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朝食を作った。

2009-09-30 08:35:28 | 爺の趣味の世界

 朝食作りが趣味という訳ではない。

 今日は休みだ。久しぶりに、爺(私)が朝食を作った。

             

 ご飯は昨夜の残りを「チン」した。ヨーグルトに、缶詰の「みかん・もも・パイナップル」を入れたもの。具だくさんの味噌汁。そして、豆の煮物、以上だ。

 つまり、作ったと言えるのは「具だくさんの味噌汁」だけだ。

 今日の具は、豚の細切れ・生しいたけ・大根・人参・ネギ、そして茗荷もあった。具は全6種だ。味噌は赤だしで「だし」は既製品で一袋・・・半分でよいがいつも全量入れる。その代り、味噌はやや少なめにしているつもりだ。

 

 また、昔話ですみません。 子供たちが(中学?)高校生の頃まで、爺は形だけの「亭主関白」で、料理は作らなかった。娘(婆)は「お父さんは(あんたは)私たちが居ないと飢え死にするね」とよく言った。「お父さんの料理の腕前を知らんな?一度作ってやろうか?」といつも言う。「口ばっかり、ハイハイ、いつかお願いします。」と馬鹿にした口調で言われていた。

 ある時、作る機会があった。爺の作る朝食の味噌汁は学生時代から「豚汁」のように具だくさんであった。冷蔵庫にあるものを適当に入れるのが爺流味噌汁だ。豚肉(肉ならなんでも良かった、トリもあれば、牛もあった)の他には、しいたけ・なめこ・えのき・大根・人参・ネギ(時には玉ねぎ)豆腐・わかめ・あげ・里芋・ジャガイモなどなど、時にはキャベツやタケノコが入ることもあった。サツマイモはあまり好きではない。だから、味噌汁には絶対入れなかった。 嫌いという訳ではないが、納豆も入れなかった。(納豆という言葉は知っていたが、納豆を食べたのは大学生の時が初めてであった。つまり、納豆はご飯の上に乗せて食べるものと思っていたからだ。)

  婆と長女はごちゃごちゃ味噌汁が否らしい。次女は肉(脂身)が大嫌いだ。数回爺が朝食を作ったら「もう作らなくっていいよ」となった。もちろん、それからは娘も婆も「飢え死」という言葉は口にしなくなった。

 

 爺が初めて料理を作ったのは小学5年生も終わりの時だ。カレーライスだった。母親が店で忙しいと夕食は8時9時ということも偶にあった。名古屋に仕入れで出かけ帰りが遅くなる時は、弟たちもしぶしぶ爺のつくる晩御飯を食べていた。食えないよりマシだから。

 ある時、うどんを作った。つゆを作るに、みりんを入れようとしたら見つからず、母が日本酒で代用したのを思い出し入れた。母が帰って来たら、顔を赤らめた弟たちは「酔っ払った、酔っ払った」とふざけるように言い寄った。酒の量が多かったようだ。みんなで、大笑いした。

 カレーやうどんの他には、お好み焼き・白醤油にみりんを入れての「お吸い物」・茶碗蒸し(これは上手くいかなかった)も作った。近年は回鍋肉・麻婆豆腐・青椒肉絲・酢豚などは冷凍半製品があるので、作るのは簡単だ。7~8年前はよく作った(と言ってもそれぞれ2~3回ほどだが)。便利な世の中になった。食品の袋の裏の説明通りにつくれば、大方上手い料理ができる。

 かって料理は時間がかかるものだった。中学生の冬は、爺がご飯を炊く係りのようになったこともある。釜で炊いた。隣が木型工場であったから、木くずがいっぱいあった。当時爺は毎朝4時に起きて2時間勉強し、6時からお湯とご飯焚きをするのが日課であった。釜は右と左2個である。左でお湯を沸かし、右でご飯を炊くのだ。「はじめチョロチョロ中パッパ」というのも、その頃覚えた。飯炊き女ならぬ男になれるなぁと思った。

 小さな店ではあったが、両親は忙しかった。覚えようとした訳ではないが、失敗しながら自然に覚えた料理の腕前だ。自分で考え、自分で動く。そんな貧乏育ちだから今でもチャレンジ精神は少しだけ残っている。悲しいかな、体が言うことを聞かないだけだ。

 

  料理の腕前を披露したら逆に、一人で留守番の時とて、娘も婆も食材は買っておくが「賄い」は何もせず出かけるようになった。腕前を見せたことは失敗だったようだ。・・・・

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