「牛の鈴音」というドキュメンタリーを見に行った。
たった78分の韓国映画。
寿命を遙かにこえて、おじいさんと共に生きる牛。
おじいさんは牛をすごくかわいがっているような感じではないのに、
牛のために悪い足をひきずって自然に生えている草を取りに行ったり、
おじいさんの心の中の多くの部分に牛がいるのがわかる。
無口なおじいさんとは対照的に、
おばあさんはおじいさんや牛にたいして愚痴ばかり。
苦労をし続けてきた恨み辛みで台詞(台本ではなくて、自然な言葉だけど)が構成
されているかのような勢いでその言葉たちが出てくる。
でも。。。。
おじいさんが病気になったとき、出た本音が心にぐっときた。
おじいさんが死ねば牛の世話からも解放されるし。。と言っていたのに、
おじいさんが頭痛に悩まされて、病院で診てもらったり、
体調が悪いのに牛のために草を取りに行ったり、畑仕事をする様子に、
あなたが死んだら私はどうやって生きていけばいいのよ。。
後を追って死んでしまおうかしら。。
なんて。。。
それが本音だよね。。。
表面は文句ばかりだけど、
やっぱりお互いに必要としあってるんだよね。
最後、牛は老衰で亡くなってしまった。
業者が来て、牛を裏の山に埋めるところから、
埋めた後のちょっとだけふくらんだ山に二人、微妙な距離で呆然と座っているところとか、
涙が止まらなかった。
近い人がが自分の中から現実世界でぽこっといなくなってしまうことは、
誰にでもある。
ぽかっと抜けてしまった穴はじょじょに埋まっていく物なのだけど、
その空虚感はいつも人を苦しくさせる。
でも楽しかったことやうれしかったことでその穴を埋めていって、
一回り大きくなれるような気がする。
空虚
心に<空虚>が来たときは、
時間が経つのをを待とう。
無理しないように。