散歩の途中で、わたしはよく立ち止まって空を見る。
昔の記憶がよみがえってくるからだ。
記憶と言っても、みなで共有しているこの存在の記憶なんだけどね。
若いころの小さな失敗だとか、幼いころ味わった貧しさや寂しさだとか、思い浮かんでくると、わたしは通り過ぎていくことができずに、ついかみしめてしまうのだ。
ここらへんが、ゾスマやエラキスと違うところだ。
彼らは過ぎ去った小さなことになどかまわない。どんどん前に進んでいく。
だけどわたしにはそれができない。苦い記憶が浮かび上がってくるたびに立ち止まって、ゆっくりと思い返してしまう。
過ぎ去ったことになどもう何の解決策もないのに、しばらく立ち止まってしまう。
若いころというのは悲しい。過ちから逃げられない。もちろん、過たねばわからないから人は過つのだが、それがどうもかなしいくらいいとおしくて、わたしは立ち止まってしまうのだ。そしてしばらく、自分の小さな傷を愛撫する。
しばらくすると、まあいいかという気持ちにもなって歩き出すのだが。
こういう自分の癖というか、馬鹿なところというのが、わたしはいいと思うんだ。