ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

ヨー・ソー・ベイン?

2010-03-20 06:10:55 | 寓話集まで

世の中には言っていいことと悪いことがある
世の中にはやっていいことと悪いことがある
身のほどをわきまえるということがある身分をわきまえるということがある
人間の置かれた立場というものがある

どこからここにやってきて
ここからどこに帰っていくのか

一年二年は短い
八十年も短い

ぼくはいつも飛び出し過ぎることを繰り返して生きて来た。
気仙沼中学校の学校市長(生徒会長)選挙に立候補して
演説の最後に
「ぼくに投票しないのは、クリープを入れないコーヒーのようなものです。」と言って落選した
同じバスケットボールクラブの人望厚い優等生(男子)が当選し
同じ二年七組の心優しい優等生(女子)が二位ではじめから勝ち目の薄い選挙だった

気仙沼高等学校に入学してすぐ
6月に服装自由化が行われた
ジーパン・Tシャツは除かれぼくたちは不完全自由化と称した
それからぼくたちは完全自由化を求めて運動した
生徒大会でぼくは
「誰かに許可してもらおうというのでなく、自分たちの意志で、明日から、ジーパン・Tシャツを着てこよう」と煽動した
翌日からジーパン・Tシャツを着て来たものはぼくを含め皆無だった

中学校のときは
「生徒の、生徒による、生徒のための学校市づくり」を掲げた選挙のあと
当選した学校市長との事前の協定によって副市長になった
思い返してみるとそれまでは
どちらかというといじめられる側だった(しかしその場にいればきちんと味方して防御してくれるこどももいた)のに
それ以降は
一切いじめられるということがなくなった

高校のときは
二年生になって生徒会の機関である
服装委員会の委員長となり
「自主自律」を求める教師たちに「まず自由なくして自律はない」と理屈を返し秋になって会長選挙には立候補せず候補を立てる側にまわってお祭騒ぎの選挙運動をし
服装問題担当と自称して副会長になり
三年生の六月に
ジーパン・Tシャツを含む完全自由化が実施された
(しかし
闘って勝ち取った結果というより
教師たちがそれなりに満足するようなシナリオを二年かけて演じたことへのご褒美だった
というほうが正しいのかもしれない)

ぼくは
ひとの十歩先を行ける人間でないが
いつも半歩だけはみ出してしまう
その半歩が
ぼくをここまで連れて来た
長いものに巻かれきってしまわず
どこかで奇妙に筋を保持してしまう
集団を離れて孤独に生きて行ける力量はないが
どこかで集団に距離を置いてしまう

ぼくはそうして生きてきた

  ※

You`re so vain?
あなたは、多分、自分のこと言ってると思ってるんでしょう?

いえいえ、とんでもない
自惚れだなんて


※この詩と、カーリー・サイモンの歌(バックで、クレジットなしでミックジャガーがコーラスしてた。三十年以上前のヒット曲)がどう関係あるのか、と、恐らく質問されると思う。


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