〈編集後記〉
◆第二十一号、通算百一号の新たな出発。何の事件がなくても、今回の書き出しはそうなったはずだ。
今号は震災特集号、となった。そうと相談したわけではないが、もちろん、ごく当然の成り行きとしてそうならざるを得なかった。同人それぞれがその場所で言葉を紡いだ。地震のこと、津波のこと。
言葉の持つ力はどれほどなのか。こんなに、と明確に言うことはできない。しかし、私たちは言葉を紡ぎ出すほかなかった。もちろん、直後に、というわけにはいかず、それなりの時を経てようやく。
◆照井由紀子さんは、陸前高田市内の仮設住宅に入居。中田紀子さんはお孫さんの世話に忙しい。小野寺正典さんは、震災後の役所の仕事に忙殺されている。三人の原稿が届かないまま、今回は発行せざるを得なかった。小松ゆりさんは被災し、避難所から自宅に戻ったようだが、まだ復帰とはならなかった。次号には顔をそろえていただきたい。もう少し時間が経過すれば、語るべき言葉が、書くべき言葉が形になるに違いない。
◆畠山政子さんは、前号で霧笛を卒業された。昨年から車の運転をやめられていたとのこと。霧笛の集まりへの参加もままならないと。実は、二十号の作品はそれまでの発表作品から西城さんが選んだものだった。
◆千田遊人が今号から同人として参加。これまで何度か寄稿扱いで掲載してきた。二三歳。しばらくしたらまた東京に戻る。彼にとっては、震災の前からの人生の試練の時を生きている。生き延びていくことを希うのみだ。
◆九月三日、面瀬中学校を会場に詩のボクシングが開催された。被災地気仙沼への支援事業として、宮城県詩人会の日野修氏(気仙沼市階上出身)の呼びかけで、楠かつのり氏をお迎えして。霧笛からは、西城さん、良子さん、千田遊人と私が参加した。藤田新聞店の社長さんを筆頭に、日野さんの中学校時代の同級生の皆さんが奮闘された。個人の部の優勝は、及川良子さん。彼女の言葉の真摯さ、感情の深さ。正当な結果だった。団体の部は、本吉響高校三年の女子生徒の三人組。十月二二日、東京にての全国大会に出場する。
◆表紙の齋藤美喜子さんは、美術の先生。しばらく、実作からは遠ざかっていたが、この表紙のお話をきっかけに、再び描き始めたと。今号で通例の三号目とはなるが、創作意欲に火がついたとのことで、次号も引き続きお願いすることになるかもしれない。この前の高校生千葉梓さんもだが、この霧笛の表紙という場所が、地域の美術シーンにおいて触媒のような役割を果たしていけるとすれば有難いことだ。
◆雇用、産業、医療、福祉の部面は言うまでもないことだが、文化においても気仙沼は復興していかなくてはならない。霧笛は、社会的な影響力を持つとかそういうことではなく、独自の、あるいは、それなりの場所をこの気仙沼において確保していなくてはならない。
霧笛は、百号というそれ自体の節目のあと、そして、地域の巨大な災害のあとという、二重の意味で新たな出発をする。継続していく。 (千田基嗣)
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