今回の墓参り(島根県松江市・安来市)の機会に、どうしてもお会いしたかった人がいました。
今年の2月に95歳になり運転免許も更新しました。
家内は残念ながら病院にいるので、家内の分も合わせて自分の足が動くうちに墓参りすること、そして長い間行けなかったところに行くという強い気持ちをもって向かった故郷への旅です。
お会いしたかった人とは、航空自衛隊美保基地、基地渉外広報班班長井上一等空尉さんです。
コロナ禍の状況で、この老人の願いを快く応じてくださいました。
航空自衛隊美保基地は昭和18年に開設された美保海軍航空基地があったところです。
わたしは昭和19年4月舞鶴鎮守府美保海軍航空隊に第十四甲種飛行予科練生として入隊しました。
(現在は航空自衛隊美保基地と美保基地の滑走路を使用する共用飛行場の米子空港になっています。)
昭和20年の5月末に美保空を退隊し、特攻(特殊潜航挺 蛟龍)を志願し旧境港線の大篠津駅から山口県熊毛郡の柳井に向かって旅立ってから75年経ちました。
長い間の航空時間でしたが、井上一等空尉のお陰で75年ぶりに美保基地に降り立つことが出来ました。
感謝です。
当たり前ですが、美保海軍基地だった当日の面影はありませんが、美保基地の中に旧海軍の当時の資料などを展示している資料館があります。
その資料館の渉外室広報班班長井上一等空尉にお会いすることが自分にとってひとつのけじめのような気がしていました。
正門で息子達が受付を済まし井上一等空尉に会うことになりました。
さっそく基地内を案内してもらいました。美保空会が設立した予科練の碑などがあり、基地資料館があるところまで歩いて向かいました。
美保海軍航空隊には既に十三期がおり、わたしが入隊した十四期は約4000人。
所属は32分隊でした。約半年間の教練の日々。
井上一等空尉の説明と共に少しずつ蘇ってきます。
たっぷりとしごかれました。
続く
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