世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-10-27 06:54:01 | 月の世の物語・天人楽

天の国は、月のよほど近くにございましたので、あまりにも月が明るく、空は月の光を濃く塗られ、闇の中にもどこか瑠璃のように青めいて、星などは一切、見えませんでした。けれども、国の隅の、桔梗ヶ原にゆけば、小さな星座が見えると言う話が、ありました。その話が本当かどうかは、行ってみた人でなければわかりませんでしたが、天の国の人は、興味を持っても、物見遊山のために、長い旅をすることなど、ありませんでしたので、ほとんどの人は、桔梗ヶ原から見える星座の話を、知識として知っているだけで、実際に見たことはありませんでした。

天の国の一隅の桔梗ヶ原には、その名の通り、青い桔梗が一面に咲いておりました。劫初より、ここに咲いていたわけではなく、そう遠くはない昔、ある天の国人(てんのくにびと)が、聖者様に種を頂いて、野にその種をまいてみたのです。そうすると、七日ほどかけて、桔梗は見る間に育ち、野は一面の青い桔梗の原になったのです。そしてそのとき、空をうっすらとおおう、月の光の薄絹が、ひらりと一枚めくれ落ち、墨で染めたような空に、七つ星で一組の、輝く星座が現れたのでした。その星座は、地球世界で見る、冠座に少し似ておりました。七つの星は、かごめかごめをする子どもたちのように、丸く輪を描いて並び、その様子がまるで小さな数珠のようでありましたので、人はそれを、数珠の星と呼びました。

七つの数珠の星には、それぞれに名前がございまして、光の明るい方から、初音、飛雁、百合、銀鈴、千鳥、絹玉、雫、と言いました。
数珠の星は、いつも空のてっぺんのあたりにありまして、不思議な笛のような歌を歌っていました。その歌は、人の耳には決して聞こえないのですが、桔梗の花には、聴くことができました。その星の歌を聴くと、桔梗は深くも澄んだまことの光を花に吸い込んで、密やかに根の中にため込みました。そうして、桔梗が花を終わらせる頃になると、この桔梗ヶ原を管理している、天の国人が、大きな籠を背負って、やってきました。

その人の名を、財芽光(たからめのひかる)と申しました。たからめのひかるは、桔梗ヶ原を見渡すと、半分ほど、桔梗が花を終わらせるのを見て、「ああ、そろそろ、いいでしょうか」と言いました。すると、彼を導いていた風の精霊がやってきて、答えました。「いいでしょう。花を終えた桔梗に、ひとつひとつ、『よいですか』とたずねなさい。そして桔梗が、『よい』と言ったら、花を引きぬきなさい」
たからめのひかるは、精霊のいうとおりにしました。ひとつひとつ、十分に枯れ具合のよさそうな桔梗を選んでは、「よいですか」と尋ね、「よいですよ」と答えてくれた桔梗だけ、根っこごと引き抜きました。桔梗の根は、蛍を隠しているかのように、所々青く点滅して光りました。それはまるで、空から捕まえてきた星のかけらを、桔梗が吸い込んで、ずっと隠してきていたかのようでした。

たからめのひかるは、十分な量の桔梗を引きぬきますと、それを入れた籠を背負い、桔梗ヶ原の隅から、ていねいに、桔梗ヶ原に向かってお辞儀をしました。空の数珠の星にも、深くお礼をしました。すると、数珠の星の棟梁である初音の星が、きらりと輝いて、たからめのひかるに、不思議な魔法の光を送るのでした。

たからめのひかるは、家に帰ると、引き抜いた桔梗の根を、庭に張った縄の上にかけて、しばらく月光を浴びせて干しました。そして、十分に根が渇きますと、それを微塵に砕いて、大がまの湯の中にいれ、ほんの少し豆真珠の粉をまぜて、あくをすくいながら、ゆっくりと煮込みました。火加減を見つつ、月光水を少しずつ七回に分けて入れ、三日ほどもかけて、水の気を大かた散らしますと、鍋の底に、不思議な青い月長石のような結晶がこびりついて残りました。その結晶は、薄青い星の光を宿し、星光はまるで生きているように結晶の中で動き、聞こえぬまことの歌を、繰り返し歌っているのです。
そうやってこしらえた結晶は、また砕かれて粉にされ、光る白い粉になり、一服ずつ小さな白い紙に包まれて、お役所に提出されました。それは、罪びとの毒気を浴びて少し病気になった若者たちの毒消しの薬ともなり、また、ほんの少し風にまきますと、星光の溶けた光る風が、暗闇に迷う人々のところにゆき、真実を語る星の小さな光の粒が、一粒や二粒、そっと罪びとの耳に棲みつき、それはまことの歌を歌いながら、ずっと罪びとの心を導いていくのでした。

たからめのひかるは、このようにして、桔梗ヶ原を管理しながら、不思議な星光のまことの光を含んだ、とてもよい薬を作っているのです。

ある宵のことでございます。たからめのひかるは、桔梗ヶ原の隅に立ち、少しいつもとは違う様子で、青い花咲く桔梗ヶ原を見まわしておりました。目を上げると、数珠の星たちがものいいたげに、きらきらと光っています。特に二番目の星の飛雁(ひかり)は、何とも奇妙に点滅して、小さな青い光の露を、たからめのひかるの前に落としました。すると桔梗ヶ原は、何かに気づいて、不安げに風に揺れました。たからめのひかるは、言いました。
「大丈夫ですよ、桔梗さん。わたしはすぐに帰ってまいりますし、わたしのいない間、ちゃんとここを管理して下さる人は、決まっていますから」

そう、たからめのひかるが言った後、すぐに、背後から声をかけてくる者がいました。振り向くと、そこに、王様のお宮のある町で、琴や笛の修理を仕事としている、鳥祢明(とねのあかる)という男が立っておりました。とねのあかるは、たからめのひかるの、古くからの友人でもありました。とねのあかるは、少し悲しそうな顔をしている、たからめのひかるに言いました。

「やあ、こっちにいましたか。家の方をたずねたら、あなたがいなかったので、たぶんここだと思って、きてみたのですが」
たからめのひかるも、微笑みを返して、言いました。「いや、おひさしぶりです。お元気でしたか」「ええ、元気にやっております。しかしこのたび、お役所の命が来まして、少しの間、仕事を変わるようにと、言いつけられましたので、ここに参ったのでございますが」
「はい、わかっております。わたしがここにいない間、どうかこの桔梗ヶ原を、大切に管理して下さいませ。薬の作り方は、そう難しいことではないので…」
「はい、もう、学堂で基本を学んでまいりました。書堂でも、何冊か専門書を借りて読み、重要な知識は得たつもりでございます。実践はまだですが、きっと精霊の方が導いてくださいましょう」

それを聞くと、たからめのひかるは、青く悲哀の染みついた瞳をして、じっととねのあかるを見つめました。そして笛のような吐息を吐いて、今にも泣きそうな顔になり、あわてて、とねのあかるに背を向けて、ひとすじの涙を隠しました。
とねのあかるは、たからめのひかるの気持ちを思い、やさしく言いました。
「人間世界に生まれるのは、ずいぶんとひさしうございましょう」
するとたからめのひかるは、とねのあかるに背を向けたまま、言いました。
「はい。六百年か、もっとか、忘れてしまいましたが、前の人生では、わたしは観音信仰を柱として小さな教団を作り、人々を愛の道へ導こうとしました。けれども、妙な宗教集団間の争いに巻き込まれ、わたしの教団は、武器を持った別の教団に襲われて、みないっぺんに死んでしまったのです。わたしもそのとき死んだのですが、残った信者はすべてをわたしのせいにして、信仰を捨て、去ってゆきました」
「観音は三十三相に自在に変化し、それを信じるすべての人を救うと言われています。しかし…」
「はい、この世界には、観世音菩薩と言う存在はありません。それは仏教の流れに生えたキノコのような伝説にも等しいのです。しかし、そこに真実をこめることはできる。わたしは、観音を、愛の寓意と読み、愛はすべてであり、それだからこそ自在であり、観音は全ての人の中に存在し、自らが観音となり、その愛によって己を含んだ全ての人を救うのだと、そう解釈して、それで仏教に愛の概念を取り込み、人々を導きたかったのです。それで、仏教の過ちを、少しでもなんとか修正しようとしたのですが」

そう言ったあとで、たからめのひかるは唇を噛み、星を見あげました。数珠の星の末弟である、雫の星が、妙な震え方をして、光っていました。
「今度もまた、それをおやりになるのですか?」とねのあかるが尋ねました。するとたからめのひかるは、星を見る目にかすかな涙をためながら、言ったのです。
「ええ、そうするつもりです。だが」
「ああ、言わずともわかります。多分、苦しいことでしょう。つらいことが、たくさんあるでしょう。人の世は今、本当に、悲劇を通りこして、恐ろしく滑稽なことになっていますから」
「知っています。だが、生きねばなりません。たとえすべてが崩れ去ろうとも、わたしは、何かをなしてこなければなりません。しかしあそこは、わたしのようなものが生きるのが、本当につらいこところ。一体どれだけのことをしてこられるか、それを考えると、どうしても胸を悲哀がふさぐのです」
「いと高きお方が、こうおっしゃったことがあります。『この中で、一番偉いのは、一番小さくて馬鹿な者だ』と」
「ああ、知っています。つまりは、新しきものを人の世に持ってゆくものは、それまでにすでにできあがった世界の中では、まるで馬鹿な、意味のわからないものに見えるのだと。本当の新しい真実を世界に持ってくる者は、いつも、既存の世に慣れた人の目には、世間のことなど何も分かっていない馬鹿に見えるのだと」
「そのとおり。あなたはきっと、たくさんの人に、馬鹿にされるでしょう。けれども、それを乗り越えて、まっすぐに真を信じてゆくことが、きっとあなたにはできるでしょう」
とねのあかるは、静かな声で、きっぱりと言いました。

たからめのひかるは、じっと目を閉じ、しばし何も言いませんでした。風が桔梗ヶ原を吹き、青い花が星だまりのように光って揺れました。それは、桔梗が、たからめのひかるを慰めるために、歌を歌っているようにも思えました。しかし、まだ学びの足らぬ人の身のたからめのひかるには、それがどういう歌なのか、わからないのです。ただ、何かとても大切なことを言われたような気がして、たからめのひかるの目はうるおい、胸が熱く震えました。
ふと、とねのあかるが、何かに導かれたかのように、声に出して、歌を歌いました。

光り来る 星のしじまを 胸に抱き ゆくみちはしる 君のこころを

あのように輝く星のことばは
静寂に包まれて聞こえないが
光とともに胸に抱いてゆこう
ああ あなたのゆく道はもう知っている
あなたの まことの心を

たからめのひかるは、とねのあかるを振り向き、少し驚きの混じった瞳で見つめました。とねのあかるは、何かがわかったようで、言いました。
「どなたか、見えないお方が、いらしたようだ。わたしの口を使って、あなたを、導きにいらしたようだ」
「ああ、そのようですねえ」
たからめのひかるは、目を細めて、微笑みました。そして天を見あげ、数珠の星を見あげました。飛雁の星が、かすかな針のような光を放って、たからめのひかるの頭の上に落としました。たからめのひかるは、深くお辞儀をして、数珠の星に感謝しました。桔梗の花たちは、悲哀にすこし沈みながらも、たからめのひかるのために、聞こえぬ歌を歌ってくれました。

そしてしばらくして、たからめのひかるは、周りにあるすべての愛に深く感謝の儀礼をすると、桔梗ヶ原に背を向け、とねのあかるに後をまかせ、にこやかに笑って、去ってゆきました。

たからめのひかると、とねのあかるが再びここで会うのは、これより九十年の後のことになっております。


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