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世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

2012-03-31 06:59:03 | 月の世の物語・上部編

「ほむ」と、白髪金眼の上部人は言った。彼は今、建設中の翡翠の大樹のそばに立っていた。大樹の周りには数十人の上部人たちがいて、それぞれに杖を揺らして、金の音をかき鳴らし、清らかな合奏をしていた。はあ…という風の精の声がそれに混じり、その合奏の音を不思議に組み立てて、細い光の柱を何本も鋼鉄の地に立てていた。その柱を基準にして、別の上部人たちが、呪文の魔法を行い、鋼の大地の奥から、緑の色をした翡翠の湯を泉のように呼びだし、それを冷やし固めては、大樹の礎を着々と創りあげていた。

白髪金眼の上部人はただ静かにその様子を見守っていた。ふぉう、と風のように彼はささやくと、視線を天にあげ、かすかに見える、神が虚空に描いた、大樹の設計図の、透明な音律で描かれた線のあまりにも繊細に複雑怪奇に交錯し、それが見事に美しい巨大な世界図の文様を描いていることを見た。彼は感嘆せざるを得なかった。これができれば、まことに、すばらしいことになる。神は、人類によって、これを行うのだ。しかし、本当にできるのか。今の人類の状況からすると、それはまるで不可能なことのようにも、思えるのだが。だが神は、実際にそれを、行うとおっしゃっている。ということは、これは、できることなのだ。しかしそのためには、我々も、相当なことを、せねばならぬ。より高い力が、必要となる。

「とるん」彼は腕を組み、考えた。桜樹のシステムは、すでに地球を動かし始めている。もはや、ほとんどの、動くべきものは、動き始めている。神の御計画は、着々と進んでいる。自分もまた、その一員として働いているが、はたして、人類はやっていくことができるのか。神はできるとおっしゃる。それは真実だが、それをすっかり信じようとすると、自分の中に、どうしてもかすかに何かが揺らぐ。現実の人類はそれほど、今、腐っているのだ。

彼は、建設中の大樹から少し離れ、その周りを少し散策した。翡翠の大樹の基部は、鋼の大地から泉のように湧きあがり、緑につやめきながら少しずつ膨らんでくる山のように見えた。ほむ、と彼はまた言い、手を顎にあてると、鋼の大地の下を見た。そしてそこに、未来を幻視した。もはやすでに、花霊の気配があった。何とも気高く、はげしく誇り高い智霊の気配がした。それは、菊花であった。この次の大樹には、菊が、真っ白な、菊が、咲くのだ。
これは、厳しすぎるのではないか、と彼は考えた。人類は、思った以上に、苦しい道を歩むことになる。それが本当に、彼らにはできるのか。

あぅ、と彼はつぶやいた。真実は深い、という意味だった。桜樹の時代を経た人類が、はたしてどのような成長を見せるのか、それは今の彼に予測することは難しかったが、とにかく前には進まねばならない。「ひ」…人類よ、と彼は言う。「こぅ、らぃ」…かつてない創造であるおまえたちが、その真の意味を知らず、今もまだ、罪の闇に己の影を焼いていることを、わたしは悲しむ。「なん」…とにかくは今、わたしはおまえたちのために、何かを求めてみよう。

彼は、つ、と言うと、そこを飛び立ち、風に乗って首府に向かった。そしてそこで、青い服を常人の服に着替え、聖者の姿をとると、杖を出し、月の世に降りて行った。そして月長石の平原に降り立つと、いつもより手順を少し飛ばした魔法で、言語を常人のものに切り替え、ふと、「む」と言った。…何を焦っている?と彼は考えた。呪文の音韻を飛ばすなど、普段の自分なら考えられないことだ。特に害はないだろうが、こんな自分らしくないことをするのは、快いことではない。これは何か、自分とは違う者が、自分に影響している。彼は考え、しばし目を閉じた。すると、魂の奥に、とん、と響く音があった。彼は目を開けた。なるほど、桜か。と彼は思った。どうやら桜樹のシステムが、何かの活動をするために、自分を選んだらしい。考えてみると、今からわたしがやろうとしていることは、いかにもわたしらしくないことだ。…が、ふむ、何か変化のあることをやることもまた、自分にとってよい学びにもなるだろう。

彼は、口の奥でかすかに呪文をつぶやき、自分を、通常の自分と、桜樹の影響下にある自分の、二枚に分けた。そして常に冷静に自分を見る本来の自分を自分の奥にしまい、桜樹の影響下にある自分を表に出して自分を行動させてみることにした。するとその自分は、ため息のように、言った。

「菊花の、大樹か…」彼の声は悲しげに青く、月長石の地をたたいた。彼は杖を振り、そこから姿を消した。そして、ある、小さな地獄の片隅に咲く、一輪の菊花の元を訪れた。

その地獄は、朽ち果てた石の神殿の遺跡の中にあり、昔、国に醜い淫らな戦争を起こし、神をたばかって間違ったことを国民に教え、多くの国民を腐乱の地獄に落とした王が、崩れ果てた神殿の真ん中に錆びた銅像となって立っていた。彼は、地の底から響いてくる国民の恨みの声を聞きながら、冷酷の風と苦い酸雨の中に永遠に近い年月を立っていなければならなかった。その銅像の背後、神殿の片隅の岩の隙間に咲いている、ほんの小さな一輪の白い菊花は、その罪びとをひそやかに、聞こえぬ声で愛し、厳しく過ちを諌めつつも、その苦悩を癒し続けていた。その一輪の菊花こそは、まことに、気高い花霊であった。踏みにじろうと思えば、いとも簡単にそれができるほどの、はかなくも、小さな、弱い姿を、彼はとっていたが、その中に、まさに鋼のように硬い意志と、水晶のように澄んだ誠と、まっすぐに自らを律する鉄の剣があることを、知る者は、月の世には誰もいなかった。

そう、菊は、彼であった。男であった。

「白菊よ」と白髪金眼の聖者は花の前に膝をつき、声をかけた。すると菊は、かすかに白い花弁を揺らし、答えた。「なんでございましょう。聖者の方」。

「尋ねたいことがある。あなたは、次の大樹のことを知っているか」
「ほう、あなたが、お聞きになりますか」と、菊は少し驚いたように答えた。「どういたしましょう、わたしは。神にお尋ねしなければ、判断致しかねまする。ほう、なぜ、あなたが、お尋ねなさる」
聖者はしばし沈黙し、杖を揺らした。すると、冷酷の風が少し弱くなり、酸雨が小止みになった。銅像が背後で少し安心したように深い息をした。だが聖者と菊の声は、銅像の彼の耳には、決して入らなかった。なぜならば、彼の耳には今、地の底から響いてくる国民の呪いの声ばかりが、泥のように詰まっていたからだ。

「菊花よ。あなたは気高い。そして、賢い。鉄のように、硬く、刃のように、厳しい。あなたは、人間を深く愛するが、その首を、打ちもする。あなたは、時に、残酷でありすぎる」
「確かに、そのとおり。わたしは、花ではありますから、人を愛しますが、人を殺すこともあります。しかしそれは、人にとって、その方がいいという場合のみです。人のように、自らの愚かな目的だけのために、殺したりなどしません。命を失うということは、人にとって、もっとも辛いもの。それを味わう方が、人にとって良いと、わたしが判断した場合、わたしは、遠慮なく、自らの刃を使います。わたしは、それが、できる、花です」

ん、と聖者は思わず、上部の言葉で言った。魔法の手順を飛ばしたせいだった。それは、まさに、という意味であった。

「人類は幼い。あなたの刃に耐えられるまでに、桜の道が、彼らを、導くことができるだろうか。桜とは、無償の愛だ。それは何も求めはしない。ただ愛のみで、愛するためにだけに、すべてを人類にささげる。人類はその愛に、驚きおののくであろうが、大いに助かるだろう。その愛を受けて、人類は試練に耐え、乗り越え、学んでゆくと、神はおっしゃる。しかしその次に、あなたが来る」
「確かに、あの方は、天女のごとく美しく、あり得ないほどに、お優しい。桜の道は、ただひたすら人類を愛し、人類を助けている。矛盾にもがき苦しむ彼らの魂に、繰り返し、愛をささやき続けている。しかし、人類には、わたしたちのような者も、必要です。桜は、全てを、愛のみを理由として愛しますが、人がそれを否と言うとき、何をするすべもありません。ただ、耐えに耐え、愛し続けることしか、できません。彼女に、唯一使える武器があるとすれば、それは、自ら退いてゆくことだけです。もちろん、彼女がその武器を使うことはないでしょうが、聖者の方、わたしは、考えます。彼らが、桜を侮辱し、それによって桜の愛を失うことが、もしあるとしたら、そのあまりの苦しさを味わうよりは、その前に、わたしのようなものが、刃をふるい、つるりと首を取ってやった方が、彼らの幸せというものではないかと。間違いを犯す者を、わたしは許しませぬ。遠慮なく、やりますとも」

聖者は、黙考した。そして清らかにも白い菊の花をじっと見つめた。この花が、大樹ともなれば、どのようなことが人類の身に起こるのか、今の彼には、それを想像することが、つらかった。だが、神の御計画にある大樹は、まことにすばらしく、美しいものだ。あれは、確かに、人類の、未来なのだ。

「聖者の方」と菊花は言った。「何もかもは、神のお決めになったことです。わたしは、ただ、その御心に従うまでです。そして神は、誰よりも、わたしがどのようのものであり、何をするものであるかを、御存じであり、決してそれを、とがめはしません。なぜなら、わたしは、常に、正しいのですから」
「まさに」聖者は言った。そして、深くため息をついた。「美しい花よ。あなたは、まことに、正しい。決して間違いはしない。人類は、あなたによって、大いに学び、やるべきことをやっていくことであろう」

聖者は杖を揺らし、ついぞ歌ったこともないような、やさしい呪文の歌を、菊花のために歌った。それはいつもの冷厳な彼の顔からは想像もできないような、美しい乙女のような声の、菊花の美と心をたたえる愛の歌であった。それは一息、風に混じり、かすかに、背後の朽ちかけた銅像の耳の、呪いの声を溶かした。

こん、と響く音があり、聖者は振り向いた。すると、銅像が、かすかに震えていた。菊花が、おや?と言った。

おお、おお、と言って、銅像が震えていた。聖者は立ち上がり、しばし背後から銅像の様子を見守った。ぎり、と音がして、銅像が、手をかすかに動かした。彼は、手をあげようとしていた。菊花は驚きの目で、それを見つめていた。

「こ、く、み、ん、よ」と、王は、言った。ああ、と彼はため息をついた。そして一息沈黙を飲んだあと、また、力をふりしぼり、かすれた声で言った。「こく、みん、よ…」。

聖者は、かすかに呪文を吐き、彼を背後から助けた。すると王の銅像は力を得て、雄々しく、右手を挙げた。そしてみずみずしくも高らかな声で、空に向かい、言った。

「国民よ。われは、あなたがたを、愛する。常に、思うている。すまなかった。愛していたのに、すまなかった。われは、永遠に、あなたたちに、仕える、となる」

菊花は、驚いていた。罪びとが、あまりに意外な成長を、突然に示したからだ。聖者は目を細め、彼の様子を、注意深く観察していた。

王の銅像はただ、手をあげ、全身をぶるぶると震えさせながら、目に見えぬ国民のために笑っていた。涙がとめどなく彼の頬を流れていることが聖者にはわかった。かろむ、と彼は上部の言葉でつぶやいた。「未知数のものがある。これは何だ。わたしは今、魔法の効力以上の変化を、この者の上に見ている」と彼は言ったのだ。

数分の静寂があった。王の銅像は、きりきりと音を立てて、足元から崩れ始め、やがて、一山の銅の砂となって消えた。するとそこには、いつしか白い服を着たひとりの男がぼんやりと立っていた。その男を、次の段階に導くために、管理人の青年が飛んできた。彼は聖者の姿を見て驚いたが、聖者が杖を揺らして、行けと言ったので、それに従い、小さく礼義をすると、黙って男を連れていった。

冷酷の風は消えた。酸雨は止んだ。青空がさえ、月は澄み、涼やかな薫風が吹いた。銅の砂は風にさらわれて消え、地獄は清められた。腐乱の地獄にいる国民たちにも、何らかの導きがあることだろう。
王が、全てを背負うと、言ったからだ。

「みごとですね!」と菊花は感嘆して言った。「あなたの愛の魔法は!」
聖者はただ、黙っていた。あの歌の魔法が、どのような変化を彼にもたらしたのか、手ごたえのある答えは彼の胸に確かにあった。だが、どうしても納得のいかない謎が残った。彼が知っている限りの、どのような紋章もはめこむことのできない、小さな空欄が見えた。

「人類よ」彼は言った。「おまえたちは、何者なのか」

菊花は、風に顔を揺らし、それに言った。「すべては、神の御心のままに。わたしは、わたしを、やります。人類は、耐えられるのでしょう。いつか、彼らの頭上に、わたしが下ろす、斧に」

「そうかもしれぬ、…いや、そうあるべきなのだろう」と聖者は言った。

彼は菊花に敬意を表し、礼を言うと、そこから去った。

「えぅ」、彼は、月の世の空を飛びながら、上部の言葉で言った。「やってみるしかない」という意味だった。そして彼は、地球に向かった。今日、あの王の中に見たひとひらの空欄が何なのか、それがどういう可能性なのかを調べるために、少し人類を試みてみようと、考えたのだ。

桜樹のシステムは、彼を用いて、確かに、人類のために何かをしようとしている。それはおそらく、桜樹の時代から菊樹の時代へ移るときに、人類を正しく導くための、何らかの布石につながることなのだ。聖者は、鏡を裏返すように、桜樹の影響下の自分を奥にしまい、代わりに本来の自分を前に出した。そして、冷静にさっきまでの出来事を思い返し、少し目を細め、ふ、と笑った。

「とぃ、み!」…菊樹の愛か。神は、すさまじいことをなさるかもしれぬ! 地球世界への門をくぐりながら、彼は冷たく言った。



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