2008年5月の発行。震災前である。買ったままで、しばらく本棚に置いたままにしていた。
たぶん、地方自治関係の本を続けて読んで、一拍置いてから読もうとしたのだったか。
読み終えて、すぐにでも、読んで置くべき本だったと思うと同時に、いま、読むべき時だったのだ、とも思う。
この本は、「地方自治の月刊専門誌『地方自治職員研修』の創刊40周年を記念して企画され、雑誌の歩みと重ねつつ、地方自治のこれまでを振り返り、これからを展望するという意図をもっている」(はじめに)とのこと。
版形も、通常より一回り大きいし、ハード・カバーの立派な装丁である。なるほど、記念出版というわけだ。
中に、12本のインタビューが収められている。
松下圭一、逢坂誠二、根本良一、大杉覚、庄嶋孝広、梅田次郎、高橋寛治、金井利之、中川幾朗、大森彌、松本克夫、大石田久宗、島田恵司の13人に、今井氏がインタビューしたもの。
記念出版であるということは、装丁のことだけではないのは言うまでもないこと。この人選が、意味を持つということだ。
もちろん、西尾勝、神野直彦、新藤宗幸などの名前がない、とも言えるわけだろうが、相応の選択の基準でバランスも考慮しつつというところに編集の意図があるわけだ。インタビューを受ける側のタイミングや意向ということがあるというのもまた当然のことだろう。なんにしろ、私には編集の経過は知る由もないことであり、結果の人選は、これしかないと言えるような目配りの行き届いたものになっていると言って間違いないと思う。
さて、冒頭の松下圭一は、政治学者、法政大学名誉教授。日本の地方自治の思想的バックボーンともいうべき大立者。
「当時は市民型の自治体理論自体も日本になかった。1975年、『市民自治の憲法理論』(岩波新書)を書くまで、日本の自治体理論は、まだ戦前からの「国家統治」つまり官僚が許容する「団体自治・住民自治」という、今日もつづく不毛な議論にとどまり、《市民自治》に考えがいたっていない。」(6ページ)
市民とは何か?
現在の日本には、「市民」という言葉を肯定的に使う人びともいれば、否定的に使う人びともいる。松下は、肯定的に使う人びとの代表者である。急いでいっておけば、私もその系譜に立っている。
「基本としていえば、主権者は市民であり、職員はそれに国の省庁官僚をふくめて、市民の税金で生活し、市民直接の市民活動、ならびに市民が選挙する長・議会によって、二重に制御されます。とすれば、市民の選挙と納税によってはじめて、自治体、国の政府・行政組織は成立する。/だが、明治国家の考え方がのこる日本ではその逆で、国、自治体いずれでも、官僚・行政職員は「国家」の統治にかかわるためみずからをエライと今日も考え、給料も「国家」から出ているという迷信をいまだにもつ。困ったものです。しかも、この明治国家モデルの「国家」観念自体、政治家の未熟、官僚の劣化の露呈のため、この2000年代では、日本の市民のなかですでに崩壊しています。/いずれにしろ、自治体、国をとわず、政府は基本法、つまり国では憲法、自治体では私が提起した基本条例にもとずくのですが、市民から《信託》された権限・財源によって、公共政策のなかでの特定部分を政府政策として担うにすぎない。」(11ページ)
松下は、政策法務の重要性も語っている。
「今後は、市町村、県をとわず、職員をふくめ、長・議員自らも条例立法能力をたかめることが不可欠です。…(中略)…かねてからの私の提案によって、すでに先駆町村会にも「法務センター」、各先駆市には「法務室」が設置されています。」(20ページ)
逢坂誠二は、今回の総選挙で衆議院議員に返り咲いたが、もともとは北海道ニセコ町の町長で、その前は職員であった。自治体職員にとってのひとりのスターである。
「日本で自治と国政との連携でいうと、許認可や補助金や権限というふうに「分け与える」という連携があるのみです。国家全体を考える上での重要な場が自治の現場であって、そこと密接な関係を保っていなければちゃんとした政策がつくれないということが分かっていない。」(43ページ)
「分権議論の中で、国政と自治がきれいに切り離されるようにイメージされるかもしれないけれども、両者はまさに表裏一体の関係であり、国政が自治のかたちを規定する部分があるわけです。ですから、国政の場に自治の生の声を入れていかなければ、とこの5、6年の間ずっと思っていました。」(43ページ)
根本良一は、「合併しない宣言」の福島県矢祭町長だったひと。
大杉覚は、首都大学東京教授。「都区制度」についての専門家のようだ。東京都とその中の「特別区」との関係。
庄嶋孝広は、ファシリテーションの専門家、NPOの代表者。
「技術的に市民参加がどう進歩してきたか、という話になるのですけれども、合意形成が比較的容易になったのは、ファシリテーションの技術が伝わったからだと思います。要するにワーと順番に意見をいってもらって時間が来たからハイ終わり、というやり方ではなくて、意見として出たものをきちんと記録にとって整理し、これについては皆さんどう思いますかと論点を絞りながら進めていく。その場にいる人だけの答えかもしれないけれども、ただ「これについては、こういう理由だから、こうしましょう」というのか示されて、結論が出ていくというプロセスをしっかりデザインして、一定の合意形成を図るという役割=ファシリテーションが出てきたとして、市民参加は変わってきたと思います。」(101ページ)
梅田次郎は、元三重県職員、北川正恭知事のもとで事務事業評価システムの構築をすすめたひととのことである。
「地域振興係長」の「事務引き継ぎのときに前任者に話を聞いていますと、現地の市町村の担当職員のことを全く信じていない。性悪説にたって仕事をしているのではないか。これだけ信じていなければ事業がうまくいくはずがない、と察知しました。それで私は徹底的に市町村の職員を信じてみよう、と性善説でいくことに腹を決めたのでした。」(114ページ)
高橋寛治は、飯田市役所出身で、和歌山県高野町助役~副町長にスカウトされたひと。このひとも地方自治界の大スター。今井さんが、「日本最初のシティ・マネージャー」と評している。
「いまでは職員の中に「引き」を感じています。「引き」というのは「食いつき」ということです。このことを広げるためには、みんなで新しい体験の中へいっしょになって踏み出していくしかありません。…(中略)…現在の公務員に求められているのは、どのような立場でも、地域の課題に正面から立ち向かうことです。ここに足を踏み入れない限り、住民が求める公務員とはいえない時代だと感じています。」(147ページ)
金井利之は、東大教授の政治学者。
政治学、というものは、こういう観点でものを考えるのか、と改めて思わされる。ふつうに人が考えるような狭い意味での「政治」ではなく、人間が生きていること、人と交わることすべてが政治である、というような意味での「政治」。
「戦後日本の政治ではこの間、国と自治体側の“合作”で「国土の均衡ある発展」という尺度をつくってきました。その尺度からみて「ウチ(特定の地元・地域のこと)は足りない」という理屈で、国に対してある一定の政策を求めるというスタイルをとりました。これは実をいうと、非常に難しいしくみなのです。なぜかというと、弱いとか貧しい、ということを主張しなくてはいけない。けれども、尺度をつくれるというのは相当、強いということなんです。自分にとって使い勝手のよい尺度を全国的なものとして認めさせるというのは、力がないといけないわけです。」(154ページ)
「公務員の仕事は、「地域のしんがり」を務めるというか、逃げてはいけない仕事です。逃げてはいけない仕事です。住民がいる限り行政サービスをする。住民が全部いなくなってから、撤退する。…(中略)…自治体職員も、実は「マニアック」であることを期待されています。…(中略)…自治体職員は合理的であってはいけないわけです。合理的な人は、民間企業に就職するのです。マニアックであるとか、「最後まで逃げない」とか、そういったあまり合理的でない人間に期待します。」(169ページ)
中川幾郎は、大阪の豊中市役所勤務から、現在、帝塚山大学教授。自治体文化政策の専門家。松下圭一『社会教育の終焉』から始まる、田村明、森啓氏の行政の文化化の文脈。
「文化政策というのは漢方薬なのです。」(178ページ)
「文化は人権なのだ」(180ページ)
「現在生きている私たちだけが享受していいのか、未来の子どもたちとか、あるいは、私たちの先輩・先祖たちの恩恵も含めて現在の私たちの判断を下さねばならないのではないかという、判断の時間の縦軸と、横軸におけるマージナルな少数者に対しても目を配るという、その二つの判断能力をもって議論すべきだと思います。」(181ページ)
大森彌先生は、東大名誉教授。行政学、地方自治論。西尾勝先生と共に、地方分権推進委員会の中核メンバーであった。
「この日本の社会を根本から変えるような変化が訪れているのに、いままでの自治体や行政のあり方で済むとはとても思えない。子どもの数が減り、生産年齢人口も減り、年寄りは死なない。/今こそ、松下圭一先生が展開してきたようなグランド・セオリーが新たに必要ですね。」(210ページ)
「でも、絶望していないから、あきらめないで自治体職員と住民に問いかけ続けましょうか。」(211ページ)
「ワークショップなどで住民と結びつくことです。そこには思わぬ住民が出てきて、職員を見抜くんです。こんなすてきな職員がいるじゃないかと。住民と対話し作業を一緒にやれば、しかるべき職員は評価され激励されるはずなんです。だから住民の側は、ちゃんと仕事した職員をほめることです。…(中略)…そのようにして本当に地域での自治を担う職員を育ててほしいと思います。」(211ページ)
松本克夫は、日経新聞出身のジャーナリスト。「自治・分権ジャーナリストの会」の創始者、かな。
「近代というのは、経済的には非常に豊かな社会をつくり上げたわけですが、一方ではいろいろなものに対する破壊作用があります。初めは公害とか、自然に対する破壊が目立ちましたが、人間社会に対しても個人を無能力化するし、家族は解体するし、地域社会は破壊していくしと。この破壊力たるやすごいんですね。これにどう対応しなくてはいけないのかということです。…(中略)…自治の場が経済のグローバル化という競争原理に対抗する人々の連帯原理を築くための砦になれるかどうかが私の注目点です。」(217ページ)
「第一次分権改革で、地方分権推進委員会が、あれは西尾さんが主導したのだと思いますけれども、分権の課題をきれいに整理してくれたのが、私にとっては大きかったですね。中間報告で、国と地方との関係を上下・主従の関係から対等・協力の関係にするのだと打ち出しましたね。あれでパッと目の前が開けました。」(219ページ)
実は、「市民」という言葉への違和感めいたものを、松本氏も語っている。もちろん、それを全面的に否定しようということではない。一方、「百姓」ということばを肯定的に捉えなおそうとしているらしい。
「私も市民という言葉を使っています…(中略)…ただ、自分で使うときに、どうもこそばゆいというか、気恥ずかしい感じがある。それは日本の歴史や風土から出てきたことばじゃないからだと思うんです。ある理想型といいますか、啓蒙的な意味の込められていることばですよね。ものに喩えるとプラスチックみたいなことばなんですねえ。/プラスチックというのは分解して処分するとき苦労しますね。そこの土地から出たものなら、そこの土に還せますが、人工的にそうでないものをつくり出すと苦労する。あれに近いものじゃないかな、という気がしますね。」(222ページ)
「百姓ということばは、市民に対置してというより、消費者に対することばとして使っています。」(224ページ)
「自治というのはその土地、自然を含めて、私は山川草木、鳥獣虫魚を含めての自治だといっているのですが、人間だけでやるものではないんですね。山の神がいて、その掟に反することはできないよというのが日本の暮らしの伝統的なあり方だと思うのですね。」(227ページ)
「近代が集約して表れていると思うのが市場原理主義です。…(中略)…経済的に豊かになっていく、それが人間にとって幸せかどうかというと、幸せとは全然関係ない。…(中略)…いやいやながら豊かになっていかざるを得ない社会といいますか、満たされることのないニヒリズムの文明です。市場が拡大していく、豊かになっていくということは、人間が百姓から消費者へどんどん近付いていくことです。生きる力を失った無能力者になることです。」(229ページ)
いささか引用が長くなってしまった。このあたりの、松本の語ることは、私として、大いに共感してしまう。哲学者内山節だったり、思想家中沢新一だったり、あるいは、実業家にして著作家である平川克美が語ることだったりとシンクロする思想と言える。
大石田久宗は、三鷹市の市民部調整担当部長、島田恵司は、大東文化大学準教授で自治労中央本部書記時代に地方分権推進委員会事務局に派遣されていたとのこと。このふたりに「この連載インタビュー全体の見取り図を描いてもらった」(268ページ)らしい。
島田が、松本の上のような行論に触れながら、「ただ、「風土の上にある自治」というのが昔に戻るということでは、堪らないという気がします。」(249ページ)と語るのは、まったくその通りのことと思う。
最後の訊き手後記で、今井照は次のようなことを語る。
「松本克夫さんが、これからの私たちには「第三のムラ」が必要なんだという趣旨のことをおっしゃったとき不覚にも私は「一つの村を作るのだと私たちは宣言する」という谷川雁を思い起こしてしまった。」(256ページ)
「大石田さんとお話をさせていただくと、「自治体職員に対しては市民であり、市民に対しては自治体職員である」という二重のスタンスをもつ「工作者」であることに感服する。もちろん、これもまた「知識人に対しては大衆であり、大衆に対しては知識人であるという『偽善』を強いられる」という谷川雁からの借用である。(272ページ)
「私のイメージは、まず「私が私であること」を徹底的に追及することである。…(中略)…私たちが「公民」という存在に回収されないように、「市民」という存在を対置しているのである。「私が私であること」を追求した市民は、それ自体がパブリックな存在となる。…(中略)…「ありえない」のは百も承知だ。しかしユートピアを断念するところから国家による犯罪が始まる。…(中略)…「私」が最も大切なのである。「私」と「私」が紡ぎ出すのが市民社会であり、そのルールこそが市民自治なのではないかと思う。」((274ページ)
今井さんは行政学者で、地方自治論の専門家であるが、谷川雁を語る思想家であったというのは、失礼ながらひとつの発見であった。ここには引用していないが、社会学者見田宗介は、東大文学部時代の恩師なのであろうか。
こんなことは言うまでもないことなのかもしれないが、地方自治を語るということが、広く現代の思想のなかに位置づけられているということを、改めて確認させてもらえたということは、この本を読んでの大きな収穫だったといえる。
今井さんのおっしゃる、福島における二重の住民登録の提案なども、こういう深い文脈のなかで、検討されるべきものである。
今井さんにはまたお会いする機会はあるはず、というより、ぜひとも、その機会を多く求めたいところで、よろしくご指導をお願いしたいところである。
さて、以下には、せっかくメモした本書中からの引用を並べておきたい。少し整理してとは思ったが、上に残しただけでも、結構なボリュームになってしまった。
金井利之
「そのミニマムは何も国から一方的に恩恵として与えられたミニマムではなくて、地方圏も大都市圏も自治体側も多かれ少なかれそういうものに合意してきたというものです。もっと正確にいうと、そういう政治力学の中でできてきた政治的産物なわけです。みなが本当に賛成していたわけではないし、弱者を救っていたわけではないです。…(中略)…本当の弱者は政治的にも弱いわけですから、政権党も世論もマスコミも本当の弱者のいうことを聞かないわけで、みなが無視してきたわけです。」(155ページ)
「夕張のような問題は起きるのです。…(中略)…地域経済を活性化させるということを自治体や国の政治が考えている限り、ああいうことは起きやすいです。…(中略)…このままでは炭鉱が閉鎖されて地域が生き残れないから、市役所が頑張って地域おこししなくてはいけないと思ったわけです。…(中略)…そういうことを考えると、何%かの確率で破綻する。企業と同じです。…(中略)…企業人でさえ失敗するのだから、「武家の商法」である自治体はなおさらです。」(163ページ)
「ただ誤解していただいて欲しくないのは、「余分な」というのは、経済活性化のような民間企業がやるべきことをするなというだけであって、行政サービスとして基準以外のプラスαのサービスをするなといっているわけではありません。」(165ページ)
中川幾朗
「私たちはコミュニティに生きる教育をあまり受けていない。その一方で、契約型、合理主義型、自立個人モデル結集型とでもいうべき、「結社」と訳しますけれどもね、アソシエーション型の社会に生きる教育ばかりトレーニングを受けて、そのルールとか素養でコミュニティをみようとしている。これは柳田国男がいう「平凡教育」としてのコミュニティ教育と「非凡教育」としての学校教育の違いでしょうね。どうも、ここに間違いがあるなと気がついた。/…(中略)…地域コミュニティにアソシエーションのルールをもち込むとトラブルが起こるし、アソシエーションであるべき役所とか企業にコミュニティ型のルールをもち込むと腐敗していく。…(中略)…これが日本の住民自治、市民自治社会をつくり直すときの大きな壁だということに気がついた。」(183ページ)
松本克夫
「私が考える自治というのは、政治・行政学者が考える自治とはちょっと違います。」(228ページ)
「私のいっている自治からいうと、別に自治体単位でなくともよくて、集落単位であったり、もっと少ない数でもいいけれども、そこで協働で何かやろうとする意思があれば、自治ありと。志のあるところに自治がある。その志というものに心惹かれるわけです。その志が近代を突破する力を秘めている気がするものですから。」(229ページ)
「こんなに複雑になった社会で、すべて計画に従ってやるなんてとてもできないということはソ連や東欧で立証されたわけだけれども。でも、むやみやたらと市場を広げない、できたらそれを小さくしていくという戦略も考えられるのではないかと思います。…(中略)…まずはできるだけ小さなところを豊かにしていくということが考えられるのではないかということですね。」(230ページ)
「たとえば、商売というのは、生きるための手段ではあるんだけれども、もともとは利潤や売り上げを大きくすることが自己目的ではないんですね。そういう資本主義の論理で成り立っていない。」(231ページ)
「地域づくりということを職員が考えるときにも、必要なのはやはり広い意味での哲学なんですよね。」(232ページ)
今井照 訊き手後記
「逢坂さんは自分のかばんから読みかけの雑誌『ミュージック・マガジン』を取り出し、実は音楽評論家志望でもあったんです、と微笑まれた。…(中略)…どちらかといえば、私は「ミュージック・マガジン」と対抗関係にある『ロッキング・オン』派である。」(271ページ)
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