世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

有為のしらべ

2008-01-10 10:47:43 | 有為のしらべ

新しいカテゴリを追加しました。随筆集、というところですか。最近は、写真よりも、頭の中によぎるさまざまなことを書くのがメインになってきてるので、そちらの方を、しばらくやってみたいと思います。

昨日は、長男の高校に呼ばれて、先生と話をしにいってきました。最近遅刻が多いのと、英語の成績が悪い、などなどのことでした。

日差しが一反の薄絹のように降りている、応接室のソファに座って、しばし先生の話に耳を傾けていましたが、おなかの中でぐらついているいらだちが、とうとうほとばしり出てしまいました。

それはちがうわよ、ほんとにわかってないわね、ていつも思ってはいてもいえないことが、もう勝手に出てしまいます。

高校のセンセというものは、ステータスが比較的高いので、世間に胸を開きません。学校という狭い常識の中でしか通じない常識を金字塔のように掲げて、生徒を切り刻む。わたしも若い頃、その洗礼を受けました。とても苦しかった。偏差値やつまらない先生の意地などでしばられ、人格の翼を広げる窓をすべて封じられた。何もわからなくなった。

先生が世間の常識と思っていることは、実に小さなつまらないことなのですが、それはほとんど、世間では通用しませんでした。

わたしが病気で、ほとんど家事はできないので、長男は夕食なども自分で作ります。わたしが作ったものは、ほとんど食べないのです。言外に、作らないでくれと言ってるんです。わたしが大変だから。大きくなったといっても、まだ十六で、勉強しながら、いろんなものを背負わなければならない。そのプレッシャーに耐えるためには、逃げ場も必要です。携帯やゲームに凝ることは、その苦しさを何とかしようとしている表れなのですが、先生はそれを理解できない。薄っぺらな常識だけですべてを判断しようとしている。

「あなたがつらいのはわかるけれど、ほかのこだってがんばっているんだからね」

それは言ってはおしまいですよ。今問題なのは、目の前にいるその子供なのです。その子供の苦しみを見ないで、なぜほかの子と比べて、君は悪いというのか。

すべてはもう、ばれている。なぜそんなことをいうのかといえば、いいたいことはただひとつ。「あなたよりわたしがえらいのよ」

それだけなのです。だから、学校の方針だの、世間の常識だのの、自分が優位に立とうとするための、論理しか使わないのです。決して、こちらの心の声に耳を傾けようとはしない。

高校生は、論理も感性も飛躍的に伸びる頃。生半可な教養と経験では太刀打ちできない子供も相当いる。それに教育者として、優位に立とうとする人は、ほとんど阿呆です。人格対人格の勝負のできない大人に囲まれて、高校生は世間を学ぶ。そこで、自分がどういう生き方をするかを、知らず知らずのうちに選択している。

立場の強さを手に入れれば、あとは何でもしていいだなってことを学んで、それを主目的にするもの。苦しさの真実を見抜いて、それでもなんとか本当の自分を生きようとするもの。美しい生き方をするのは、ほとんど絶望的だと、どちらにしろ、子供はこの頃に知る。

さても。

どうにも最近、きついですね。なんといいますか、ひどい目にあいすぎて、もう歯止めがきかなくなってきました。以前は、言いたいことは三重にも四重にもオブラートに包んで言ってたものですが。もうだめだこりゃ、というのをさんざん見すぎてしまった。

辛口のエッセイもまたいいでしょう。しばらくおつきあいください。病の坂を乗り越えたら、またもとのようにやわらかくなるでしょう。



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