世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

松田聖子

2012-05-23 07:10:15 | 画集・ウェヌスたちよ

てんこのお気に入り美女シリーズ。今日と明日とやります。

まず最初は、松田聖子さん。似てるかな? 似顔絵は苦手なんだけど。わたしとしては、今の芸能界では、一番きれいな人だと思いますよ。強いし、とてもきれいな声だし、歌はうまいし、年をとってからいっそうかわいくなった。芸能人として、彼女以上の才能を持つ人を探すのは、難しいと思う。まあ、最近はテレビもあまり見ないので、芸能界のことよく知らないんですが。彼女がテレビに出てくると、何か違う空気が流れるのを感じますね。

デビューしたての頃は、ぶりっこだの嘘泣きだのと、いろいろといじめられてましたが、実際、歌はみんなヒットしてたし、悪口は言いながらも、ちまたの女の子たちは、聖子ちゃんのヘアスタイルをみんな真似してた。

これは女の子の悪い癖ですね。少しでも、自分より可愛かったり、勉強ができたり、才能があったりすると、みんなでいじめるんですよ。どうでもいいような、ほんの小さなとこをつっついてね。たいていは陰からね。そのくせ、みんなその子からいいものを盗んでいくんだ。髪型とか、服のセンスとか。つまりは、自分よりその子のほうがいいから、その子みたいになりたいって、そこらへんに痛いものがあるんじゃないかな。

そんなことに力を入れるよりは、いろいろ勉強して、自分の自分を中身からきれいにしていくほうが、いいと思うんだけどなあ。ほんとうに心根のかわいい子ならそうしますよ。人をいじめて、人から盗んだもので自分をかわいくしたって、きれいにはなれない。だって、そんなことするのは、自分があの子よりかわいくないって自分で自分をおとしめてるようなものじゃないですか。それは馬鹿だ。人はみな、それぞれに違って、それぞれ違ったかわいさを持っているものなのに。賢い女の子は、いろんなことを勉強して、そんな自分らしいかわいらしさを上手に育てていくものだ。

きれいになりたいのなら、きれいじゃないことはしてはいけないよ。これ、何回も言ってることだけど。人に意地悪をしたり、いじめたりしちゃだめだよ。

まあとにかく、今の芸能界では、松田聖子はピカイチだと私は思っております。世間の人にいろんなことを言われても、彼女は負けなかった。つらいこともあったでしょうけどね。いつまでもあの美しい声で、歌を歌って欲しいな。

スイートメモリーズは、わたしも好きだったなあ。



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おのがゆく

2012-05-22 12:44:44 | 詩集・貝の琴

おのがゆく ほのじろくも
とほきみちを ゆきさりし
きみを おもふ
きみを わすれぬ
きみを あいする

きみのみちの はげしくも
みをうつ かぜのいたきを
わたしは おもふ
きみのみちの けはしく
とがるみねの つづくを
わたしは おもふ
きみのみちの つめたく
ゆきに さえこほるを
わたしは おもふ

だが かなしみはせぬ
それはきみの きみなればこその
まことの みちなれば

おのがゆく ほのじろくも
ますぐなるみちを ゆきさりし
きみを おもふ
きみを わすれぬ
きみを あいする


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風に浮く

2012-05-22 07:17:19 | 歌集・恋のゆくへ


としつきの 風の彼方に 君は見る この仮の世の まことの色を


夢見果て 夢見果てぬる 夢を見て まだ夢を見る まどろみのかほ


さいはひを 花にたとへて 君にそふ まことのむねを 君知らずとも


貝玉を さがしもとめて 砂をゆく 耳に流れる 海のため息


君知るや 赤き衣に 包みては 隠す心の さびしき青を


からからと 鳴る音もなし うつろなる 鈴をかかえて 君はわらひぬ


繚乱の 春には見えて 一枚の 衣を破れば からっぽの雪


道ありと 見ゆる景色の 風に浮く 仮寝の夢と 君はいつ知る


悲しきは 鳥の嘘音を 鳴く君を しじまの壺の 中に見る夢


戸を閉めて 鍵をかけなほ ふたつかけ 見えぬとおもふ ガラスの心



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須和野チビ猫を描いてみた

2012-05-21 13:24:21 | 画集・ウェヌスたちよ

今回は大島弓子先生の「綿の国星」から。ちび猫です。なかなかかわゆく描けたと思うのですけど、どうでしょうか。なんだか、前回のエーベルバッハと比べると、世界がまるで違いますね。

やっぱり、どんなに似せようと思っても、本物とは全然違いますね。目を大きくして唇と鼻を小さくかわいらしくして、輪郭を幼げにしてみたんですけど。形的にみると、あ、あれのまねだな、ということはわかるけれど、やっぱり偽物は偽物だなあ。

でもまあ、わたしは、わたし的なちび猫が描けたので満足です。どんなにまねしようとがんばっても、わたしが描くのはわたしの絵なんだってことなんですね。

おもしろいから、これからも時々、人の絵をまねして描いてみよう。どんなにがんばっても、絶対に自分の絵から抜け出せないってことが面白い。わたし的なトーマや、わたし的エーベルバッハ、わたし的ちび猫。人のまねをすることで、浮かび上がってくる自分らしさが、おもしろい。

今度はだれのまねをしてみようかなあ。まねをするにも、それなりに面白い人じゃなきゃいやですね。マンガにこだわらず、昔の名画やアニメなどもやってみようかしらん。

まあおあそびですけど、楽しんでいただけたら幸いです。


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エーベルバッハを描いてみた

2012-05-21 07:23:43 | 画集・ウェヌスたちよ

前に、萩尾望都先生の、トーマ・ヴェルナーを描いてみましたが、今度は、青池保子先生の「エロイカより愛をこめて」から、エーベルバッハ少佐に挑戦してみました。

わたしは九巻目くらいまでしか読んでないのですけど、連載は今でも続いていて、もう三十年以上にもなるそうですね。

最初、青池保子先生の公式ホームページを参考に、少佐の目を、緑色の目の小さい三白眼に描き、顎ももっとがっしりした感じにしてみたんですが、…怖い。すごく怖い。ほんとに恐くて、目の玉を大きくして控えめの三白眼にし、顎も幾分細めにしました。

本名は確か、クラウス・ハインツ・フォン・デム・エーベルバッハ少佐ではなかったかと記憶しております。勤務先はNATO。今でもご活躍なんでしょう。読んでないからわからないんだけど。ジェームズ君とか、部下ゲーとかいろいろ面白い人がいっぱいいたな。

人の絵のまねをするのは、結構楽しいですね。自分の個性というのもわかる。本物のエーベルバッハ少佐の目には、まつ毛も描いてあるのですけど、わたしには描けませんでした。やっぱり本物には勝てないなあ。青池保子じゃなきゃ、エーベルバッハは描けない。

でもまあ、てんこ的エーベルバッハはこうなりました。似てるのは髪形だけだなという感じだけど、まあいいんではないかと。


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解説

2012-05-20 12:32:24 | 薔薇のオルゴール

今回はイソップ寓話のパロディをやってみました。
これはもともと、読み聞かせボランティアグループの、パネルシアターの原案だったものなんですが、処々の事情あってそれができなくなり、そのまま放っておいた原稿を掘りだして、少し書きなおしたものです。

旅人のおっかさんは、とても優しくて、たいそうなお人好しらしかったようだ。きっと若い時に夫を亡くして、女手ひとつで小さな息子を育ててきたんでしょう。貧乏でも、正直に生きて、ひっそりと死んでいったんだろうなあ。息子に、小さな畑を残して。

ほんとうにね。生きることは大変なことがいっぱいある。精一杯生きて、この世に残せるものと言ったら、本当に小さなものだ、たいていは。おっかさんが残していったのは、畑よりもむしろ、息子の中のやさしさだったんでしょう。

今の世の中、そんな甘いことで生き抜けていけるはずはないと思っている方が大方でしょうけれど。悪いことの一つや二つ、できなければ、生きていけないと思っている人が多いでしょうけど、わたしはそういうのはいやだ。なぜならそれは、間違っているから。

旅人にも、これからつらいことはあるかもしれないけれど、おっかさんのように、たとえ貧しくても、正しく、明るく、神様に恥じることのない生き方をしてほしいと思う。猫だって、馬鹿にしてはいけませんよ。大切にすれば、人間に、本当に大切なことをしてくれるんだ。

でもにんげんは、にんげんをあまり大切にしないんだ。なんだかみんな、いつも文句ばかりをいって、だれかにけんかをふっかけるようなことを言っている。憎みあったり、傷つけあったりするのは、つまりは、相手の方が、自分よりよく見えてしまうからですね。何度もこのことは言ったけれど、他人は絶対、自分にはないものを持っている。そんなの、人によって違うのは当たり前だから、うらやましがったり、欲しがったりするのは間違いなんですが。にんげんはどうしても、他人のものを欲しがるようだ。だから、傷つけあう。ねたみあう。醜い争いがおこる。

もういいかげん、やめたほうがいいと思うけどなあ。もうだいぶわかってきていると思うんだけど。




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北風と太陽と猫

2012-05-20 09:04:05 | 薔薇のオルゴール

ある日のことです。太陽と、北風が、お空の上で、どちらが強いかを、言い争っていました。

太陽は、「わたしは、どんなものでも、熱くまぶしく照らすことのできる、とても偉いものだ」と言いました。すると北風は、「わたしはどんなものでも、冷たく暗く凍らせることのできる、すごいものだ」と言いました。
どちらも、自分の方が偉くて、すごいと言ってゆずらないので、しまいに、どちらが強いか、ためしに競い合ってみようではないかと、いうことになりました。

そこで、下界を見下ろすと、ひとりのみすぼらしい旅人が、丘の上の一本道を、てくてく歩いているのが見えました。旅人が、古い皮のマントを着ているのを見て、北風が言いました。
「どうだい。あの旅人のマントをうまくとってやったほうが、勝ちということにしては」
すると、太陽も言いました。
「いいだろう、いいだろう、簡単なことだ。君が先にやってみたまえ」

そこで北風は、よしきたとばかりに、旅人のマントを吹き飛ばしてやろうと、冷たい風を思い切り、旅人に吹きつけました。

丘の上の道を、旅人は、一人でさみしく、歩いていました。きょうはそれほど天気も悪くはなく、無事に次の町まで行けそうだと、考えていると、突然空が曇って、強い北風が吹いてきました。
「なんてことだ。ついてないなあ」
旅人は、マントを吹き飛ばされそうになったので、たまらず、マントのひもを強く握りしめました。

旅人は、マントを深く着こんで、歩きながら、風をよけられる木など周りにないかと探しました。しかし、荒野の丘は一本道がどこまでも続くばかりで、隠れられるようなところは見つからず、とうやら歩いていくしかありません。
「やれやれ、とにかく進もう。もう少し行ったら、休めるところがあるかもしれない」

歩いて行くうちにも、風はどんどん強く吹いてきます。旅人は、これまでのことなどを思い出して、悲しくなってきました。
一緒に暮らしていたおっかさんが死んで、旅人は、持っていた小さな畑を、盗っ人のような商人にだまされて、安く買いたたかれてしまったのです。何もかもなくして、こんりんざい困ったことになったと、途方に暮れていたとき、ようやく、おっかさんの昔の知り合いだという人が来てくれて、遠くの町の粉屋の働き口を紹介してくれたのでした。旅人は、小さな紹介状を手に、その粉屋のところに旅していくところなのでした。

「こんなことになるのも、おれが馬鹿だからだ。おっかさんが残してくれた畑を、あんな商人に売るんじゃなかった。おっかさんがそれはそれは大事に耕していた畑だったのに。あの小さな畑で、豆を作って、おれに食わしてくれてたのに。これも、おっかさんに悪いことをしてしまった罰なのかな」
旅人は、マントを硬く握りしめながら、胸がすまない気持ちでいっぱいになり、この寒い風に、力いっぱい耐えようと思いました。そうしたら、おっかさんへのすまない気持ちが、少しは軽くなるかと、思ったのです。

その頃、お空の上では、北風が、どんなに強く風を吹かせても、旅人が一向にマントを離さないので、やきもきしていました。
「こいつめ、けっこうしつこいぞ。もっと吹いてやろう」
北風が、いっそ旅人ごと吹き飛ばしてやろうかと考えたとき、太陽が、まあ待て、と声をかけました。「次はわたしの番だよ。君は休んでいたまえ」

そこで太陽は、雲をはらって空の真ん中におどり出ると、ぎらぎらと旅人を照らし始めました。

旅人は、突然風がやんだので、すこし安心して、ふところの手紙を取り出しました。粉屋への紹介状は、革の袋に入れて、落とさないように紐をつけて首に下げていました。昔、おっかさんが親身になって世話をしたという、元兵隊さんの紹介状でした。
昔、おっかさんは、戦に負けて、ぼろぼろになって流れてきた若者を、見捨てておくことができずに、納屋に寝床を作ってケガの手当てをしてあげたことがあるというのです。人がいいばかりで、貧乏くじばかりひいていたおっかさんが、息子に残してくれた遺産は、今やこの手紙ひとつでした。
これを大事にして、ちゃんと生きていかないとな。おっかさんの大切な気持ちが、おれにくれたものだから。旅人は、手紙をみるたび、そう思いました。

旅人は、ふと、なんだか暑いな、と感じました。空を見ると、太陽がぎらぎらと照りつけはじめています。さっきまで寒い北風が吹いていたというのに、何としたことでしょう。旅人は、手紙をふところにしまうと、日をよけられる陰がないかと探しながら、歩き始めました。
その間も、太陽は容赦なく照らしつけます。旅人は、汗がだらだらと流れてきて、熱くてしょうがなくなってきました。そこで、マントを脱ごうと、首元の紐に手をかけました。

やった、わたしの勝ちだ!と太陽が思ったそのときです。突然、北風が強く吹いて、黒い雲をいっぱい、太陽の方に吹き寄せました。すると、太陽はまたたく間に雲に隠されてしまい、旅人を照らすことができなくなりました。

「何をするんだ! このひきょう者め!」
「なんのことかね? 雲が邪魔だったから、吹き飛ばしただけさ」
太陽と北風は、空の上で、お互いに照らしつけたり、風を吹き付けたりして、けんかを始めました。そんなことは何も知らず、旅人は、天気が何度も変わるのを、ただ不思議に思いながら、てくてく歩いていきました。

ようやく、足を休められそうな木影を見つけ、旅人はよいしょと、木の下に座りました。上を見ると、突然わいてきた雲が、空の半分をかくしています。冷たい風が吹いたり、突然暑い日がさしたり、また雲がもくもくわいてきたり、なんだか変な天気です。
とにかく、腹ごしらえでもしようと、旅人は腰の袋から、小さな硬いパンとハムを取り出しました。手っ取り早く食って、急いで行こう。早く町について、宿を探さねば、天気が荒れそうだ。旅人が、そんなことを考えていると、どこからか、か細い声が聞こえました。

旅人が、その声が聞こえる方に目をやると、そこに、何ともやせ衰えた、みすぼらしい雌猫が、ものほしそうに、旅人の持っているハムを見ているのです。怪我でもしているのか、後ろ足を少しひいています。
旅人は、なんとなくおっかさんのことを思い出して、猫をあわれに思いました。そこで、ハムをひとかけら、猫にやりました。猫はうれしそうに、ハムを食べました。

「こんなふうに、みっともないことになったおれでも、猫にハムをやることくらいは、できるんだなあ」

旅人は、ハムを食べている猫を見ながら、なんだかうれしくなってきました。涙も少し出ました。おっかさんが死んで、ひとりぼっちになってしまって、本当はとてもさみしかったのです。ハムを食べる猫がかわいくて、いつしか旅人は、持っているハムを、全部猫にやってしまいました。
「おまえ、ねぐらはどこだ。ずいぶんと痩せて、寒そうだなあ。怪我もしている」

旅人は、猫がいとおしくなってきました。空を見ると、お日様はまだ空の向こうです。今日は風が冷たそうだ。旅人は、ふとマントを脱いで、猫にかけてやりました。そしてそのまま、猫を抱き上げました。猫はいやがりもせず、旅人の腕の中で、ごろごろと喉を鳴らしました。
「おれはひとりぼっちだけど、おまえを助けてあげられるよ。おっかさんを見習って、親切をしてみよう」
旅人は、猫に自分のマントを着せて、歩き始めました。風が少し寒かったけれど、何かしら力が出て、どんどん歩き始めました。

その様子を、空から見ていた、太陽と北風は、あきれて言いました。
「おやおや、やつめ、マントを脱いだぞ」
「ほんとうだ。どういうことかな?」
ふたりは、旅人の様子を見て、顔を見合わせると、どちらともなくため息をついて、言いました。
「やれやれ、猫に負けたのかな」
「いや、あの旅人に負けたのかな」

どちらにしろ、みっともないことをしてしまったなと思って、太陽も北風も、けんかをやめて、仲直りすることにしました。そして、太陽は空に顔を出して、明るく旅人を照らしました。北風は少し顔を赤らめて、やさしく、旅人の背中をおしました。

天気がよくなってきたので、猫を抱いた旅人は、なんだか気持も明るくなってきて、ゆくすえに、とてもいいことが待っているような気もして、どんどん、町に向かって、歩いて行きました。

(おわり)




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チコネ

2012-05-19 12:11:11 | 薔薇のオルゴール

今度は、二冊目の著書、「小さな小さな神さま」から。
タイトル通り、いろんな神さまがいっぱい出てくるお話なのですけれど。
美しい谷をつかさどり、豊かな世界をつくっていた、小さな神様が、ある日、にんげんというおもしろいものがいると聞いて、にんげんをもらうために、はるかな山の神のもとへと旅をする、という話なのですが。

このお話については、立派な神様の絵を描いてもよかったと思うのだけど、それは本の挿絵にいっぱい描いたから、まあいいやと思って、お話の中に出てくる、ただひとりの人間、チコネを描いてみました。

神を裏切り、殺し合いを始めた人間たちの中で、ただひとり、それを悔やみ、神様のもとに帰ってきた人間、それがチコネです。そして神様は、たったひとりのその人間のために、すべてを与えていく。

にんげんは幼い。本当に何もわかってはいない。どんなにか神様が大事にしてくれて、愛してくれていたのかも知らずに、勝手なことをやりはじめて、神様を馬鹿にして、神様を見捨ててゆく。その中で、たったひとりだけ、帰ってきた。たったひとりだけ。

それが、小さな神様の心を揺り動かすわけなのですが…。

小さな神様は、人間たちに言うのだ。
悲しい日々だった。苦しい日々だった。やってはいけないことを、お前たちはした。だが、もう一度、わたしのもとで、やり直してみるか?おまえたちがそう思うならば、わたしはおまえたちのために、すべてのことをやってやろう。

チコネはどこにいるだろう? 今も、あの小さな神さまの谷に住んでいるだろうか。

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イスフィーニク

2012-05-19 07:12:53 | 薔薇のオルゴール

今日は、わたしの処女長編ファンタジーから。
「フィングリシア物語」
もう二十年近く前に発行した本ですが。その登場人物を、絵に描いてみました。冒頭はヒロインの「イスフィーニク」。略してイフィと呼ばれます。
白髪に卵色の肌をしたタリル人の少女という設定です。なんだか、わたしの書く話の中には、白い髪の人が多いな。

気恥かしくて、出版してはみたものの、とても自分では読めなくて、ずっと置いてあるだけだったんですが、最近何を思ったのか読み返してみると、いや自分でいうのはちょっと恥ずかしいのですが、これがなかなか面白い。一気に半日で読んでしまった。もちろん、若さゆえの勉強の足らなさというか、荒さというのも目につくんですけど、けっこう面白い。長いこと読んでなかったので、話の筋とか細かい設定もほとんど忘れていたので、とても新鮮でした。


「シルタルド・ジン」

一応彼が主人公なんですが。頬が赤いのは紅潮しているのではなくて、彼が赤色人種だからです。今は滅びた古代イオネリア民族のただ一人の生き残りという設定。
彼はいろいろな運命の荒波に弄ばれながらも、懸命に生きていく。

物語には、タリル人やイオネリア人のほかにも、いろいろな人種、民族が出てきます。シリンギタ人、グリザンダ人、トトリア人、カイトゥム系褐色人種…。古民話や伝説や宗教や現代文明の比喩や、いろんなものを放りこんで、組み立て、お話をつくってみた。書いていた当初のことはあまり思い出せないけど、とても苦しい思いをしていたことは、なんとなく覚えてる。


「アスキリス」

物語の中の設定年齢にしては、ちょっと若すぎるなあ。お話の中では、彼は髭を生やしてて、年は多分四十代くらいじゃないかと思う。白髪、目は灰色のタリル人です。いろいろと高い勉強を積んでいる正教の僧侶にして、異教の呪術師という設定。


「スクルーン」

人語を解する猫。彼がなぜ人間の言葉を話せるようになったのかは、まあ秘密にしときましょう。もともとは普通の山猫だったんですが、ちょっとした事故がもとで、人間の言葉が話せるようになったのです。
この「フィングリシア」も、発行した当時、いろいろな人に読んでもらったけれど、読んでくれた人はほとんど、このスクルーンが一番好きだと言ってくれましたっけ。

このお話は、当時まだ私の胸の中に深々とえぐられていた傷が、もろに表面に出ています。生きることが、相当に苦しかった当時の自分がそのまま入り込んでいる。でもなんだか今は、それが、幕一枚向こうの、何か知らない別の世界のように思えるんだ…

確かにあの頃、わたしはつらかった。あの頃の自分は、ひとつの結晶として自分の中にあるけれど、今の自分は、当時の自分とは、ずいぶん違います。何が変わったのかな。

この「フィングリシア物語」は、あの頃の私が、存在していたという証明なんでしょう。でももう、あの頃の苦しみも、傷も、はるかかなたの夢のようだ。懐かしくはない。ただ、しんみりと静かな悲哀が、煙のように漂ってくるだけだ。

何が変わったのかなあ。




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銀の聖者

2012-05-18 13:13:45 | 画集・ウェヌスたちよ

「聖」編に出て来た、銀髪銀眼の指導者の、聖者姿です。なんとなく、どこかで見たことのあるような気がしませんか。この人は聖者の姿をとるとき、白いセーターに白いズボンをはいています。

実はこの人、一度本章に出てきたことがあります。「雪」というお話で。とてもやさしい聖者さまなので、もう一度お話に出てきてほしいと思い、「聖」編にでてきてもらいました。

段階的には、金の聖者の方のほうが上なんですが、この人も相当段階の進んだお方です。それに金の聖者さまと比べて、非常におやさしく、ものやわらかだ。ゆえに、人間や「子供」によく慕われます。

見てのとおり、とても美しい人です。



上部に戻ってくると、こういう感じです。やっぱり髪が少し伸びる。ほんと、どこか釈迦如来の顔に似てるような気がしますね。肌の色も幾分白くなる。やさしい性質なので、入門者の指導者としてはうってつけなのですが、彼が仏教の是正という難しい仕事をしていることは、あまり知られてはいないようだ。きっと長年、忍耐強く、地道にこつこつとやってきたのでしょう。

きっと、今でもやっているのだろうな。


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