わたしは、ある都会の片隅の、薄暗い裏道の隅に、小さな古い水色の敷物をしいて、座っています。この道を通ってゆく人は、そう多くありません。時々、酔っ払った男がふらふらと道を間違えて入り込んできたり、何か悪いことの相談をするために、数人の男が、この道に入ってくることがあるくらいです。けれども、彼らはわたしに気づくことはありません。わたしには、彼らの姿が見えますが、彼らには、わたしの姿が見えないのです。
わたしは髭や髪を伸ばし放題に伸ばし、ほとんど裸同然の姿をしていますが、そのことに驚く人はもちろんいません。わたしの姿を見ることができるのは、わたしだけです。神ですら、わたしにほとんど気づかずに大空を通り過ぎてゆく。ああ、なんという孤独。これほどたくさんの人がいる町にいながら、わたしは、ただひとりで、永遠にも似た長い年月を、この小さな水色の敷物の上に、何をすることもできずに、じっと座り込んでいなければならないのです。
わたしの名を、申し上げましょう。わたしの名は、「いてはならぬ者」と、申します。ここにちゃんと存在してはいるのですが、「いてはならぬ者」と呼ばれます。なぜなら、わたしという者がいては、人々が、神が、苦しいからです。わたしは、存在たるものとして、恥ずべきという言葉も恥じるほど、恥ずかしいことをやったのです。時々、わたしのことを、神は思い出されるでしょうが、そのたびに、苦い思い出が蘇り、憐みをわたしに下さりながらも、わたしのなした愚かな罪とその報いを思い、たいそうお苦しみなさるでしょう。わたしは、本当に、それだけの、ことを、やりました。
ああ、たくさんの人に囲まれ、たくさんの人の姿を見ながら、誰に見つけられることもなく、気付かれることもなく、わたしはただ、ひとりで、ここに、この水色の敷物の上に座っていなければならないのです。永遠に、多分、永遠といってもいいほど、長い年月を。決して動いてはならない。いえ、動こうにも動くことができない。わたしの存在できるところは、この一枚の小さな水色の敷物の上だけなのです。
昼の町は騒がしく、いつも、耳をびりびりとちぎるようなうるさい音楽が流れています。男や女や、老人や子供や、様々な人間が、道の向こうの大通りを歩いているのが、見えます。わたしは、時々顔をそちらに向け、人々を見ます。なんだかずいぶんとへんてこりんな格好だが、みなとても良い服を着て、良い靴をはいているようだ。たっぷりと太って、暮らしもとても豊かなようだ。人間は幸せそうに見えるが、なぜでしょう、わたしの目には、彼らが、とても苦しそうな顔をしているように見えます。理由はわかりません。考えるのも面倒だから、それ以上のことを考えることは、もうやめます。わたしには、何も関係のないことだからです。
時々、苦しさのあまり、死んでしまいたいと、思うことはあります。けれどもわたしには、死ぬことはできません。それは神により、禁じられてしまったのです。私に与えられた、永遠の年月が終わるまで、わたしは、神よりいただいたこの小さな水色の敷物の上に、ずっと座っていなければなりません。時々、突然、水色の敷物が揺れて、周りの風景がからりと変わり、座るところが変わるときがあります。この道に座る前は、違う都市の、騒がしい大通りのそばの、川を跨ぐ橋の隅に座っていました。赤や茶色や黄色の髪をした色々な人が、わたしの前を闊歩していきました。一目で異国人の病者とわかるわたしに、気付く人は、もちろん、いませんでした。
一体、どちらが幻なのか、分からなくなる時も、あります。わたしには、彼らの姿が見えますが、彼らには、わたしの姿が見えない。わたしは、たしかにここにいますが、はたして彼らは、どうなのか。彼らは、存在しているのか。もしかしたら、彼らは、わたしの見ている、幻なのではないか。本当に存在しているのは、実はわたしだけで、ほかは一切、わたしの見ている夢なのではないか…。
わたしは目を上にあげました。四角い建物の壁と壁に挟まれた小さな黒い空に、白い月が浮かんで見えます。月はわたしに、何も言いません。ただ、黙って照らしてくれます。その光が心に差し込む時、わたしは、どんなに拭っても、決して消えない汚泥の染みついたアザのような自分の影を感じます。ああ、わたしは、本当に、神に見捨てられたのでしょうか。それとも、いつか、永遠が全てわたしを通り過ぎたとき、神はわたしを許して下さるのでしょうか…。
ふと、わたしは、かたり、という音を聞きました。見ると、道の入り口あたりで、女が一人、壁によりかかってうずくまっています。布を口にあてて、何やら気分が悪そうだ。酒でも飲み過ぎたのでしょうか。道を汚されるのは、いやだなと思いながらも、わたしはその女の、長いきれいな髪に、しばし目を吸い取られてしまいます。そうして、どうしても、過去の、あの忌まわしい出来事を、思い出さずに、いられません。
わたしがなぜ、「いてはならぬ者」と呼ばれるようになったか、誰か知りたいと思われますか。一人でもいるのなら、話しましょう。ああ、そうですか。少しは興味を持って下さいますか。
ああ、あれは、何千年前、いや、何万年前か、もうとっくに、わからなくなってしまった。わたしは、その頃、ある国の王族の子どもで、たいそう、金持ちでした。若いころから、美しい妻を持っていました。生意気な男の子どもにありがちなように、女には、表向き興味なさそうに、冷たいそぶりをしていましたが、内心は妻が美しいことを、それはそれは、喜んでいました。この美しい女が、自分のものであると思うと、それだけで、身の内で、熱い獣のようなものがうごめくのです。女は、全く、いいものでした。わたしはどれほど、妻をかわいがったでしょう。
けれども、わたしは、他人や妻の前では、まったく女に興味がないように、ふるまっていました。女が自分の言うことを聞くように、いつもしかりつけ、なんでもわたしのためにやるように、しつけていました。わたしがあんまりひどいことを言うので、妻は、毎日がとても苦しそうでした。でもわたしは、内心、女が好きでたまらない自分の心を、他の人に気付かれるのが、絶対に嫌だったので、妻にはいつも、おまえは馬鹿な奴だとののしってばかりいました。女は、馬鹿でないと、困るのです。でなければ、好きな時に、自分の好きなことができないじゃありませんか。女はみんな馬鹿です。男を喜ばせるためにあるものです。この女は、わたしのものなのだ。
あれはいつのことだったでしょう。思い出してみましょう。ああ、蝉の声が聞こえていたような気がする。ということは、熱い夏の季節だったのでしょう。ある日のことでした。妻が、わたしの元から逃れて、都にある神殿に飛び込んだのです。そしてそこで、神女として働き始めたのでした。わたしは、愕然としました。それはその国の、唯一、女に許された、男から逃げる道でした。神の元に逃げれば、女は夫から逃げることができるのです。わたしは妻がわたしの元から逃げたと知らされたとき、耳に硬い蝉の声がぎっしりと詰まるようなめまいを感じました。頭の中に嵐のように蝉が騒ぎまくり、腹の底に怒りの炎が煮えたぎりました。殺してやる、と体中が震えました。わたしは、神殿にゆき、妻を取り戻そうとしましたが、何人かの神官に妨げられ、追い返されました。神殿に逃げれば、もう妻は神のものであり、たとえ王族の者であろうとも、取り返すことはできないのです。
わたしは、自分から逃げた妻を許すことができませんでした。どうやっても、自分の手で殺してやると、思いました。そしてわたしは、何ヶ月かの間を、自分を憎しみでぐつぐつと煮込みながら、ある恐ろしいことを考え、同志を集めて計画を練り、それを実行したのです。
わたしは、神を、侮辱したのです。神が、女を欲しがっているから、女が神殿に集まるのだと、国中にふきまわり、悪いのは神だと言ったのです。そして、国の軍隊を動かし、とうとう、神殿を攻めたのです。神に反抗し、戦を吹っ掛けたのです。神殿は、いとも簡単に崩れました。他国から国を守るために使うはずだった武器を、国の中にある、あらゆる神殿を壊すために、わたしは使ったのです。ああ、ああ、わたしは、神に、戦をけしかけ、あろうことか、勝利してしまったのです。神殿の中で見つけたとき、妻はもう、短剣で喉をつき、自害していました。わたしは、それでも、妻への憎しみを消すことができず、太い剣で、その白い顔を、何度も何度も叩いて、つぶしました。美しかったわたしの妻は、何とも惨たらしい死体になりました。そして、誰も彼女を葬ろうとせず、長い間、壊れた神殿の隅に、腐り果てて骨になるまで、そして、誰の骨かさえもわからなくなるまで、放っておかれたのです。
こうしてわたしが神に戦をふっかけ、勝利しても、特に神罰は下りませんでした。神官どもも大方死んでしまい、あるいは神への信仰を簡単に捨てて、逃げてしまったのです。神殿を壊しても、神罰が下らないとわかると、人々は次々と神への信仰を捨て始めました。神のために面倒な祭りや儀礼をするのが、嫌だったからでしょう。それは、国境を越えて、隣の国にも広がりました。また、その隣の国にさえ広がりました。わたしは人々に言いました。神は馬鹿だ。神は色キチガイだ。神は女が欲しいのだ。そんなとんでもないことを、わたしは叫び続けました。そうして、近隣諸国の神殿を、大方壊してしまい、多くの人に信仰を捨てさせ、魂を迷わせ、神に、あまりにもひどい侮辱を浴びせ続けたのでした。
わたしは、妻が死んで三年の後、心臓の発作を起こして死にました。それもまた、蝉の声の季節でした。路上で苦しみもだえながら暗闇に意識を吸われていくとき、誰かが自分を呪う声を、蝉の声の中に聞いたような気がしたことを、なぜかくっきりと覚えています。そうして死後、わたしはいっぺんに暗闇の底に突き落とされ、誰だかわからない太い男の声を耳につぶてを投げ込まれるように聞きました。それはこう言ったのです。
「汝、その名は『いてはならぬ者』。ゆくところなし。あるところなし。幻となりて永遠の時計の測る時をさまようべし」
神罰とはこういうものか。わたしのなした罪が、人として、あまりにひどいものでありすぎたため、わたしのことを思い出す人みなが、苦しむのです。あれがいては苦しい。あんな者が自分と同じ人間だと思うと、苦しいと、人々は言うのです。それがいては、苦しいと、みんなが思う者。それが、「いてはならぬ者」と呼ばれる、この身。
なぜそこまでしたのかと? は、お尋ねになりますか。ええ、そう、お尋ねになるのも無理はない。わたしは、ひどすぎることをした。あまりにも、ひどすぎることを、なぜあそこまで、やったのか。それは…
わからないわけがないでは、ありませんか。そうです。今まで、誰にも言ったことはなかった。あんなものは馬鹿だと言い続けた。最後までいじめ抜いて、遺体を葬りもせず、放っておいた。あの女が、あの女が、…好きだったからです。
あの女でなければ、嫌だったからです。ほかの女では嫌だったのです。あれでなければ、美しいあの女でなければ。わたしの、わたしの、あの女でなければ。
たかが、女ひとりのために、神殿を壊し、神に戦をふっかけ、人類に罪の醜いあざを残したのかと、わたしにお聞きになる人はいますか? いたら答えましょう。そのとおりです。
その、とおりです!!!
しかしわたしは申します。これを聞いてくれる方々の中に、特に男性の中に、わたしをすっかり、愚か者と嘲笑いきることのできる男が、どれくらいいるのかと!
あ、い、し、ている…、帰って、帰って、きてくれと、本当は、いいた、かった。もういじめないから、やさしくするから、帰ってきてくれ…
わたしは、ふと、泣いているような女の声を聞きました。声のする方に顔を向けると、おや、道に入ってきた女が、頬を涙で濡らしながら、苦しそうに咳をしています。何やらつらいことでもあったのか。動くことができれば、やさしく声をかけることもできるかもしれませんが、今のこのわたしの身の上では、だれのためにも、何もすることはできない。女はうずくまったまま、顔を布でこすりつつ、涙を流し続けています。
ああ、あの女のために、わたしは何をしてやったろう。あんなにも、好きだったのに。抱きしめたときのやわらかさが好きだった。顔をすりつけたときの髪の匂いが好きだった。初めてまぐわったときの、女の小さな泣き声が哀れだった。離れたくなかった。ずっといっしょにいたかった。いつもいつも、そばにいて、ほしかった。
何をしたのでしたか? わたしは。ああ、どこからか蝉の声が聞こえる。それはあの日の蝉の声なのか。その声はいまだに、わたしの脳髄に棲みついて、鳴き続けているのか。それとも、今は夏で、どこかで蝉が鳴いているだけなのか。暑さも寒さも、わたしにはもう関係ないこと。永遠に、どこかの町の片隅に、見えない幻として、さまよい続ける。
道の隅でうずくまっていた女は、やがて涙も止まったのか、布で顔の半分をおさえつつ、ゆっくりと立ち上がり、こつこつと靴音をたてながら、この道から去ってゆきました。わたしはまた、ひとりぼっちで残されました。蝉の声は消え、頭の中を静寂の風が吹き通ります。
もう一度申し上げましょう。わたしの名を、「いてはならぬ者」と申します。なぜなら、わたしがいては、皆が苦しいからです。あなたも、もし、わたしをどこかで見つけたら、いっぺんにそう思うことでしょう。こんなやつがいたら、いやだと。わたしは、そんな顔をしています。神にひどい侮辱を浴びせた時、そういう顔になってしまったらしいのです。あまりにもひどいことをしすぎてしまったため、わたしは人類全てに、嫌われてしまったのです。
ではみなさん、これ以上あなたがたを苦しめることも、罪を重ねることになりましょう。わたしは、「いてはならぬ者」。ゆえに、ここで、消えます。永遠に、わたしのことは、忘れてください。わたしのような者がいたことを。
どうか、お幸せに。