ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ、14世紀イタリア、ゴシック。
苦しいね。だがそろそろ終わりが近い。もう少し我慢しなさい。
これは人類の罪の象徴である。幾多の画家がこの図を描いているが、古い時代のものの方が記憶が生々しく表れている。現実に起こったことに近い。
実際に起こったことは、聖書に書かれてあることとは若干違う。君たちは、聖人君子に嫉妬して、集団で暴力をふるい、彼を殺したのだ。裁判はあったが、磔刑の判決はなかった。彼は刑死したのではなく、大勢の人間の暴力に殺されたのだ。暴力に興奮しているときは夢中だったが、彼が死んだことがわかると、君たちははっと冷静になった。そして愛していたことを知った。それがあまりに苦しかったので、君たちは彼の死体を侮辱し、着ているものをはいで裸体を馬鹿にした上、十字架に釘づけたのだよ。
それがあの時、君たちのしたことだ。
逃げてはいけない。これをこれから、君たちは支払わねばならないのだ。それは君たちもまた、こういう目に会わなければならないということなのだ。
イエスが生きて使命を果たしていれば、君たちはこういうことにならずにすんだ。かのじょは地球を去らずに済み、君たちは順調に進化の段階をあがったろう。イエスを殺したことで、君たちは人類全体を馬鹿にしたことになったのだ。
正しいものは滅ぶ、生き残るのは馬鹿ばかりだという傾向がこの世界にできたのは、この事件があってからだ。世間の常識のように言われていることだが、それは本当はおかしいことなのだよ。
考え直さねばならない時がきた。少しずつ、見直していこう。