No,66
ティツィアーノ・ヴェチェリオ、「バッコスとアリアドネ」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス、ヴェネツィア派。
ティツィアーノをあげるのは三作目だが、どうしても語りたいことがあり、これをあげた。
この作品は、矛盾に支配されていたティツィアーノの人生を象徴している。名声に満たされた人生だったが、その奥にあるものは、冷たい孤独だった。
彼の作品群を眺めてみると、彼の本当の愛が一番素直に現れているのは、ジョルジョーネを補筆した「眠れるヴィーナス」だ。自分の名によって発表された作品は、自分の本心を虚偽の鎧で巧みに隠している。そんなものを見せれば、人間によって殺されることがわかっているからだ。
虚飾と暗愚の馬鹿騒ぎを指揮しているバッコスが、アリアドネを一目見るなり、車の中から跳ね上がり、かのじょに飛びつこうとしている。これは、彼自身が焦がれていた、真実の愛への、苦しい飢餓感を表している。名誉と富をいくら得ることができようとも、決して満ちることのない胸の虚ろを、彼は常に抱えていたのだ。
彼の自画像を見てみたまえ。鉄でつくった愚か者の仮面をしっかりかぶり、本当の自分は決して見せていないことを、見破ることができるものは、達人だ。
長寿の人だったが、その人生はすべて、死んでいるのと同じだった。彼は生きながら自分を殺し、その技と魂の財産を、木が自分を人に与えるように、人類のためにささげたのである。
ティツィアーノ・ヴェチェリオ、「バッコスとアリアドネ」、16世紀イタリア、盛期ルネサンス、ヴェネツィア派。
ティツィアーノをあげるのは三作目だが、どうしても語りたいことがあり、これをあげた。
この作品は、矛盾に支配されていたティツィアーノの人生を象徴している。名声に満たされた人生だったが、その奥にあるものは、冷たい孤独だった。
彼の作品群を眺めてみると、彼の本当の愛が一番素直に現れているのは、ジョルジョーネを補筆した「眠れるヴィーナス」だ。自分の名によって発表された作品は、自分の本心を虚偽の鎧で巧みに隠している。そんなものを見せれば、人間によって殺されることがわかっているからだ。
虚飾と暗愚の馬鹿騒ぎを指揮しているバッコスが、アリアドネを一目見るなり、車の中から跳ね上がり、かのじょに飛びつこうとしている。これは、彼自身が焦がれていた、真実の愛への、苦しい飢餓感を表している。名誉と富をいくら得ることができようとも、決して満ちることのない胸の虚ろを、彼は常に抱えていたのだ。
彼の自画像を見てみたまえ。鉄でつくった愚か者の仮面をしっかりかぶり、本当の自分は決して見せていないことを、見破ることができるものは、達人だ。
長寿の人だったが、その人生はすべて、死んでいるのと同じだった。彼は生きながら自分を殺し、その技と魂の財産を、木が自分を人に与えるように、人類のためにささげたのである。