日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

”健全な精神は健全な身体に宿る”は子供の時の話

2018年03月24日 09時40分36秒 | 日々雑感
 昔からよく使われてきた諺に、”健全なる精神は健全なる身体に宿る”がある。体が健康であれば、それに伴って精神も健全であるという意味である。運動に励む選手は、概して健康的で明るく、はきはきしていて率直のイメージであり、子供の頃であれば大いに好ましい特質であり、微笑ましい。しかし、大人になるに従って、単細胞的な負のイメージが強くなってくる。

 例えば、朝日新聞の絶対的高校野球礼賛に対する違和感である。甲子園に向けて努力する高校生を、一途な練習、ひたむきなプレー、青春の花と称えている。そんな純粋な高校生もいるだろうが、そんな高校生ばかりではない。試合に負けた帰りであろうか、電車の中で、入口付近に大勢固まり、通路に荷物を広げ、他校の悪口を大声で言い合う高校生も結構いる。

 高校野球の強豪校が全国の中学校から有望選手を集めるのは有名である。集めるためには当然金銭も動くことは想像つく。そうして集められた選手も野球部を止めれば即退学となる話も聞こえてくる。ごくたまに地元出身の選手ばかりで編成されるとそれだけで記事になる程だ。

 野球部内の暴行事件もよく耳にする。青森山田高校やPL学園の野球部暴行事件もマスコミを賑わした。そんな話を聞けば、甲子園に向かってひたすら青春を謳歌するなどとは、とんだお笑い草だ。

 高校野球で活躍すれば、大学への進学も道が開け、強いては大企業への就職も可能になる。これを目的に頑張ることも一つの生き方であるが、楽しみながら野球をするとは一線を画する。

 大学の運動部の出身者の一般的特質、上意下達、個人より組織を優先、気合と根性は、企業で重宝されていたが、それも1980年代までであったようだ。目標が明確であった高度成長期、24時間働けますかの時代、そのころは大いに活躍したことであろう。肉体的な強靭さは精神的なタフさだとの前提で猛烈社員として働き、働かせられ、組合対策でも大いに力を発揮したとのことだ。

 目標が与えられれば大活躍できるが、自分で考えることが苦手であることは、五輪のメダリストやプロスポーツ選手がうつ病や不安障害、燃え尽き症候群などを告白する事例が増えているとの指摘もあり、さもありなんと納得できる。

 単細胞的な負のイメージは、年齢が上がるにつれて強くなってくる。最近のレスリング協会、柔道協会等のスポーツ団体の不祥事は、スポーツ馬鹿集団を彷彿とさせる。

 レスリング協会に対するパワハラ告発問題では、告発された日本レスリング協会の強化本部長・栄和人氏が注目を浴びている。そんな中、3月15日には栄氏が所属する至学館大学の学長で日本レスリング協会副会長の谷岡郁子氏が記者会見を開いて、パワハラ疑惑に反論した。しかし、何のための会見か、何を言いたいのか、はっきりせず、更に騒動を大きくした。

 また、昨年10月の秋巡業中、貴乃花部屋の貴ノ岩が元横綱日馬富士関に暴行された件では、単なるモンゴル力士同士の内輪もめと思われたが、貴乃花が暴行行為を非難し、日馬富士は引退に追い込まれた。

 しかし今春場所8日目の18日、東十両14枚目の貴乃花部屋の貴公俊が付け人に暴行した事件があった。貴乃花親方の弟子に対する教育は徹底している筈であったが、それでも起きてしまった。これは単に教育の仕方に問題がある訳でなく、本質的に練習における体の鍛錬と頭の中身の鍛錬は相反するものだとすら思えてくる。

 ”健全な精神は健全な身体に宿る”は、スポーツはあくまでも楽しむためのものであることが前提で、スポーツを職業とする社会では当てはまらないのかも知れない。最近のスポーツ界における、幼時からの早期育成、国を挙げての徹底指導、勝負優先等、は、スポーツ第1優先であり、この世界では、スポーツは楽しむものであるとする一般社会における常識は通用しないのかも知れない。2017.03.24(犬賀 大好-427)

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