉄塔のあるピークがあるのですが。まあいいでしょう。下って四阿でお昼にしました。フォッカッチャにレタス、スライスチーズ、ビアソーセージ、オリーブ油とタルタルソースを挟んで。美味しいけどなにか足りないなと。トマトを入れ忘れました。
帰りはあの狭い道を下るのは嫌なので、ゴルフ場の正門へ向かって北の信更町へ下り70号線を稲荷山へ。篠山へは、こちらのルートがおすすめです。今回は、長谷寺に参拝できなかったのですが、いずれ。特に1802年に建てられた鐘楼の見事な木彫が誰の制作か気になります。諏訪立川流か大隅流か、他の流派か。ここから塩崎城跡や小坂山経由で登るコースもあります。
さて、開けて7日は朝から雨模様。信州も梅雨に入った様です。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。地形図掲載は本書だけ。立ち寄り温泉も。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。