日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

人手不足と労働崩壊の関連を考える

2016年03月05日 09時28分27秒 | 日々雑感
 NHKのクローズアップ現代(2月22日)で労働崩壊の問題が取り上げられた。今、保育や介護、建設現場など、公共サービスや公共工事を担う現場で、低価格の受注競争によって引き起こされる労働現場の諸問題である。

 この背景には、自治体が推し進めているコスト削減があるという。すなわち、保育所等をそれまでの公営を効率化のために民間に委託したり、公共工事の予定価格を違法に下げるからだそうだ。このため、労働者は低賃金労働を強いられ、保育の質や安全の低下や、労働者の技術の継承などが難しくなっている、すなわち労働崩壊が起こっているとの内容であった。

 以上の話を何気なく聞いていると、なるほどと納得させられるが、現在の日本では労働者の人手不足と言われていることを思い出すとき、何か矛盾を感ずる。すなわち、この労働崩壊は過当競争による労働者への皺寄せであると言う。本当に人手不足であるならば、仕事を受注したところで働き手が確保できず、仕事が出来ないはずだ。労働崩壊は、低価格で受注した仕事をこなすために、労働者を低賃金で雇用することから始まる。低賃金でも人手が集まるということは、人手不足では無いとの意味ではないか。

 政府はアベノミクスのお蔭で有効求人倍率が1を超えていると自慢している。また、建築現場では人手が集まらず、外国人労働者の雇用が増えている等の報道もある。確かに今の日本は人手不足であるに違いない。しかし、国の負債が1兆円を超える財政難であるため、自治体でもコスト削減の徹底が必要なことは確かであろう。負債問題と少子高齢化問題は、互いに関係の無い大問題ではあるが、社会には矛盾する現象を引き起こしているのだ。

 経済の基本原則から言えば、労働者はより報酬の高い所に集まる筈である。雇用者は人を集めるために、報酬を高く設定せざるを得ない。従って必然的に報酬は高くなるはずである。低賃金でも人が集まるということは、何故だろう。経済の原則が働かない理由は何故だろう。

 低賃金でもその日が暮らせれば一向に構わないとの風潮があるのであろうか。もし本当であるならば、人手不足にも拘らず、低賃金で働かざるを得ない労働者は、自治体が進める安易なコスト削減や弱い者へのしわ寄せであると、嘆くのは偽善と言わざるを得ない。

 70歳を超えた人間からすると最近の若者の考えがよく理解できないことがある。親の年金を当てにする若者、結婚しない若者等の増加が時としてマスコミの話題になるが、低賃金労働をよしとする風潮と関連があるような気がする。

 番組では、労働崩壊に対し、自治体によっては公共工事の適正価格の設定やその監査の徹底を始めたところもあるとの紹介があった。しかし、労働崩壊の具体的な内容が保育の質や安全の低下や、労働者の技術の継承と言った構造的問題であるならば、いくら報酬を上げたところで、解決に結びつかない。働く者が、その日暮らしの、将来展望を持たない者であれば、彼らに質の向上は期待できないからである。
2016.02.05(犬賀 大好-213)

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