No,90
ヤン・ファン・エイク、「ヘントの祭壇画」より「聖母マリア」、15世紀フランドル、初期フランドル派。
これは美しい。マリアの事実云々を度外視して、取り上げざるを得ないね。人間は、純潔なるマリアをここまでたたえるのかという絵である。
崇高なる天国とはこういうものかと、見入ってしまう。
実にね、こういう女性存在が、いないわけではない。だがこうなるともう、女神の段階だ。正直、人間は、見ない方がいい。人間がいやになってくるからだ。
女性存在と言うのは、美しくなりすぎるんだよ。
隣にいる、かわいい女の子の方を、見た方がいい。その方が安心だ。そういう子の方が、いいことをしてくれる。かわいい愛で、大切なことをしてくれるよ。そういう小さな愛を、大事にしていくがいい。
美しすぎる女を見ていると、男は狂うぞ。馬鹿になりすぎぬ前に、あきらめることだ。
だがまあ、絵の中の女性なら、いつまでも見ていられる。ファン・エイクのこの絵は、天上の女神というものを、人間に見せてくれる。
ヤン・ファン・エイク、「ヘントの祭壇画」より「聖母マリア」、15世紀フランドル、初期フランドル派。
これは美しい。マリアの事実云々を度外視して、取り上げざるを得ないね。人間は、純潔なるマリアをここまでたたえるのかという絵である。
崇高なる天国とはこういうものかと、見入ってしまう。
実にね、こういう女性存在が、いないわけではない。だがこうなるともう、女神の段階だ。正直、人間は、見ない方がいい。人間がいやになってくるからだ。
女性存在と言うのは、美しくなりすぎるんだよ。
隣にいる、かわいい女の子の方を、見た方がいい。その方が安心だ。そういう子の方が、いいことをしてくれる。かわいい愛で、大切なことをしてくれるよ。そういう小さな愛を、大事にしていくがいい。
美しすぎる女を見ていると、男は狂うぞ。馬鹿になりすぎぬ前に、あきらめることだ。
だがまあ、絵の中の女性なら、いつまでも見ていられる。ファン・エイクのこの絵は、天上の女神というものを、人間に見せてくれる。