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「師弟の旅」

2010年05月23日 22時23分45秒 | 日記
日曜日


朝、
地区唱題会9:00~ 田中宅
雨の中の唱題会、みな意気盛ん!

唱題の最中
足がしびれ愚図つくと、クスクスと笑はれる明るい唱題会♪

「先生のスピーチ」一言だけ引用する(珍しい)。

10:00~
マクドナルドでコーヒー
大白蓮華6月号
池田名誉会長講義・勝利の経典「御書」に学ぶ
「撰時抄2」
「巻頭言」拝読

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ダンテ13


民衆の言葉で!
私にとって、『神曲』は、青春の座右の一書でした。

若き日に 最初に読みし  ダンテかな  おお 神曲の 正義の戦よ

ダンテは自ら『神曲』について語りました。
「作品の目的は、人びとを今陥っている悲惨な状況から遠ざけ、
幸福な状態へと導くことにあるのです」
(マリーナ・マリエッティ著、藤谷道夫訳『ダンテ』白水社)と。

 目的は明快です。
 「人間の幸福」です。
 だからこそ一人でも多くの人に伝えたい──。
 ゆえにダンテは、当時のエリートの言葉である「ラテン語」ではなく、
 民衆の日常の話し言葉である「イタリア語(トスカナ語)」で、
 『神曲』を書きました。
 すべては「人間の幸福」のためにある。

 このことを、狂った軍国主義の時代に勇敢に叫び切った師子王が、
 牧口先生であり、戸田先生でした。 ここに創価教育の原点があります。

 人々の幸福を願って書かれた『神曲』は、
 一体、どのようにして物語が進んでいくのか。
 実は、
 『神曲』は、その多くが「師弟の旅」として描かれています。
 師とは、古代ローマの大詩人ウェルギリウス。
 弟子とは、イタリアの青年詩人ダンテ。
 
時を超えて結ばれた、この師弟が、
まず地中にある「地獄」の世界を下へ下へと降りていきます。
次に、地上に出て、そびえ立つ「煉獄」という世界を見聞します。
 
さらにダンテは、
天上の「天国」の世界にも飛翔して、旅を続けるという構成になっています。
大宇宙の高みに至ったダンテは、
地上の一切の権力を悠然と見おろしていました。
彼にとっては、この世の名聞名利など、はかない「風の一吹き」
(平川祐弘訳『神曲』河出書房新社)に過ぎなかった。
だから逆風も恐れませんでした。

 君と僕  富士を仰ぎて  堂々と 正義の大道 愉快に歩めや

(創価学園 特別文化講座 創立者 ダンテを語る 2008-4-23)より



上野尼御前御返事1582p

故に自業自得果・うらみがたかりし所に・
金色の仏一体・無間地獄に出現して
仮使遍法界・断善諸衆生・一聞法華経・決定成菩提と云云、

此の仏・
無間地獄に入り給いしかば・大水を大火に・なげたるが如し、
少し苦みやみぬる処に我合掌して
仏に問い奉りて何なる仏ぞと申せば・

仏答えて
我は是れ汝が子息遺竜が只今書くところの
法華経の題目・六十四字の内の妙の一字なりと言ふ、
八巻の題目は八八六十四の仏・六十四の満月と成り給へば・
無間地獄の大闇即大明となりし上・
無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ、
我及び罪人とは皆蓮の上の仏と成りて
只今都率の内院へ上り参り候が・先ず汝に告ぐるなりと云云、

遺竜が云く、
我が手にて書きけり争でか君たすかり給うべき、
而も我が心より・かくに非ず・いかに・いかにと申せば、

父答えて云く
汝はかなし汝が手は我が手なり・
汝が身は我が身なり・
汝が書きし字は我が書きし字なり、
汝心に信ぜざれども手に書く故に既に・たすかりぬ、

譬えば
小児の火を放つに心にあらざれども物を焼くが如し、
法華経も亦かくの如し
存外に信を成せば必ず仏になる、
又其の義を知りて謗ずる事無かれ、
但し在家の事なれば・いひしこと故大罪なれども懺悔しやすしと云云、

此の事を大王に申す、
大王の言く我が願既にしるし有りとて遺竜弥朝恩を蒙り
国又こぞつて此の御経を仰ぎ奉る。

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