まず、ホテルにて・・・岡山から2人のはずが、一人しか予約されていない! まず、このショックから始まりました(笑!)
討論の後ろから遡ります。
ドイツの核兵器廃絶のたたかいと、原発からの撤退を決めた経過をドイツ反核法律家=ピーカー・ベッカー氏からききました。核兵器廃絶をめぐっては、裁判闘争が闘われているとのことでした。2009年、保守・リベラル連立政権がアメリカの核兵器すべてを撤去すべきことを決めたにもかかわらず、NATOは同意しませんでした。そこで、ドイツの女性薬学者コラー博士が、米核兵器撤去などを求めてドイツ政府を提訴しました(なぜ相手がNATOでなくドイツ政府かは、説明がありましたが省略させてください)。この闘いを日本からも応援しましょう!
原発からの撤退のきっかけは、1985年、緑の党と社民党がヘッセン州で州政権を握ったことでした。州政権は原発の監督責任を負ったことを契機に、原発撤退へ努力します。しかし叶いませんでした。原子力をどうするかの最終権限は連邦政府にあったからです。3年後、緑の党と社民党は国政選挙で勝利。ヘッセン州での原発の事務責任者が、今度は連邦政府の原発責任者となりました。ヘッセン州での経験を連邦政府で生かし、原発閉鎖に伴う原発運営会社との折衝をおこない、ついに2000年、原発撤去に向けた政府と原発会社との協定が結ばれます。しかし、すぐには廃炉に至りませんでした。最終的な決断は、なんと「『2011・3・11』だったのです」
3・11を契機に、遠くはなれたドイツは原発の廃炉を決め、日本の政府は・・・大飯原発の再稼動、次は長浜との話もでています。しかし、がっかりする必要は無いと、私は確信しています。毎週の官邸、国会の包囲行動。そして17万人集会。国民世論は健全に発展しています。オスプレイ問題も同様です。
目標達成までがんばるぞ! との決意をあらたにしました。
討論の後ろから遡ります。
ドイツの核兵器廃絶のたたかいと、原発からの撤退を決めた経過をドイツ反核法律家=ピーカー・ベッカー氏からききました。核兵器廃絶をめぐっては、裁判闘争が闘われているとのことでした。2009年、保守・リベラル連立政権がアメリカの核兵器すべてを撤去すべきことを決めたにもかかわらず、NATOは同意しませんでした。そこで、ドイツの女性薬学者コラー博士が、米核兵器撤去などを求めてドイツ政府を提訴しました(なぜ相手がNATOでなくドイツ政府かは、説明がありましたが省略させてください)。この闘いを日本からも応援しましょう!
原発からの撤退のきっかけは、1985年、緑の党と社民党がヘッセン州で州政権を握ったことでした。州政権は原発の監督責任を負ったことを契機に、原発撤退へ努力します。しかし叶いませんでした。原子力をどうするかの最終権限は連邦政府にあったからです。3年後、緑の党と社民党は国政選挙で勝利。ヘッセン州での原発の事務責任者が、今度は連邦政府の原発責任者となりました。ヘッセン州での経験を連邦政府で生かし、原発閉鎖に伴う原発運営会社との折衝をおこない、ついに2000年、原発撤去に向けた政府と原発会社との協定が結ばれます。しかし、すぐには廃炉に至りませんでした。最終的な決断は、なんと「『2011・3・11』だったのです」
3・11を契機に、遠くはなれたドイツは原発の廃炉を決め、日本の政府は・・・大飯原発の再稼動、次は長浜との話もでています。しかし、がっかりする必要は無いと、私は確信しています。毎週の官邸、国会の包囲行動。そして17万人集会。国民世論は健全に発展しています。オスプレイ問題も同様です。
目標達成までがんばるぞ! との決意をあらたにしました。