世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-02-25 07:17:01 | 月の世の物語・別章

緑の山々の景色を、遠くに眺められる、静かな森に囲まれた白い立派な別荘の庭で、一人の男が、妻と娘たちに囲まれ、ゴルフの練習をしていました。彼が不器用ながらもそれなりにかっこよくスイングを決めると、家族はこぞって彼をほめそやし、「すてきよ、パパ」と声をあげました。

その様子を、少し上空から、豆のさやの形の船に乗って、眼鏡の少年と、一人の女性役人がじっと見守っていました。少年が言いました。「…いいんですかね。あんなことしてて。彼、今大変なはずでしょ?」すると女性役人は、手に持ったガラスの容器を弄びつつ、下を見ながら言いました。「まあね、あれでも小国とは言え、一国の元首だもの」「国は今、資源問題で大国と対立を深めてる。彼の国でとれる資源が、別国に流れてその兵器開発に関連してるって…」「彼が今その問題で何を考えてるかはわからないけれど、もうこれ以上は無理ね。そろそろだわ」女性役人が腕時計を見ながら言いました。彼女は時計の針を見つめながら、「…五、四、三、二、一、…ボン!」と言いました。

そのとき、眼下でパターを握っていた男が、ぐ、と喉をつまらせ、頭を引っ張られたかのように背筋がぴんとひきつったかと思うと、突然大量の汚物を吐きだし、そのままばたりと地面に倒れました。家族が悲鳴を上げ、隠れて見守っていた警護員が一斉に彼の周りに集まりました。

「心臓マヒね。さて」女性役人は、ガラスの容器の蓋を開けると、「ズムドルクン・オルゾ」と言いました。すると、眼下の庭に横たわった死体の中から、もぞり、と一匹のムカデが姿を現し、女性役人の声に引き込まれるように、ぎいぎいと声を上げながら船に向かって上ってきたかと思うと、すっとガラスの容器に吸い込まれました。「一国の元首が、人怪とはね」言いながら、彼女はムカデを収容したガラスの容器に蓋をしました。「珍しいことじゃないですよ、地球では。でもなんです?ズムドルなんとかって、聞いたことのない呪文だけど」「この怪が、まだ人間だったときの最後の名前よ、見て」言いながら、彼女はムカデの入った容器を、少年に見せました。少年はそのムカデを見て、眼鏡を外しながら驚いた声をあげました。「うわ、頭が、二つある!」ムカデは、細長い体が途中でY字形に枝分かれして、それぞれの先に別の頭を持っていました。「怪の最終形態よ。存在たるものが悪を犯しすぎて、限界に近づくと、存在の愛なるものとの矛盾が巨大化して破裂しそうになり、あまりの苦しみに、意識層にある自我が愛なる自己存在から逃げようとしてこうなるの。とうとう、ここまできたのよ、人類は」女性役人の言葉に、少年は、茫然と頭を振りながら、二つ頭のムカデを見つめていました。「さて」女性役人は言うと、ガラスの容器にぺたりと月の世の紋章を貼り、呪文を唱え、それを月の世のお役所に送りました。ガラスの容器はすぐに彼女の手の中から消えました。

二人は、眼下の人々の大騒ぎを一通り見回し、記録するべき情報を記録したあと、ゆっくりと船を回し、空に向かって飛び出しました。

その頃、月のお役所では、女性役人が送ってきたガラスの容器を受け取り、さっそくその分析を始めました。二つ頭のムカデは、たくさんのコードを結びつけられた水晶製の大きな別の容器に入れられ、ある研究室の真ん中の机の上で、十数人の役人たちの視線を一斉に浴びていました。

「ズムドルクン・オルゾ。三万年前、彼はある森林の国の神官だった。しかし彼は神殿に大勢の女を集め、彼女らを神女と呼んで、神殿に供物を納めた男を相手に、みだらな行為をさせた。それに反発する神官を彼は八人殺している。女たちは彼に操られ、恥ずかしい仕事を毎日やらされた挙句、男が欲望を彼女らに示さなくなると、殺された…」ひとりの若い役人が、帳面を読みながら言いました。だれかがため息をつきましたが、役人たちは顔をゆがめながらも、それほど珍しいことではないとでもいうように、特に大きな反応は示しませんでした。と、研究室の知能器の前にいた役人が、「ひゃっほう!」と声をあげました。
「すごい罪歴だ、すごい罪歴だ。どんどん出てきますよ。うわあ、果てしない。人殺し、姦淫、盗み、詐欺、虚偽、凌辱、裏切り、おお、虐殺、戦、拷問、謀略、破壊、捏造、罠、お、お、惨い、これは惨い!」「そんなものいちいち見るな、飛ばせ!」そう言うと、研究室の室長が彼の脇から知能器のキーをポンと押し、画面は彼の罪歴の最後のページに飛びました。そこには十七行の文字の列があり、一番下の行には、ほんのさっきまで一国の元首として生きていた彼の名が太字で書かれ、その下では、「危険、注意」という大きな赤い文字が激しく点滅していました。

「これが最終形態か…、石の文書にあった図とそっくりですね」役人の一人が水晶の容器の中でうごめく怪を見つめながら言いました。「ああ。愛なる存在が、その真実に反したことをあまりにやりすぎて、限界に近付くと、こうなる。つまり、悪と愛の激しい矛盾があまりにも苦しくて、存在がその存在であることを、拒否しようとするんだ。それゆえに彼は今、ものすごい存在痛と虚無感を味わっている。あまりにつらい。あまりにさびしい。自分が、壊れていくような、すさまじい恐怖感。愛に見放されるかもしれないというおびえ。彼は愛を侮辱しながらも、それを影に引きずりながら、長い長い時を愛たる自分存在を裏切り続け、ひたすら悪を行ってきた。そしてとうとう、こうなった」室長が言いました。

「このまま放っておくとどうなるんです?」「善と悪の二つに分かれるというのは、考えられませんね」「悪は存在しない。彼がどんなに自分という存在を憎んでも、存在が存在である限り愛からは離れられない。それゆえに、完全に分裂するということはあり得ない。だが彼はその自己存在たる愛から今、懸命に逃げようとしている。しかし、愛が自分から全く離れてしまえば自分は存在しないことになる。だが、彼はその愛から逃げ、悪を信じようとする。しかし、愛を離れて全く悪になってしまえば、自分は消えてしまうことになる。かといって愛を受け入れて悪を退ければ今まで自分がやってきたことが全て愚かなことになり、それを彼のプライドは許さない。しかし悪を信じ続けて愛を退ければ自分は消滅する…同じ苦悩を繰り返す愚かなる永遠の矛盾運動だ。彼が愛なる自己存在の真実に目覚めない限り、このまま放置しておけば、彼はその恐ろしい矛盾の回転の中に引き裂かれ、やがては自己崩壊を起こし、自分自身の毒を飲んで自分を殺してしまう。要するに、自分で自分存在であることを放棄し、死者の死者の一員となり、恐ろしく深い地獄の底で永遠の浄化の荒波に洗われることになる」室長は言いました。

「死者の死者か」「…結局は、それか」役人たちは、それぞれに、知能器の画面や水晶の容器の中のムカデを見ながら、悲しげな顔をしました。

「データはとれたか」室長が、別の知能器の前にいる役人に声をかけました。するとその役人は答えました。「はい。怪の苦しみは相当なものです。魂の核が割れるように叫んでいる。それでいて、表面は凍りついたように動かない。表層自我の活動は大部分死んでいるのと同じです。その彼をかろうじて今動かしているのは…」「愛だろう」室長が言うと、知能器の前の役人は振り向きもせず、「そうです。それのみです」と答えました。「なんという矛盾だ」誰かが言いました。「こうまでなっても、やはり愛は愛するのか」。

「さて、次だ」室長は、短い呪文を唱えて、手の中に厚い帳面を出すと、それをぺらぺらとめくりながら、言いました。「とにかく、私たちは、この怪が死者の死者に落ちる前に、何とか助けねばならない」彼は帳面に息を吹きかけて、ある一ページのコピーを何枚か作り、それを周りにいる何人かの役人たちに渡しました。
役人たちは、そのコピーを読み終わると、お互いの顔を見合わせ、もの言わぬままうなずきあい、それぞれの役目を決めました。

真ん中に水晶にとじこめた怪を取り囲むと、ある役人が、天井に響く高い声をあげ、聞いたこともない呪文の古謡を歌い始めました。別の役人は、その声を追い、それに和するように、少し低い声で、同じ呪謡を歌い始めました。また別の役人は、宙に指を踊らせて小さな細い銀のペンを出し、そこから光を出して、水晶の器の中のムカデの、ちょうど頭の分かれたところに、曲線と記号の複雑に入り組んだ小さな愛の紋章を描き始めました。室長は、彼らがそれぞれに魔法の流れに乗ってきたのを確かめると、片足で床を叩きながらリズムを打ち、低い声で、ず、ず、と腹の底に響くような声で歌い始めました。一人の女性役人が、愛を表現するために、研究室の中に花園の幻を描きました。

その他の役人たちは、ただ黙って、彼らの魔法を見守っていました。魚の知恵の石文書に書いてあった、古い古い再生の儀式が、始まろうとしていました。

突然、背後から見守っていた役人の一人が、何かに引き込まれたかのように、魔法の輪に加わり、石文書には書いてなかった呪謡を歌い出しました。室長はリズムをとりながら、彼の方を見ましたが、彼の瞳が、何かに魂を奪われたかのように宙を見上げたまま凍りついているのを見て、黙って儀式を続けました。神が降りたのでした。そのようにしていつしか、研究室にいる役人たち全員が、それぞれに微妙に違う旋律の、違う呪文を歌い、天を見上げながら不思議な合唱を行っていました。ただ、ムカデに銀のペンを向けている役人だけが、じっとムカデの様子を見守っていました。

やがて、合唱が何かに操られるように不思議な高みに登ろうとしたとき、むり、とかすかな音がして、分かれたムカデの体が、だんだんと根元から融合し始めました。銀のペンを持つ役人は、声もたてず、静かにその様子を見守っていました。ムカデの体に描かれた紋章は、呪文のリズムに合わせて点滅を繰り返しながら、歌が流れてゆくに従ってゆっくりとムカデの体の中にしみ込んでいきました。室長の打つリズムが、呪謡の終章を知らせ始めると、Y字形だったムカデの体はほぼ一本の線になり、やがて、しっかりと頭が融合して、普通のムカデの姿に戻りました。花園が消え、元の研究室の背景が戻ってきました。役人たちは歌い終わり、室長が、一つ、ずん、と声を打ちました。

ふう、と誰かが息をつきました。すると、皆が、今初めて夢から目を覚ましたかのように、ざわりとして互いの顔を見合わせました。役人たちは、神がともにいて魔法を行って下さったことに軽い衝撃を受け、驚きを感じていました。なんてことだろう、と、一人の若い役人が言いました。いったい自分は何をやったのか、彼はいまだにわかっていなかったのです。

神のもたらしたひとときの愛の唱和の名残を感じながら、室長は深いため息をつき、水晶の器に手をついて、小さな声でムカデにささやきました。「ズムドルクン・オルゾ。罪びとよ、神はおまえを見捨てなかった」。

研究室にいた役人たちが、一斉に室長を見ました。「神は、すべての怪をも、救うつもりなのだ」室長は静かに言いました。

役人たちは、少しの間、苦しいような、眩しいような目つきで、室長と、水晶の器の中のムカデを、かわるがわる見ていました。ひとりの役人が、感極まったかのように、強く瞼を閉じて唇を噛み、こらえきれなかった涙で頬をぬらしながら、天を見上げ、叫ぶように言いました。
「神よ、…感謝します!」。

室長は、そんな彼を一瞥すると、自分もまた胸に手をあてて天を見上げ、「愛なるものに御栄あれ」と彼に続いて祈りました。そして、ふっと息をつくと、すぐ皆の顔を見回して指をぱちんと弾き、言いました。「さあみんな、何もかもは、これからだ。神は常に我々とともにある。我々の仕事は、始まったばかりだ」すると役人たちは一斉に「はい」と答え、それぞれの机に向かって、自分の仕事を始めました。

ズムドルクン・オルゾは、水晶の器の中で、もぞもぞと動きながら、自分の身に何が起こったのかも知らずに、ただぼんやりと、彼らの様子を見守っていました。



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