ここのところ最高気温はやや高めですが、朝晩は霜が降りる様になって遅れていた里山の紅葉も進みました。晩秋のキノコを求めて撮影がてら妻女山山系を巡ってみました。
(左)食菌のシロシメジ。白い傘に薄茶の斑模様があります。妻女山山系では割りと希少なキノコですが美味です。よくいわれる様な苦味は、ありません。傘は最初内巻きに巻いていますが、時間が経つと写真の様に縁が開きます。旨味成分は、松茸の2倍以上といわれるホンシメジ(大黒占地)とほぼ同じ。得も言われぬ旨さです。(中)シロシメジと間違いやすいシロノハイイロシメジ。白い傘の中心に灰褐色の色があります。シロシメジと非常に似ていますが、熱を加えると臭くてとても食べられません。アメリカではスカンクの臭いといわれているとか。間違えて1本でも鍋に入れたら全部捨てることになります。(右)苔むしたコナラの倒木に天然のナメコが一面に出ていました。栽培のものよりヌメリが強く味も濃厚です。湯がいてこれのおろし蕎麦は超絶美味。ほとんどがまだ幼菌だったので残してきました。誰も入らない深い谷なので先を越される心配もありません。
(左)晩秋の森の貴婦人、ムラサキシメジ。本当に美しい高貴な紫色ですが、この貴婦人はたいていお腹に蛆虫を飼っています。キノコを食べている小さな蛆虫で、食べても問題ありませんが、塩水に浸けて追い出します。たいてい軸の中に潜んでいます。豆腐と清し汁にすると本当に上品で美味ですが、フランスではピエ・ブルーという高級キノコで、クリームやバターとも合います。今回は100本以上採れました。(中)山桜の倒木に大量のムキタケ。やはり強いヌメリがあるハナイグチと一緒に煮込みうどんにすると絶品です。(右)コナラの倒木にアラゲキクラゲ。出たばかりで小さいものですがたくさん採れました。
(左)第四次川中島合戦の上杉謙信の本陣と伝わる斎場山(旧妻女山)。全国から歴史マニアや歴女が訪れます。(中)斎場山山頂。斎場山古墳で古代科野国の円墳です。拙書では写真と共に詳しく紹介しています。(右)松代夢空間の春の「妻女山 花と歴史のハイキング」で皆さんを案内した御陵願平にある大きなイノシシのヌタ場(泥浴び場)。雨が多いので水が満タンですが、足跡を見るとそう大きな個体はもういない様です。
燃える秋。斎場山への長坂峠から、謙信の陣城跡で我々妻女山里山デザイン・プロジェクトが保全活動をしている貝母の群生地がある陣馬平への途中の紅葉。赤いのは山桜で黄色はダンコウバイやコナラですが、コナラの黄葉は少し遅れています。
(左)天城山(てしろやま)の西に連なる芝山。この芝とはたぶんこの山に多いカンスゲかと思われます。今は亡き大事な山仲間だったKさんのログハウスの落葉松も黄葉しています。Kさんの弟さんと会社の方が二人いらして、美味しいキノコうどんをご馳走になりました。もちろん天然キノコです。(右)ログハウスから見上げる天城山。ヒヨドリの甲高い鳴き声が谷に響き渡ります。
(左・中)林道の脇にあった黄色いキノコ。調査中ですが、まだ同定できていません。ムラサキシメジの群生の中に見つけたマムシグサの真っ赤な実。誤って食べると口内が酷くただれます。虫も鳥も食べない冬に残っている実は、ほぼ全て毒と思って間違いありません。ヒヨドリジョウゴやアオツヅラフジも有毒です。
戊辰戦争以降の戦没者を祀った妻女山松代招魂社。本来ここは赤坂山なのですが、国土地理院が地形図を改定した際に妻女山としたために、現在はカーナビでも妻女山と打つとここが出ます。しかし、ここは謙信の本陣と伝わる場所ではありません。本陣は斎場山(旧妻女山)です。
戊辰戦争の会津戦争は、信州人同士の戦だったという歴史の悲劇です。上杉景勝の会津転封で、善光寺平の土豪達は家族家来が全て会津に移りました。加えて徳川家光の時代に、伊那高遠藩の保科正之が家光の腹違いの弟と判明し会津に転封。また信州人が行きました。この時、我が一族のものが同行し、後に豪商となって会津藩を支えました。会津は信州人が造った町ともいえるのです。また、妻女山麓にある会津比売(あいづひめ)神社の祭神である会津比売命と、福島の会津は古代において深い関係があるのです。ガイドでは、そんなこともお話しています。そして会津戦争で会津若松城をメリケン砲で攻撃し白虎隊殲滅に加わったのが松代藩でした。戦はいつの世も悲劇しか生みません。
妻女山展望台から松代方面のパノラマ。3枚の望遠カットをフォトショップで合成してあります。左に奇妙山、右に保基谷岳。真ん中の奥に根子岳と四阿山(あずまやさん)。四阿山は真田の修験者が篭って修行した名山です。山頂には、麓の真田氏が尊崇した山家神社の奥宮が二つあり、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が里宮に現存しています。宮司さんとは縁があり、拙書でもその歴史を詳しく紹介しています。右手前のプリン型の山が皆神山。その手前の長い尾根が佐久間象山の名前の由来となった象山。象山の山名は、江戸時代初期の禅僧隠元禅師に由来します。京都宇治市には、隠元禅師開山の萬福寺があります。日本にいんげん豆やスイカをもたらした禅僧です。
西北西を見ると白馬三山。右奥に神城断層地震で山頂が4割崩壊した虫倉山。その手前左が茶臼山。中腹は自然植物園や動物園、恐竜公園があります。手前の畑では、松代名産の長芋の収穫が進んでいます。とろろはインフルエンザの予防効果や膵臓癌の予防効果があるそうです。長芋100%のお好み焼きは美味です。展望台には、『真田丸』の効果で全国から歴史マニアや歴女が訪れます。週末も埼玉や神奈川、山梨からたくさんの観光客や歴史マニア、歴女が大勢訪れました。ボランティアでガイドをし、拙書も紹介しています。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
(左)食菌のシロシメジ。白い傘に薄茶の斑模様があります。妻女山山系では割りと希少なキノコですが美味です。よくいわれる様な苦味は、ありません。傘は最初内巻きに巻いていますが、時間が経つと写真の様に縁が開きます。旨味成分は、松茸の2倍以上といわれるホンシメジ(大黒占地)とほぼ同じ。得も言われぬ旨さです。(中)シロシメジと間違いやすいシロノハイイロシメジ。白い傘の中心に灰褐色の色があります。シロシメジと非常に似ていますが、熱を加えると臭くてとても食べられません。アメリカではスカンクの臭いといわれているとか。間違えて1本でも鍋に入れたら全部捨てることになります。(右)苔むしたコナラの倒木に天然のナメコが一面に出ていました。栽培のものよりヌメリが強く味も濃厚です。湯がいてこれのおろし蕎麦は超絶美味。ほとんどがまだ幼菌だったので残してきました。誰も入らない深い谷なので先を越される心配もありません。
(左)晩秋の森の貴婦人、ムラサキシメジ。本当に美しい高貴な紫色ですが、この貴婦人はたいていお腹に蛆虫を飼っています。キノコを食べている小さな蛆虫で、食べても問題ありませんが、塩水に浸けて追い出します。たいてい軸の中に潜んでいます。豆腐と清し汁にすると本当に上品で美味ですが、フランスではピエ・ブルーという高級キノコで、クリームやバターとも合います。今回は100本以上採れました。(中)山桜の倒木に大量のムキタケ。やはり強いヌメリがあるハナイグチと一緒に煮込みうどんにすると絶品です。(右)コナラの倒木にアラゲキクラゲ。出たばかりで小さいものですがたくさん採れました。
(左)第四次川中島合戦の上杉謙信の本陣と伝わる斎場山(旧妻女山)。全国から歴史マニアや歴女が訪れます。(中)斎場山山頂。斎場山古墳で古代科野国の円墳です。拙書では写真と共に詳しく紹介しています。(右)松代夢空間の春の「妻女山 花と歴史のハイキング」で皆さんを案内した御陵願平にある大きなイノシシのヌタ場(泥浴び場)。雨が多いので水が満タンですが、足跡を見るとそう大きな個体はもういない様です。
燃える秋。斎場山への長坂峠から、謙信の陣城跡で我々妻女山里山デザイン・プロジェクトが保全活動をしている貝母の群生地がある陣馬平への途中の紅葉。赤いのは山桜で黄色はダンコウバイやコナラですが、コナラの黄葉は少し遅れています。
(左)天城山(てしろやま)の西に連なる芝山。この芝とはたぶんこの山に多いカンスゲかと思われます。今は亡き大事な山仲間だったKさんのログハウスの落葉松も黄葉しています。Kさんの弟さんと会社の方が二人いらして、美味しいキノコうどんをご馳走になりました。もちろん天然キノコです。(右)ログハウスから見上げる天城山。ヒヨドリの甲高い鳴き声が谷に響き渡ります。
(左・中)林道の脇にあった黄色いキノコ。調査中ですが、まだ同定できていません。ムラサキシメジの群生の中に見つけたマムシグサの真っ赤な実。誤って食べると口内が酷くただれます。虫も鳥も食べない冬に残っている実は、ほぼ全て毒と思って間違いありません。ヒヨドリジョウゴやアオツヅラフジも有毒です。
戊辰戦争以降の戦没者を祀った妻女山松代招魂社。本来ここは赤坂山なのですが、国土地理院が地形図を改定した際に妻女山としたために、現在はカーナビでも妻女山と打つとここが出ます。しかし、ここは謙信の本陣と伝わる場所ではありません。本陣は斎場山(旧妻女山)です。
戊辰戦争の会津戦争は、信州人同士の戦だったという歴史の悲劇です。上杉景勝の会津転封で、善光寺平の土豪達は家族家来が全て会津に移りました。加えて徳川家光の時代に、伊那高遠藩の保科正之が家光の腹違いの弟と判明し会津に転封。また信州人が行きました。この時、我が一族のものが同行し、後に豪商となって会津藩を支えました。会津は信州人が造った町ともいえるのです。また、妻女山麓にある会津比売(あいづひめ)神社の祭神である会津比売命と、福島の会津は古代において深い関係があるのです。ガイドでは、そんなこともお話しています。そして会津戦争で会津若松城をメリケン砲で攻撃し白虎隊殲滅に加わったのが松代藩でした。戦はいつの世も悲劇しか生みません。
妻女山展望台から松代方面のパノラマ。3枚の望遠カットをフォトショップで合成してあります。左に奇妙山、右に保基谷岳。真ん中の奥に根子岳と四阿山(あずまやさん)。四阿山は真田の修験者が篭って修行した名山です。山頂には、麓の真田氏が尊崇した山家神社の奥宮が二つあり、真田幸隆が奉納した奥宮の漆塗りの扉が里宮に現存しています。宮司さんとは縁があり、拙書でもその歴史を詳しく紹介しています。右手前のプリン型の山が皆神山。その手前の長い尾根が佐久間象山の名前の由来となった象山。象山の山名は、江戸時代初期の禅僧隠元禅師に由来します。京都宇治市には、隠元禅師開山の萬福寺があります。日本にいんげん豆やスイカをもたらした禅僧です。
西北西を見ると白馬三山。右奥に神城断層地震で山頂が4割崩壊した虫倉山。その手前左が茶臼山。中腹は自然植物園や動物園、恐竜公園があります。手前の畑では、松代名産の長芋の収穫が進んでいます。とろろはインフルエンザの予防効果や膵臓癌の予防効果があるそうです。長芋100%のお好み焼きは美味です。展望台には、『真田丸』の効果で全国から歴史マニアや歴女が訪れます。週末も埼玉や神奈川、山梨からたくさんの観光客や歴史マニア、歴女が大勢訪れました。ボランティアでガイドをし、拙書も紹介しています。
◆『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。
★本の概要は、こちらの記事を御覧ください。
★お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
インタープリターやインストラクターのお申込みもお待ちしています。長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。
栽培ものの胞子がついたものか中尾山にも3か所、桜とミズナラの倒木に生えていました。
倒木が多い個所で三本のミズナラの倒木の端から順番に菌がつきなめことムキタケが生えていて三本目まで生え尽くしたようで今年は確認できませんでした。
何年か前に、のこぎりで倒木に傷をつけてなめこの菌床を数か所増やそうと試みましたが失敗しました。
モリモリさんも試みてはいかがでしょうか?
仲間とやっている椎茸の原木栽培の時にナメコも植えたのですが、失敗しました。
椎茸は叩いたり刺激を与えるといいのですが、
ナメコのホダ木は動かすと出ないそうで、なかなか難しいですね。
今年はジコボウが当たり年で、林道沿いだけで80本ぐらい採った人もいました。
個人的には、天然マイタケを3株採ったのがビンゴでした。
モリモリキッズさんのキノコのフィールドではどうでしたか?
日当たりの斜面に生えるきのこは総じて不作だったように思います。
ホンシメジは例年2つの山で採っていますが、今年は片方の山ではほとんど駄目。
コウタケは3つの山で採っていますが今年は、1つの山のみ。
シャカしめじ、2つの山で採っていましたが今年はどこも駄目。
松茸は・・・・9月中旬まで駄目、以後豊作
新しく2つの山がフィールドになりました。
過去1本しかとったことがなかったところで、通るたび車が入れ替わり駐車されていたので聞いてみたら、採れるとのことで3回6本
別の新しいフィールドで3回3本
これまで採っていた3つの山で多数
また、友人は松代で気になっていた場所で見つけたと5本写真を送ってきました。低山とのこと。
松代は、東側に寺尾山、尼厳山、奇妙山、西側は舞鶴山にいい感じの松林がありますが私は未だ採ったことがありません。
ヌメリイグチは個人的には不作だと思いました。
天然マイタケが3株採れたのが最大の収穫でしたね。
ハナイグチは数年ぶりの大豊作。
ムキタケも大量に採れました。
ホンシメジは2箇所ほどシロを知ってはいるのですが、行く機会がとれません。
松茸も豊作だったのでしょうか、個人的にはそんなに好きではないので、頂いて一度食べれば満足です。
ムラサキシメジも駄目かなと思っていたら、100本以上採れました。
ムラサキとナメコはまだまだ出そうです。
シモフリシメジが採りたいのですが、シロがよく分からないのと少し遠いので行けていません。
キノコのシーズンもそろそろ終わりですね。