余編、「旗」に出て来た、マルコム・キルターです。四十路半ばとは言ったけれど、四十代には見えないな。まあ、それなりに勉強を積んでいる人は、実年齢よりだいぶ若く見えると理解しておいてください。
「旗」はいまのところ、物語の中で唯一、生きている人間が主人公になった話です。はたして、マルコムの言う、「地獄の底の獲物」とは何か? 地獄をなめて立ちあがってきたものなら、必ずわかるはず。それは、地獄を突き抜けるために、あらゆることができ、実際にやっていくことができるという、自分自身。
マルコムは、以前の地獄で、そういう自分を、獲物として持ち帰ったわけだ。それが、彼の「旗」というわけだ。
彼は相当に学びを積んだ人類らしいですが、今の世の中、彼のような人が、表舞台に立って活躍できる場は、ほとんどない。彼は多分、生涯不遇のまま終わるでしょう。でも、それを別に苦とも思わないことでしょう。苦い人生をなめたゆえに、新しく身についた武器を手に、たぶん日照界に戻ってゆく。
はてさて、そこで初めて、彼は自分が誰に目をつけられていたかを知ることになるわけですが、驚くでしょうな。かの聖者は、日照界でも知らぬという人がいないほど有名ですから。
聖者に目をつけられたと言っても、それは決して光栄なわけではない。聖者によって、どんな苦しい目にあわされ、試され、鍛え上げられていくか、わかったものじゃないからです。
聖者はどうやら、菊の時代を人類が生き抜いていくために、リーダーシップをはれそうな人材を掘り出しては、彼らを鍛えつつ、人類の可能性を探っているらしい。マルコムはその一人だということなんですが…
さて、彼はどうするかな。聖者に目をつけられたら、とんでもない地獄に放りこまれることもあるかもしれない。もちろん、マルコムにも選択権がある。聖者の前に、自らの旗を下ろし、聖者の計画から降りることはできる。そうすれば、自分の人生は、そんなには苦しくなることはない。けれども。
聖者は二度と彼のもとには戻ってこない。
さて、どうする、マルコム。
いつまで、自分の旗を、持っていられる。