佐藤初女さんの『わたしには、こころがある。
こころなら、くめどもくめども尽きることが
ありません。
こころを差し上げることなら、
わたしにもできます。』と言う言葉を
私は、何度も何度も読んでいました。
でも、ぼんやりと読んでいたので「こころ」が
分かってなかったのです。
今日、やっとわかりました。
「こころ」は「愛」なんですね。
くめどもくめども尽きることのない愛
初女先生の「愛」は、本当にそうでした。
「こころ」とは愛そのものなのですね。
その愛は、誰の中にも宿っている…
とっても、生きることがシンプルに見えて
来ました。
やっと分かった。
この簡単なことが分かるまで、こんなにも
時間がかかってしまいました。
ダライ・ラマ法王が「平和は一人ひとりの心の
平安から」と言われていましたが、やっぱり
そこにあるのは「愛」なんですね。
私の「愛」は、汲んだらすぐに無くなってしまい
そうな「愛」ですが、この小さな「愛」を
育てて行けばいいんですね。
私が「初女さん、どうしたらいいの」と、聞いたら
「すべて、伝えてあるよ」と言う声が聴こえて
きました。
そのこたえが「愛」だったんですね。
有難うございます。
初女さんの「愛」を今 感じています…
昨日観た映画で、私の心は騒めいています。
すごい映画でした。「カンタ!ティモール」
友人からチラシが送られて来たとき、Cantarは
スペイン語で歌うだから、中南米の陽気な歌の
映画かと思っていました。
チラシにある写真ははじける様な笑顔なので…
ティモールが、東ティモールであることを知っても
どこにある国なのかさえ分かりませんでした。
第二次大戦で日本に占領され、その後ポルトガルの
植民地となり、ポルトガルからの独立宣言をした後
インドネシアの侵攻が始まり、24年に及ぶ
虐殺・レイプ…が繰り返され、住民の3人に一人が
いのちを落としたということも
国連がインドネシアの撤退を決議した会議に、
日本が反対したことも、そしてインドネシアに
多額の援助をしていたことも、何も知らなかった
のです。
知らないということの罪深さを、突き付けられた
気がしました。
東ティモールの大人も子供も、笑顔で歌って
いるんです。
『ねぇ仲間たち ねぇ大人たち 僕らのあやまちを
大地は知っているよ…』
『人類はひとつの兄弟なのさ
父もひとり、母もひとり 大地のこども
憎んじゃだめさ、叩いちゃだめ
戦争は過ちだ、大地は怒るよ。』
東ティモールでは、インドネシアの捕虜に対し
自分たちの思いを言い聞かせ、無傷で返した
そうです
目の前で、家族全員が殺された人、おぞましい
レイプ・殺害…
人間をどこまでも凶悪にする戦争の恐ろしさ
私は、東ティモールの人の言葉を受け取るだけで
精一杯で、想像をめぐらすことは恐ろしくて
出来ませんでした。
でも、画面の向こうの老人は、穏やかな表情で
「悲しい。いつまでも悲しみは消えない。
でもそれは怒りじゃない。怒りじゃないんだ。」と
語っているのです。
これほどまでに崇高な心が、人間の中に宿って
いることに、涙が止まりませんでした。
大地を踏みしめ、大人も子供も歌い踊ります。
はち切れんばかりの笑顔で…
すごい映画です!
誰もが人生の中で一度は出会って欲しい映画だと
思いました。
知らなかった事実を知り、私はうろたえています。
天に向かい「初女先生、どうしたらいいの」と
言葉を飛ばしてみたら、「あんたには、すべて伝えて
あるよ」という声が返ってきました。
そうか…時間をかけてこのことを反芻していこう
こたえは私の中にあるのだから…
カンタ・ティモール
わ~今日から12月
それって、今年ももうすぐ終わるってこと?
この一年にあったことが、すべてが遠い過去に
持って行かれているような気がします。
疾風のように通り過ぎていく時間に、
置いてきぼりにされてしまった自分がいるような
初女さんが亡くなったことが、今頃堪えて来て
いるのかな~
初女さんが亡くなってから、自分は何をすれば
良いのか気づきをお与え下さいと祈って
きましたが、『いのちをむすぶ』の本の帯に
吉本ばななさんが「ほんとうに偉大な存在は
決して気づきを強いない」と書いていました。
本の中の初女さんの「気づきを得るきっかけは
小さなことのほうが多いように思います。
小さいことでも、その人にとって必要なときは
大きく響いていくものなのです。」という言葉に
やっぱり自分は甘えていたんだと思いました。
気づきは、与えられるものではなく
自分で気づいていくものなのだと、
今、気が付きました 。
バカだな~私って…
初女先生、呆れないでね~