~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

「花を持って、会いに行く」 長田弘さん

2015-09-21 21:42:52 | 日記

朝、ゴミを出しにいくと彼岸花が咲いていました。

お彼岸の頃になると、必ず咲くのです。

この忠実さは何でしょう…

彼岸花を見ると、ちょっと淋しくなるのは

なぜでしょう…

今日、私に大好きな長田弘さんの詩を教えて

下さった方がいました。

来月は息子の命日が巡ってきます。

時が経てば経つほど、息子との距離が近くなってきました。

なぜだろう?と思っていましたが、

その答えが、この詩にあるような気がします。

花を持って、会いにゆく

春の日、あなたに会いにゆく。
あなたは、なくなった人である。
どこにもいない人である。

どこにもいない人に会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。

どこにもいない?
違うと、なくなった人は言う。
どこにもいないのではない。

どこにもゆかないのだ。
いつも、ここにいる。
歩くことは、しなくなった。

歩くことをやめて、
はじめて知ったことがある。
歩くことは、ここではないどこかへ、

遠いどこかへ、遠くへ、遠くへ、
どんどんゆくことだと、そう思っていた。
そうでないということに気づいたのは、

死んでからだった。もう、
どこにもゆかないし、
どんな遠くへもゆくことはない。

そうと知ったときに、
じぶんの、いま、いる、
ここが、じぶんのゆきついた、

いちばん遠い場所であることに気づいた。
この世から一番遠い場所が、
ほんとうは、この世に

いちばん近い場所だということに。
生きるとは、年をとるということだ。
死んだら、年をとらないのだ。

十歳で死んだ
人生の最初の友人は、
いまでも十歳のままだ。

病に苦しんで
なくなった母は、
死んで、また元気になった。

死ではなく、その人が
じぶんのなかにのこしていった
たしかな記憶を、わたしは信じる。

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。

話すこともなかった人とだって、
語らうことができると知ったのも、
死んでからだった。

春の木々の
枝々が競いあって、
霞む空をつかもうとしている。

春の日、あなたに会いにゆく。
きれいな水と、
きれいな花を、手に持って。


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