12月16日深夜から19日朝までVISAの切り替えを兼ねて初めてウズベキスタンに観光に行きました。
17日朝に首都タシケントに到着して昼間は1200KMほど離れたシルクロードの街 サマルカンドを観光し18日はタシケント観光をしました。
ウズベキスタンは人口2560万人、首都タシケントは人口250万人標高430Mの街です。この街の中心地にあるのがこの写真のナヴォイ劇場(現在の正式名称 アリシェル・ナヴォイー名称劇場、因みに1947年の建設当時に作られたプレートには国立アカデミーボリショイアリシェル・ナヴォイー名称劇場というように読み取れるロシア語の記載でした。
この劇場は1945年から46年に掛けて極東からウズベキスタンに強制移送された日本人捕虜の方2万5千人の中の450人がこの建設に従事されたビザンチン様式の建物です。
1966年のタシケント大地震でこの建物だけびくともしなかったことから日本人の仕事の確かさが評価されたものです。残念ながら18日は公演が無かったのでこの日本人には格別の思いのあるこの劇場でのバレエやオペラの公演を見ることは出来なかったのですが内部の見学は行うことが出来ました。席は最近入れ替えた様ですが内装は建設当時のまま。立派な1400席の3階建ての石造りの中央アジア最大の劇場です。
動画 1はその内部の写真です。追加で内部の写真と動画をUPしました。
動画 2は同劇場の側面の壁にある記念碑です。この記念碑には「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民がこのアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加しその完成に貢献した」との記載がウズベク語、日本語、英語、ロシア語で表記されています。この日本国民という表現はウズベキスタンがソ連から独立した後、カリモフ大統領がウズベクスタンは日本人を捕虜にしたことはないと元の日本人捕虜がという記載から日本国民がという記載に変えたとのことです。アンディジャン事件など最近は強権政治が目につく同大統領ですが独立当時はそのような心遣いがあったようです。
中山恭子さん著の「ウズベキスタンの桜」によると当時の中山ウズベク大使と羽田元総理ご夫妻との話の中から実現したとのことですが 2001年にはこの劇場で團伊玖磨作曲のオペラ「夕鶴」が上演されました。この辺りは日本ウズベキスタン教会の記事1 2をご参照ください。
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