武田鉄矢といえば、福岡教育大学の教員養成課程で教師になろうとしつつ、「母に捧げるバラード」でフォークシンガーとして大ヒットを飛ばしたあと、何と言ってもドラマの3年B組金八先生で、生徒に対する愛情と情熱にあふれる教師を演じて、役者であるという以上に、日本の社会に大きな影響を与えた人物と言っていいと思う。
NHKの朝のドラマに、主人公の父親役で、武田鉄矢が出演している。なんとも最悪の父親像を、みごとに演じている。こんな父親、絶対いてほしくないというような。ドラマが成立するために必要な役柄として、最悪の父親像だ。もっとも、森下愛子の母親(彼女もそんな年齢になっている!)が、アルツハイマーの初期症状みたいなことになったようなので、もう少しすると、実は、みたいな感じで、いい父親に変身するには違いない。
さて、最近、テレビをつけたら、たまたま武田鉄矢が出ていて、大勢の学生を前に講演しているところのようだった。聞いていると。「師の師たるゆえんは、師を持つことに如かず」みたいなことを言っていて、おや、かれは、内田樹を読んでいるな、内田の書いていることを受けて言っているなと思った。ただ、その場では、誰が言ったとか言ってなくて、内田樹の名前ももちろん出していなかったようだ。
間もなく、その講演は終わるというタイミングで、さる学生が、「卒業後は、良き先生になることが夢だ。贈る言葉はあるか」みたいな質問をしたことに答えて、「師の師たるゆえんは…」と語った。そして、「みんな、金八先生を見たか、金八先生は好きだったか?」と問いかけた。会場はほぼうなずく。それを見て「そう、子どもたちには、金八先生が好きだ、金八先生になりたくて俺も先生になったんだといえばいいんだ。」と言って、講演を終えた。これは、まさしく「話の落ち」というものだと思う。
若い金八先生は、情熱にあふれ、教師として、あるいは通常の大人としての常識などそっちのけで、生徒のためと盲信して突っ走った。権威などというものの反対側にいる存在だった。実際のところ、失敗だらけだったと思う。しかし、そういう姿が共感を呼んだのだ。決して偉い、賢明な先生ではなかった。
内田樹は、学生に向って、「私を師として仰ぎなさい。」とはひとことも言っていないと思う。「私があなたたちの師でありうるのは、私にも師があり、その師にもまた師があるからだよ。」と謙虚に語っているだけだ。
私が読書する中で、師と仰ぐ人物は何人かいるが、内田樹はまさしく私の師と考えている。
今日読み終えた「辺境ラジオ」(株式会社140B)は、内田樹と精神科医・名越康文らの深夜ラジオ放送の番組を、文字起こしした対談だが、その中で、武田鉄矢のテレビ番組に呼ばれて、最終回に出演したと、内田氏が言っている。彼にはお世話になったことがあってみたいなことのようだ。武田鉄矢が、内田樹を読んで、その講演でその言葉を語ったのは確かなことだ。人間が読書から学ぶものは、ひとによってさまざまなようだ。
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