キュリー夫人を語る24

2010年07月28日 19時44分30秒 | 日記
キュリー夫人を語る24
◇ 創価女子短期大学 特別文化講座 キュリー夫人を語る 2008-2-8

母の「真実」を残した娘の戦い 嘘は一切、許さない

 言論の暴力は犯罪である
 一、終始、マリーの一家を守り続けたマルグリット・ボレルという女性は、このヒステリックな迫害の嵐は「外国人排斥、嫉妬、反フェミニズムという考え」(同)の産物だとみなしていました。
 マリーをパリから追放しようとする動きさえありました。それに対して母国ポーランドは、戻って研究を続けるよう、彼女に救いの手を差し伸べました。

 しかし、彼女は、それでもフランスに踏み留まりました。“残された使命を果たすために!”です。
 マリーは、力強く抗議しました。
 「わたしの行動で卑下せざるを得ないようなものは何ひとつありません」(同)
 「新聞と大衆による私的生活への侵害全体を忌むべきものと思います。この侵害は、高潔な使命と公衆の利益という大切な仕事にその生涯を捧げているのがあきらかな者を巻き込んだときにはとりわけ犯罪ともいえます」(同)

 言論人が永遠に心に刻んでいくべき、高潔な母の獅子吼であります。

 1911年の11月、マリーのもとに、スウェーデンから知らせが届きました。2度目のノーベル賞(化学賞)が授けられることになったのです。今度は、マリーの単独の受賞でした。
 ある伝記作家は、マリーは「国内で策略や困難に出くわしたが、外国のさまざまな機関からの評価によって十二分に報われた」(オルギェルト・ヴォウチェク著、小原いせ子訳『キュリー夫人』恒文社)と述べています。

 ただ、まさにこの時は、マリーに対する卑劣なマスコミの攻撃が行われている最中でした。
 ある人物からは、ノーベル賞を辞退するように勧告する手紙まで届きました。
 しかし、マリーは、「わたしは自分の信念に従って行動すべきだと思います」(前掲、田中京子訳)と書き送り、授賞式に出席し、堂々と講演を行ったのです。
 その姿は、多くの人に、マリーの絶対の正義を印象づけました。

 悪には怯んではならない。卑劣な人間どもには、徹して強気でいくのです。
 その後、マリーは、度重なる疲労と、精神的ストレスにより、病に倒れてしまった。
 言論の暴力が、どれほど人を傷つけることか。それは、生命をも奪う魔力があります。その残忍さ、悪逆さは、当事者にならなければ、決してわからないでしょう。これほど恐ろしい“凶器”はないのです。
 ゆえに、そうした社会悪とは、徹して戦わなければならない。

 もちろん、言論は自由です。しかし、人を陥れるウソは絶対に許してはならない。ウソを放置することは、言論それ自体を腐敗させる。社会のすみずみに害毒が広がり、民主主義の根幹を破壊し、人間の尊厳を踏みにじってしまうからです。
 マリーは、ファシズムの不穏な動きが生じつつあった時代に、警鐘を鳴らしました。
 「危険で有害な見解が流布しているからこそ、それと闘う必要がある」(同)

不正と妥協するな 権威に屈するな
私は自分の信念を貫く
「女性初」の金字塔 嫉妬や差別、言論の暴力にも勝った!

 正義の人の名は永遠に残る
 一、マリーの二女エーヴが執筆した『キュリー夫人伝』は、1938年に出版されるやいなや、たちまら各国で翻訳され、今も多くの人に読み継がれている世界的な名著です。私も若き日に熟読しました。
 私が何回となく対話を重ねた、作家の有吉佐和子さんも、夫人伝を読んで、ひとたびは科学者を志したといいます。

 この長編の伝記をエーヴは、母の死後、3年ほどで一気に書き上げました。
 なぜ、それほど早く書き上げたのか。
 愛娘は、誰かが不正確な伝記を著す前に、母の真実の姿を、広く世界の人々に訴えたかったからです。
 それは、邪悪な言論に対する、娘の正義の反撃でした。

 エーヴは、はしがきに、「わたくしはたった一つの逸話でも、自分で確かでないものはいっさい語らなかった。わたくしはたいせつなことばのただ一つをも変形しなかったし、着物の色にいたるまで作りごとはしなかった」(エーヴ・キュリー著、川口篤ほか訳『キュリー夫人伝』白水社)と記しています。
 その静かな言葉の背後には、“大切な母を汚すウソは、一切許さない!
 虚偽には真実で対抗する!”──との熱い情熱が漲っています。

 私がともに対談集を発刊したブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、この二女エーヴと深い交流がありました。
 昨秋、彼女(エーヴ)がニューヨークで逝去され、102歳の天寿を全うされたことが報じられました。ご冥福を心からお祈りしたい。
 エーヴは、愛する母の真実の姿を描き出し、母の偉大な勝利の人生を、厳然と歴史に留め残した。

 チェコの作家チャペックは記しました。
 「この五十年間、現在の大臣や将軍やその他のこの世界の大人物の名前を、はたして誰が記憶しているだろうか? しかし、キュリー夫人の名前は残るだろう」(田才益夫訳『カレル・チャペックの警告青土社)

 キュリー夫人を迫害した人々の名前は、今、跡形もありません。しかし、キュリー夫人の名は、さらに輝きを放ち続けています。


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