ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

もうひとりの主役たち

2013-10-06 00:30:22 | エッセイ

 あまちゃんで、特筆すべきことは、画面に映る役者の主役以上に、脚本家が主役のドラマであったということ。さらに、音楽家が、少なくとも、主要な脇を固めるベテラン俳優並み以上に、共演者であったこと。

 脚本家と音楽家がここまでクローズアップされ、ドラマの進展の中で動向が注目されたケースはないのではないか。世間的な意味での動向ではなくて、ドラマの筋がどう展開するか、というか、クドカンどう展開させるのか、みたいな。そして、バックグラウンドの音楽、こう来たか、みたいな。

 例の賑やかなテーマ曲。ドラマがまだ終わってもいないし、歌もない曲なのに、他のテレビ局や民放のラジオでばんばんオンエアされていた。FMでは、ラジオドラマの中で使われるケースもあって、あまちゃんやってるわけないだろ、誤解されるぞと突っ込みたくなるような。

 甲子園でも、いったい何校が応援歌に使っていたか。

 宮沢賢治のあの「星めぐりの歌」の使われ方も印象的で、史上最高の、というべきだと思う。

 また、ちょっと違う観点の話だが、このドラマの真のヒロインは、誰だったかという問題。

 早稲田大の西條剛央先生が書いていたが、クライマックスは、薬師丸ひろ子演じる大女優鈴鹿ひろ美の謡う「潮騒のメモリー」のシーンではなかったかと。確かにその通りだった。まったく音のとれない音痴と描かれていた彼女が、最後に来て、あれほどみごとな歌をうたう。半年のドラマが走馬灯のように回想されるシーン。

 それは、薬師丸ひろ子ですから、最上の歌を歌うことは当然のこと。これもまた、見事なクドカンの脚本の伏線と回収。

 薬師丸ひろ子のあの透明な歌声。正確な音程。丁寧な歌い方。すれっからしの百戦錬磨の玄人とは全く正反対の透き通った、上品なうた。ああ、薬師丸ひろ子だなと深く納得させられる。あの存在。主要な、ではあっても、それまで脇役のひとりだった薬師丸が、あの歌ひとつで、真の主人公たることを露呈する。

 主人公アキのもうひとりの母親、夏ばっぱのもうひとりの娘。

 小泉今日子と薬師丸ひろ子が、表と裏の母親として共演する。なんという豪華なキャスト。(あの無頼寿司での対決のシーン!)これは、どちらが裏で、どちらが表か、ということは言わずもがな。

 ところで、若き日の春子さんは、影武者で可哀そうで可憐で涙なくして見られなかった。松尾スズキの甲斐さん的視点。

 もちろん、小泉今日子さんは、この間の中井貴一の鎌倉の観光課長さんとのラブ・コメディでも、とても素敵な大人の女性で大ファンです。

 ということで、ああ、そうか、あまちゃんのアナザー・ヒーロー、アナザー・ヒロインのお話ということになるのか。

 ところで、その「潮騒のメモリー」の歌詞だが、良く見ると、共感とか、思い入れを拒むようなへんてこりんな歌詞なんだな。あんまり真面目な顔で歌える歌詞じゃないんだが、ドラマの中、特にあのクライマックスのシーンで使われると、感動してしまう、というのは、やはりクドカン・マジックなんだろうな。


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