岡本さんは、saveMLAKの中心人物で、震災後の被災地図書館への支援に大きく活躍された。気仙沼の図書館も大変お世話になっている。
MLAKというのは、ミュージアム、ライブラリー、アーカイヴズ、公民館の頭文字で、なぜ、公民館だけ日本語なのかは良くわからないが、そういえば、適宜な訳語がないかもしれない。というよりも、話は逆だな。図書館がlibraryの訳語として作られた言葉で、博物館が元はmuseumだということなのに対して、公民館は、外国語の言葉の翻訳として作られた言葉ではないということなのだろう。ちなみにarchivesは、文書館。
日本の公民館とは、西洋流のシティ・ホール(市役所―直訳的にはまちの集会所というイメージか?)から政治性を抜き去ったもの、なのかもしれないな。このあたり、日本の民主主義の成り立ちと深く関わる問題かもしれない。いびつな民主主義と言われたりする。
閑話休題。
岡本さんは、アカデミック・リソース・ガイドの代表取締役。
「社名は、1998年に個人で創刊したインターネットの学術利用をテーマにした週刊のメールマガジンの名称」であり、「学術的なインターネットの知見をいかに民間企業に広めていくかという活動を、インターネットサービスの企画、開発、運用、活用の研修、コンサルティングなどを通して展開している会社です。」(11ページ まえがき)
かつてはヤフー勤務、ICU卒。
「…私がいま最も興味と情熱を注ぐのは、公共図書館です。なぜ公共図書館か。それは私が図書館によって人生を変えられた市民であり、人間であるからにほかなりません。」(12ページ)
まずは、神奈川県立金沢文庫、そして、横浜市立図書館金沢図書館。
「金沢図書館は本当の意味で市民の図書館です。私の母親の友人らをはじめとする図書館設立当時の市民たちは、新しく区ができ。二十万人もの人口を抱えるようになるという状況下で「どうしてこの区には図書館がないのだ?」と署名を集めて横浜市へ住民請願をしました。そうして生まれたのが金沢図書館だったのです。」(14ページ)
これは、まさに理想的な図書館の作られ方だ。市民が求めて図書館が建設される。理想的な市民運動。私の若い頃に、本で読んで憧れたような市民の運動。田舎ではありえないような、都会だからこそ成立するような市民運動、というものはある、と田舎のわれわれは田舎を卑下し、コンプレックスを抱き、都会にあこがれた。何と言っても横浜、だものなあ、みたいな。これも、今は昔のお話、と言いきれるわけでもないか、未だに。
こういう図書館で、岡本氏は、人間形成を行ったということになる。
で、大学はICU(国際基督教大学)に進学する。
「ICUで驚かされたのは高水準の図書館でできることの多さと質の高さでした。ICUは「図書館は大学の心臓部である」というアメリカの大学のつくり方に基づいているため、キャンパスの中枢に図書館があります。」(16ページ)
先日、ICUの図書館にお邪魔する機会があって、旧館は鉄筋コンクリートのたぶん、四十年とか五十年とか、建築以来経過した建物で、ちょっと前までなら、あまり興味が惹かれることはなかったと思うが、今は、相応に重厚で、利用者にも配慮された優れた建築物に見える。新築当時には、とてもモダンで憧れるような建築であったことには間違いがなく、そういう記憶を、いい意味で思い起こさせてくれるような建築であった。
(ちょっと前までは、というのは、石造りとか、あるいは木造の洋館とか、明治、大正のものなら面白いと思うような感性、というか、いまでも、それらはそうなのだが、戦後の建物であっても、懐かしさを感じる、その良さが分かる、みたいなことが生じてきてしまっている。実は、気仙沼の図書館も、増築前の最初の一階部分は、相当に面白く、現実にそこにあるのに憧れてしまうといってもいいような建築、新しい時代の建築であった、というふうに、このところは思い出されている。)
岡本氏は、建築のことを言っているのではなく、図書館の機能、役割のことを言っているのだが、立地は、確かに、構内の中心に位置している。
そういえば、最近できたばかりの明治大学の和泉図書館も、キャンパスの中心に位置して、アメニティにも相当に配慮されて、学内で学生が時を過ごす中心部、というような位置づけになっていたようだ。図書館で学生が呼べる、受験生を集められる、というようなこともあるに違いないと思わされた。
「こうした私の青春時代までの図書館での体験で共通しているのは、それぞれのライフステージにおいて、一生かかっても読みきれないほどの無数の体験に圧倒される瞬間との邂逅です。…(中略)…この知的衝撃に遭遇する体験を提供するというのは、図書館、さらには本そのものの非常に重要な機能だと思います。」(16ページ)
なるほど、図書館という場所は、ずいぶんと素晴らしい場所だ。一方、図書館とそういうふうに出会えた岡本さんは幸福な人である。こういう出会い方をした人物の著作であれば、内容は大いに期待できるというものである。
「図書館のつくり方における名著として、たとえば菅谷明子さんが約十年前に書いた『未来をつくる図書館-ニューヨークからの報告』([岩波新書]、岩波書店、2003年)があります。続いて、猪谷千香さんが書いた『つながる図書館-コミュニティの核をめざす試み』([ちくま新書]、筑摩書房、2014年)では、菅谷さんが問題提起をおこなってからの十年間で日本の図書館に何が起きたかがよくリポートされています。/本書では、猪谷さんが本のなかでまさに問いかけている「あなたのまちにはどんな図書館が必要ですか?」という問題への一つの実践的な仮設を提示したいと考えています。」(18ページ)
ということで、以下、全八章からなるこの本の節名をいくつか挙げて紹介に変えたい。曰く『消えた“図書館職人”の時代』、『市民から生まれる図書館』、『ゲーム機がある図書館』、『市民利用に見る騒がしい「シェアオフィス」のニーズ』、『「足で見る」図書館』、『「まち」から生まれる図書館、図書館から生まれる「まち」』、『自分の“財布”をもつ強み「ファンドレイジング」』、『「図書館で起業」は可能か?―「産業支援」』、『図書館の役割は知の総合コンサルタント―「議会支援」と「行政支援」』、「図書館のサードプレイス、どう活かす?―「市民活動支援」と「市民協働」のあり方」。
大変興味深い事柄が並んでいる。
ところで、『サードプレイス』というのは、何かといえば、自宅がファーストプレイス、職場や学校がセカンドプレイスで、その中間の「馴染みが集うカフェ、シェアオフィスなどが含まれる、社会における自分の第三の居場所」(165ページ)とのこと。
ちなみに、議会支援のところ、これは趣旨は全くその通りで、そういうふうにして行きたいところではあるが、少々注記しておきたい。
「議会には必ず図書室が設置されているので、公共図書館は議会の図書室と連携したうえで政策調査局とも協力して、議員にとって必要な情報提供を行うべきです。さらには、そうしたフレームを、公共図書館が主体となって推進していくとなおいいでしょう。」(161ページ)
実際、自治法第100条第19項に議会の図書室を設置しなければならない旨書いてあるのは確かなのだが、これは、法の規定上は官報や政府の刊行物を置くためのものでしかない。国会には、国立国会図書館があり、これは、日本の国としての中央図書館でもあり、日本一の図書館であることは間違いがない。地方自治体の図書館については、大都市や県レベルであれば、蔵書もあり、相当の活動的な図書室があるのだろうが、一般の市町村では、実質的にない、というほうが正しい。官報や例規集の置いてある本棚は必ずあると思うが、いわゆる図書館、まあ図書室レベルのものも含めてないというべきだろう。公共図書館が連携すべき議会の図書室はないのだ。もちろん、議会事務局内の政策調査室なども地方中小都市や町村では、ひとつもないはずだ。
しかし、〈公共図書館は、議員の政策形成にとって必要な情報提供を行う。〉というところは、今後、ぜひ、担っていきたいところである。この趣旨はまったく同感である。連携先はないのだが、まさに主体的に取り組んでいきたいところとなる。
最近、少々他の図書館を訪問し、少しく図書館に関する本も読んでいるが、どこの図書館に行っても勉強になるし、どの本を読んでも役に立つことだらけである。図書館の世界は奥深いし、足を踏む込むほど興味深いものが見えて来る。ここで生きていきたい思いみたいなものがふつふつと湧き上がってくる。有難く、不思議な世界である。
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